2010年09月27日 9時02分
昭和53年7月17日、
国鉄只見線の423Dは、『会津坂下』(422D)・
『会津柳津』(急行いなわしろ1号)・
『会津宮下』(424D)・『会津川口』(426D)と
全て『会津』の冠付きの駅で交換しながら
写真の新潟県『“越後”須原』では428Dと交換しました。
●5時間近く乗って5本の列車と交換は少ない?
沿線の車窓については、今更書くまでもないので
あえて触れませんが、飛びっきりであったと断言できます。
さて、途中の「会津宮下」での停車時間が長く、
駅前に出た記憶がありますが、出たというだけで
何があったかという記憶はなく、
その後、ガラガラの車内の自席に戻り
全開の窓に手を付き、その上に顔を置いて
ただ「ボーっ」としながら夏を感じていたと思います。
何故ここまで具体的に書けるのか?
実は、この駅のトイレに行ったのを覚えているのです。
車内にもトイレはあるのですが
長時間停車ゆえ「背に腹は代えられない」状況に追い込まれ
止むを得ず…。
当時、停車中の車内トイレの使用はご法度でした。
以上、写真と全然つながらない話しで申し訳ありません。
ところで鉄道ピクトリアル11月号に、
只見線全駅の写真が出ていましたが
「越後須原」は30年以上前と全く変わっておらず
違うとすれば駅舎の前(駅名の直下)に
「鉄道で送る小荷物」らしきものが写っていること。
それだけは今は絶対にないと言えます。