2010年10月14日 18時00分

屋島ケーブルは廃止の2年前に乗りました。

平成14年5月12日、この日まず向かったのは
通称/屋島ケーブル(屋島登山鉄道)でした。

琴電の「高松築港」発6:30、「瓦町」着6:34
「瓦町」発6:42、「琴電屋島」着6:56

で、屋島ケーブルの「屋島登山口」に着いたのが朝の7時。
ケーブルの始発は7:35でしたので
随分早く着きすぎてしまいました。
※写真をご参照ください。
7:35発も土日祝祭日のみのダイヤです。 

ところが…。
この日の始発は7:15でした。
では、写真の始発7:35とあるのは何故?
ご丁寧に、“次の発車は…”の次に『35』の行燈まで
存在しています。
どうしてこのような事態になったかは
その頃は分かっていたのでしょうが、
廃止され、かつ私の記憶が蘇らない今では
それを探る術(すべ)すらありません。

かくして私は
屋島登山口発7:15
屋島山上着7:20で、
すんなり屋島ケーブルを乗り終えました。
●他にもお客さんがいましたが、何となく同好の士??

2010年10月14日 9時00分

今日、10月14日は「鉄道の日」

『旧新橋停車場跡』にある「0哩(ゼロマイル)標識」。

昨日の復元駅舎から見ると直ぐ裏手にあります。
この標識の“碑文”によると、
昭和33年に鉄道記念物に指定され、
昭和44年に『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』として
国の指定史跡に認定されたとあります。

ひょっとすると『旧新橋停車場跡』という名称は、
当初『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』であり、
汐留シオサイト開発時の発掘調査の結果に基づき
平成12年に現在の『旧新橋停車場跡』と
名称を変えたのかも知れませんね。
私は鉄道史の研究家ではないので、
不確かな憶測ばかりで申し訳ありません。
以上、ここまでの内容は、私のいる「メディア」の世界では
絶対に許されない低レベルと思っています。平にご容赦を。

さて、話しは変わって「鉄道の日」。
この名称、平成6年から既に16年も使われていますが
私はそれ以前の「鉄道記念日」を引きずっていて
相変わらず馴染めません。

「鉄道記念日」は“国鉄~JR”の記念日だから
全ての鉄道事業者の記念日としての名称に変えたという
趣旨は理解できますが、
「宝くじの日」のような語呂合わせで決まったものとは違って、
きちんとした理由があり、
10月14日は、日本の鉄道にとって
あくまでも『記念日』であって欲しかった。
※「鉄道の日」への改称時に、私は初めて「鉄道記念日」が
 国鉄(JR)の記念日と知りました。

話しは少しズレますが名古屋の地下鉄名城線のように、
環状線化時に新しい愛称を公募したものの
結局「名城線」の応募が多く変更されなかった事例もあります。

ここが日本の鉄道の起点である印、「0哩標識」。
今頃私の戯言(たわごと)を嘲笑っているかも?



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2010年10月
« 9月   11月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!