2010年09月27日 17時49分

国鉄只見線の入場券

昭和53年7月17日に購入した只見線の入場券です。

423Dが途中で列車交換のため長めに停車した全ての駅で
買っています。
これらの入場券を購入した駅も無人化され
今や入場券が買えない駅も多くなりましたが
これは時代の流れということで致し方のないところでしょう。

ところで写真の入場券で注目してほしいのはその料金!
実は只見線に乗った直前の7月8日に国鉄運賃が改定され
入場券もそれまでの60円から80円に値上げされました。

で、会津坂下・会津柳津は60円の額面のままですが
会津宮下・大白川・小出の各駅の入場券には
それぞれ「料金変更」「運賃変更」の印が見えます。
一方で越後須原は80円になっています。
ただ発行No.は“00016”で、
新しく印刷された入場券としては何と16枚目という
私の持っている入場券の中では『快挙』とも言える
若いNo.でした。

今や硬券の入場券は「化石」の様な存在ですが
当時はこれが当たり前。
但し、乗車券の方が深刻ですが
運賃改定の際にすぐに新しい切符を用意せず
旧運賃や「運賃変更」の印で“しのいでいた”ということは
私の記憶の中に今も残っています。

2010年09月27日 9時02分

国鉄只見線「越後須原」駅

昭和53年7月17日、
国鉄只見線の423Dは、『会津坂下』(422D)・
『会津柳津』(急行いなわしろ1号)・
『会津宮下』(424D)・『会津川口』(426D)と
全て『会津』の冠付きの駅で交換しながら
写真の新潟県『“越後”須原』では428Dと交換しました。
●5時間近く乗って5本の列車と交換は少ない?

沿線の車窓については、今更書くまでもないので
あえて触れませんが、飛びっきりであったと断言できます。

さて、途中の「会津宮下」での停車時間が長く、
駅前に出た記憶がありますが、出たというだけで
何があったかという記憶はなく、
その後、ガラガラの車内の自席に戻り
全開の窓に手を付き、その上に顔を置いて
ただ「ボーっ」としながら夏を感じていたと思います。
何故ここまで具体的に書けるのか?
実は、この駅のトイレに行ったのを覚えているのです。
車内にもトイレはあるのですが
長時間停車ゆえ「背に腹は代えられない」状況に追い込まれ
止むを得ず…。
当時、停車中の車内トイレの使用はご法度でした。
以上、写真と全然つながらない話しで申し訳ありません。

ところで鉄道ピクトリアル11月号に、
只見線全駅の写真が出ていましたが
「越後須原」は30年以上前と全く変わっておらず
違うとすれば駅舎の前(駅名の直下)に
「鉄道で送る小荷物」らしきものが写っていること。
それだけは今は絶対にないと言えます。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2010年9月
« 8月   10月 »
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!