2010年09月10日 18時22分

加悦SL広場 楽しい場所です。

加悦SL広場については、
今回のこのブログを書くきっかけになった
「鉄道ダイヤ情報 9月号」や
「加悦SL広場」のHPに詳しいので
特に説明することはありませんが
全国に数多(あまた)ある同様施設の中でも
私のお気に入りのスポットの一つになりました。
1日とは言いませんが、半日なら十分に楽しめます。

一昨日UPした国の重要文化財「一二三号機関車」を始め
地元・与謝野町の文化財に指定された車両や
日本産業考古学会/産業遺産認定車両等
文化財の宝庫です。

それぞれの車両をつぶさに見ているだけで
時の過ぎるのを忘れます。
でも「先を急ぎたい」「“鉄”に興味の無い」家族同伴では
何ともなりません。
実のところ、4年前でも家族連れが多かったこの広場ですが
本気で「鉄」を楽しむなら、
家族のある方には「家族と別行動」をお勧めします。

2010年09月10日 8時06分

加悦SL広場 正面

平成18年9月24日の「加悦SL広場」です。
●広場の駐車場からの全景です。
 建物の後ろに保存車両が少しだけ顔を出しています。
●画面右側の建物は旧「加悦駅舎」ではありません。
 似てはいますがそれを模して建てられたものです。

そうなんです。
実は4年前、私は新設の「加悦SL広場」に行っているのです。
(CM明けまで視聴者を引っ張ろうとするテレビ屋の習性?)
この日、私にとって最後に残っていた未乗のケーブルカー
「丹後海陸交通 傘松ケーブル」に乗車し、
その足でここを訪ねました。

この時私は、日本を代表する絶景『天橋立』観光に行こうと
家族を連れ出し、見事「最後に残っていたケーブルカー」を
乗破したのです。
家族への奉仕と「鉄」の両立には工夫が必要という事例です。
※この旅行は自家用車で行きました。
 私の「乗り鉄」で、往復『自家用車』は後にも先にも
 これ1回限りという記憶です。

一方、「加悦SL広場」は、『家族の温情』により
1箇所だけは「行きたい場所に行っても良い」となって
偶発的に“鉄分補給”に立ち寄った場所でした。
※家族旅行であっても「鉄」分ゼロは例外中の例外なので、
 適度な範囲内なら概ね理解をしてくれています。
 しかし“鉄分”が多くなると、不機嫌になる恐れがあるため
 いつも注意深く行動しています。

それゆえ、元々ここに来る予定が無かったため、
「加悦SL広場」については何も下調べを
しておらず明らかに準備不足でした。
(ガイドブックに数行書かれていたのを見ただけでした)

その結果、ここに到着して初めて
『あれっ?何か変?』
『ここは以前、「加悦駅」のあった場所ではない?』と
気付いたということでお分かりいただけますでしょうか。

2010年09月09日 18時02分

加悦鉄道「加悦駅」正面

フィルムのネガを見ていたら
加悦鉄道を撮影した際の最後のほうに
この「駅正面」の写真が入っていました。

大正15年の開業時に建てられたもので
実に堂々としており、また気品と風格を感じます。

この加悦駅があった場所は、
現在「京都府与謝野町役場加悦庁舎」になっており、
その加悦庁舎と道路を挟んだ場所に
何と取り壊されるともなく、この駅舎が移設され、
加悦鉄道関係資料が展示されているそうです。
(「鉄道ダイヤ情報」9月号の記事による)
つまり、この写真の建物は今も現存しているのです!

古い!使いにくい!残す意味は?保存にお金がかかるなどと
切って捨てるのはとても簡単なことです。
しかし、時代の荒波を超えたこの駅舎のような貴重な財産が
修理され、整備されて未だに活用されているのは
文化と文明を後世に伝えるということで
大きな意味があると思います。
再び加悦の地に降り立ちたいと願っています。

(追伸)
9月5日UPの地下鉄の「踏台」について貴重な情報を
当日の“コメント”でいただきました。
もしもよろしければそちらをご参照下さい。
また今朝UPした内容についても早速“コメント”を
頂きました。ありがとうございました。
私の返事が遅れることがあるかもしれませんが
その節はご容赦下さい。

(追伸2)
昨日の深夜、中京地区限定ですが中京テレビの番組
「アナアナ商会」に「芸能界鉄道研究会 鉄研」メンバーの
三根さんと南田さん、それとうちの尾原アナが出演し、
熱い「鉄」トークを展開しました。
ご覧になった方は限られていると思いますが
司会の『本田恵美』『本多小百合』の両アナ、
SKE48の3人は話しの展開についていけませんでした。
当たり前と言えば当たり前ですが…。

2010年09月09日 9時00分

加悦鉄道の車内乗車券

私が「乗り鉄」に没頭していた頃、
全ての会社・路線までとは言いませんが
『車内乗車券』(加悦鉄道では「鉄道車内券」)を
結構購入しています。

何故か?
理由は簡単で、通常、その会社の全駅が記載されているのと
運賃が一目で分かるからです。

また4月14日にこのブログでUPした
今はなき「福井鉄道南越線」も記載されている
福井鉄道の車内乗車券もそうですが、
私にとっては大切な歴史の生き証人です。

この一枚から当時の最低運賃が40円で
最高運賃が120円ということだったり、
丹後四辻~丹後三河内は3駅乗っても最低運賃で
駅間距離が他の区間に比べて短そうということが
わかります。
また全7駅の内、3駅に『丹後』がついており
それは「「何故だろう」という歴史ロマンの世界が
広がってきます。(やや筆が滑っています)

今では、ローカル私鉄の殆どがワンマンになり
車内乗車券を見ることがあまりなくなってきました。
寂しい限りですが、こればかりは致し方ありませんね。

2010年09月08日 18時46分

加悦鉄道「加悦駅」構内Ⅱ

旧加悦鉄道の「加悦駅」構内は、こうして見ていると
宝の山だったことを感じます。

今回UPしている写真を撮影した時点から9年後の
昭和60年の加悦鉄道全廃時、
単に加悦鉄道の乗車・撮影だけが目的ではなく
これらの展示車両を目的にした“鉄道マニア”も
多く来訪したと聞いています。
※昭和世代はやはり“鉄道マニア”ということばが
 しっくりきますね。

因みに右側の小さなDL(DB201)は
1953年『森製作所』製。
その後ろの気動車(キハ101)は1936年『日本車両』製。
左側の気動車(キハユニ51)は同じく1936年
『日本車両』製。
更に後ろに見えるのは…、はっきり言ってキリがありません。
全て、今も「加悦SL広場」に展示されていますので
一度足を運んで、そしてじっくり見てください。

2010年09月08日 9時00分

加悦鉄道「加悦駅」構内 重要文化財が?

昭和51年8月21日の加悦駅構内。
奥から「2号」「4号」「1261号」の
当時であっても超一級の古豪たちです。

「2号」は、今の『加悦SL広場』とは違い
他の機関車同様、野天で展示されていました。
この機関車が英国の最古参機関車メーカーにより
明治6年に製造され、現存する日本で2番目の
蒸気機関車であるとは露とも知らず、
平成17年に「123号機関車」として、
国の重要文化財に登録されるような歴史的な価値があるとは
思いもよりませんでした。

改めて写真を見てみれば、
可愛らしい愛嬌のあるデザインの中にも
文明開化の時代を走り抜けた貫禄のようなモノを感じます。
※「当時も本気でそう思っていましたか?」と
 自分で突っ込みを入れてみたりして…。

その手前の2両にしても、
九州の肥薩線で「SL人吉」を牽いている
8620形と同じ世代の歴史的機関車たちです。

(余談)
文化庁の「国指定文化財等データベース」で
「123号機関車」を検索しても出てきません。
それでも加悦SL広場のみならず与謝野町の資料が
誤っていることは考えられません。
そこで「国宝・重要文化財」(美術品)⇒
「重要文化財」(歴史資料)⇒「京都府」と行って
やっと見つけました。
「123」ではなく正式には「一二三号機関車」だったのです。
道理で「検索」に引っかからないはずです。ということは…。
各所で掲出されているほぼ全てのデータが
“登録名称”を使っていないことになります。
一方で、この機関車は『美術品』に分類されていることにも
違和感があります。学術的にはよいとしても…。
特に名称の件、皆さんは如何思われますか?
私は文化庁の登録名称を使用すべきと考えます。

2010年09月07日 18時14分

加悦鉄道「加悦駅」

昭和51年8月21日、
「丹後山田」を11:35に出た『キハ08 3』は
「加悦」に11:52に到着。

折り返しの12:25まで構内で撮影をしていました。
※今の「加悦SL広場」が出来る前も
 加悦駅には古豪たちが展示され
 一般に公開されていました。

今回、このブログを書くに当たり
加悦駅舎の写真を改めて見ましたが
私が「乗り鉄」で訪問した全国各地の駅の中でも
その優美な姿は群を抜いていると感じました。

また駅舎と客車を改造した気動車とのマッチングも
最高ですね。
とはいうものの訪問時から既に30年以上が経過し、
今日のこの日まで記憶の片隅から消えていました。

考えてみたら当時は、ただただひたすら全国の鉄道を
乗りつぶすことだけに専心しており、
回りを見渡す余裕がありませんでした。

2010年09月07日 9時05分

国鉄宮津線丹後山田駅の入場券

昭和51年8月21日の国鉄宮津線『丹後山田』駅の入場券。
『丹後山田』駅はその後、平成2年に宮津線が第3セクター、
北近畿タンゴ鉄道宮津線になった際に
『野田川』駅に改称されました。

国鉄・JRが第3セクターで再出発した際に
駅名を変えることはままあったと記憶していますが
この『丹後山田』もその一つでした。

●一般論として、駅名を変えるということは
 国鉄明知線「明知」駅を、本来の地名『明智町』に合わせ
 明知鉄道「明智」駅とした事例のように
 必然性があったからなのでしょうが
 そのままでも良かった駅名もあったのでは…。

それはさておき
この『丹後山田』駅は、京都府野田川町(当時)にあったから
その代表駅としての駅名変更と推察されますが、
平成2年に変わっているということもあって、
昭和の時代の終焉という感慨を私は持ってしまいました。
※旧国名“丹後”を使っていたところなど、私のつぼに
 はまっていたのですが残念です。

2010年09月06日 18時08分

国鉄宮津線丹後山田駅

昭和51年8月21日、
場所は国鉄宮津線丹後山田駅です。
●今、この駅自体は存在していますが駅名が変わっています。
 その話しはまた明日にでも。

この日は、この「丹後山田」から
加悦(かや)鉄道に乗り「加悦」まで
5.7キロを乗車しました。

「丹後山田」の駅名看板の向こう側に
「加悦鉄道線のりば」の看板と加悦鉄道の列車が見えます。

〔8月21日のここまでの行動〕
小浜線の小浜を7:56の934レで出発し、
そのまま舞鶴線に入り、綾部下車9:53。
(小浜線完乗)(舞鶴線完乗)
綾部発10:14の11D「あさしお1号」で折り返し
西舞鶴から宮津線に入り、天橋立着11:09。
天橋立発11:20、331Dに乗り継ぎ、
丹後山田には11:30着でした。
加悦鉄道の加悦行きは11:35発。
乗り換え時間、僅か5分ではありましたが、
この写真を撮るくらいの余裕はありました。

※カラーネガの保存状況が悪く、これでも若干の色補正を
 していますが、ここが限界でした。

2010年09月06日 9時06分

われらが「DJ」!

我々「鉄」の世界で『DJ』と言えば
交通新聞社発行の「鉄道ダイヤ情報」。
決して『ディスクジョッキー』ではありません。
●8月29日の「芸能界鉄道研究会 鉄研」出演メンバーによる
 トークショーの中でも、この『DJ』話しが出ました。
 メンバーは『DJ』『DJ』と普通に話しを進めましたが
 途中で「鉄」では無い方に向け、『鉄道ダイヤ情報』という
 雑誌だという説明をしていました。
●私は『DJ』を定期購読していませんが
 何故かここ1年分は手元にあります。
 鉄道雑誌としては後発ですが、読者は比較的若い層が
 多いと聞いています。
 因みに私は情報量の多い「臨時列車運転情報」より
 巻末の「ダイヤグラム」に惹かれています。

さて本題。
写真の9月号は「北近畿の鉄道,再発見」特集でした。
そして、この号の40ページから「加悦SL広場」の特集があり、
これを読んでいるうちに、
以前、加悦鉄道が現役だった頃のことを思い出しました。

しばし加悦鉄道の話しにお付き合い下さい。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!