2010年09月26日 20時09分

国鉄只見線は昭和53年に乗車

今、発売中の「鉄道ピクトリアル11月号」の特集は
『只見線』です。

その最初の特集記事を執筆された岩成政和氏は
『只見線』を他のローカル線と比して
「単独で特集となりうる路線」とされていますが、
その通りであると私も思います。

私が只見線に乗ったのは昭和53年7月17日、
会津若松発5:22、小出着10:14の423Dでした。
写真の『南東北周遊乗車券』を使い、
7月15日に名古屋を出発。
16日に国鉄長井線・左沢線、福島交通、更に会津線を乗り
17日早朝に会津若松駅を後にしました。
※『南東北周遊乗車券』と言うより、
 『みなみ東北ワイド周遊券』と言った方が
 きっと馴染みがあるのでは?
※周遊券に駅名の「印」が一杯ありますが
 これは「途中下車印」です。
 本来ならこの「印」は途中下車時に
 必ず押さなければならなかったはずですが
 実際には駅員さんにお願いして押してもらっていました。
 また、1枚の切符に押された数が多いほど
 マニアの中では「勇者」として扱ってもらえました。

当時、地方都市の駅前にはビジネスホテルなどはなく
ご存知の方は年齢がバレますが
その代わりに「商人宿」という旅館がちょっとした町なら
必ず駅前にあり、私も会津若松ではそこに泊まっていたと
思われます。
また朝が早いのは「乗りつぶし」の旅のいつもの
パターンで、特に夏場は日も上がっており
大して気にもしていませんでした。

2010年09月26日 8時06分

昭和55年4月5日の東武鉄道乗りつぶし 乗車券編

私は「乗り鉄」の時に使用した乗車券類を
アルバムに貼っていました。
(今はやっていませんが…)

左上の乗車券は見にくいですが
伊勢崎~230円区間(軟券)。多分西小泉まで。
右上は西小泉から葛生まで乗った260円の乗車券(?)。
左下が葛生から北千住までの580円の乗車券。
右下が「りょうもう28号」の急行券で
館林から61キロ以上区間用の600円のものです。
因みに指定席は2号車42番です。
(運賃・料金が時代を映しています)

この時代にはまだ硬券の乗車券が普通にあったんですね。
それと「りょうもう号」の急行券が
乗車券サイズの硬券で、日付と号車がスタンプで
かつ席番が手書きというのも思わぬ発見をした気分です。

またいつかここに書いたことを忘れて再度書きそうですが
当時の『乗り鉄』に必須の鉄道(電車)の時刻は、
交通公社発行の「時刻表」だけが唯一の手がかりと言っても
過言ではありませんでした。
ところが私鉄の全駅・全列車の時刻などは掲載されておらず
この東武鉄道の乗りつぶしにしても
思いっきり“行き当たりばったり”で
それでも各区間の所要時間だけは「時刻表」でわかるので
それであたりをつけながら乗っていたと記憶しています。

はっきり言って、とまでは言い切れませんが
葛生まで乗りに行き、もしも最終の新幹線に乗り遅れたら
多分、『大垣夜行』で帰る位の覚悟はしていたと思われます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!