2010年10月16日 17時07分

「八栗ケーブル」は四国霊場第85番札所への足

平成14年5月12日、屋島ケーブルの乗った後、
琴電の琴電屋島発7:46に乗り、
2駅目の八栗下車7:50。

ここから八栗ケーブルの乗り場まで、
歩くのには少々距離があるのでタクシーを利用。
何と、「八栗登山口」発8:00に間に合い
そして「八栗山上」着は8:04でした。

15分間隔の運転なので、そんなに急いで乗ることも
無かったのですが、とりあえず乗れるものなら乗るのが
私の「乗り鉄」パターンです。

(八栗ケーブルの概要/八栗ケーブルのパンフレットから)
会社名…四国ケーブル株式会社
    ※思いっきり壮大な社名ですね。
全長…660メートル
高低差…167メートル
運転速度…時速12キロ
所要時間…約4分

車両を正面から撮っていましたので分かりにくいですが
前面にはボンネットがあり、
例えは難しいですが、旧型電気機関車のEF55型の
流線型のエンドを少しシャープにしつつ
ブリキの“おもちゃ”のバスのような
愛嬌のある表情にした感じということで如何でしょうか?

更に扉が「折り戸」で、益々バス感覚です。

ところでこのケーブルは四国霊場第85番札所
五剣山八栗寺への足となっています.
写真の左上に「団体改札口」とあるのは
団体のお遍路さんが多いという証でしょうね。

最後に…、写真に乗車券をつけたのには訳があります。
下山時、駅員さんに「乗車券を記念に下さい」と
申し出たところ、裏に「印」を押してくれたのですが
何を思ったのか、『無効』ではなく『見本』の「印」を
押されました。

2010年10月16日 9時00分

屋島ケーブル「屋島山上」駅

写真は朝7:20過ぎの屋島ケーブル「屋島山上」駅。

一匹の犬が出迎えてくれました。
というか、誰もいない駅前に所在なさげな犬が
「お座り」している構図は、ただそれだけで
もの凄く哀愁を感じさせます。

あまりにも侘しい風景なので、
犬が動かないか待っていたのですが全く動く気配が無く、
撮り直しを断念しました。(作り話ではありません)

この「屋島山上」駅から、絶景のビューポイントまでは
少々距離があるとのことで、
折り返しのケーブル(「屋島山上」発7:35)で
早々に引き返しました。

その後、この屋島ケーブル/屋島登山鉄道は
平成16年に休止、平成17年に廃止されました。

屋島山上までの道路の開通・
『屋島』の観光地としての地盤沈下など
乗客激減(半端ではなかったようです)が廃止の原因とは言え、
最終的には親会社の経営難によって
このケーブルの命脈が尽きたと言えます。
(廃止まで確か20分間隔だった。よく頑張ったと思う。)

もしも、四国霊場第84番札所の南面山屋島寺が
このケーブルの『屋島山上』駅からもっと近かったら、
状況は変わったかもしれないと思ってはみたものの
その最終日、「Wikipedia」によれば電気系統の故障で
終日運休だったとのこと。
何だかこのケーブルの最終日を
象徴しているような寂しさを感じました。

2010年10月15日 17時30分

「愛岐トンネル群」は国内最大

今朝(10月15日)、朝食の際に中日新聞を見ていたら
21面(愛知総合)に
「愛岐トンネル群」“明治建設で国内最大”の記事を
見つけました。

愛知県の春日井市と岐阜県の多治見市にまたがる
「愛岐トンネル群」については4月11日に行われた
「中部産業遺産研究会」による見学会に
私も参加させていただき、
その模様はこのブログでも4月12日からUPしました。
※写真はその見学会の際に撮影したもの。

今回の記事はその見学会の案内役でこのトンネル群を
発掘し、保存・再生活動を行っている
春日井市のNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」
調査した結果、明治期に建設されたトンネル群では
群馬県の「碓氷峠のトンネル群」よりも2基多い
13基あることが分かったというもの。

「愛岐トンネル群」は『旧国鉄中央線の隧道群』の名称で
経済産業省の近代化産業遺産群に選定されているのは
ご存知の方もいると思いますが、
「碓氷峠のトンネル群」も『旧信越線碓氷峠の関連遺産』として
同じく近代化産業遺産群に選定されており
なおかつ「碓氷峠」は“国指定”の
『重要文化財(建造物)』でもあり
私なんぞは、今後の調査次第ではあるものの
「ひょっとしたら」等、あらぬ妄想を描いてしまった次第です。

「愛岐トンネル群保存再生委員会」の方たちは全くの手弁当での作業なので
調査は大変だとは思いますが、今後に期待したいです。
なお、来月11月23日から28日まで
このトンネルの見学会が行われます。
詳しくは上記の会の名称にリンクが貼ってありますので
ご参照下さい。
私・個人的には「鉄」の方のみならず、
一般市民の幅広い人に見てほしいですし、
また参加されたら、会の方の説明を是非、お聞き下さい。
この説明を聞いて初めてこのトンネル群の“価値”が
本当に理解できると思っています。

2010年10月15日 9時05分

屋島ケーブル「義経」号

(屋島ケーブルの概要:駅にあった表記から抜粋)
全長…860メートル。
最急勾配…24度。
秒速…2.52メートル

車両にはそれぞれ「義経」(1号、写真の車両)、
「弁慶」(2号)という愛称が付けられており、
この写真をご覧頂いたとおり
とてもスマートとはいえない如何にも無骨な
「昭和のケーブルカー」を感じさせます。
ただ、私はこの形(デザイン)は決して嫌いではなく、
好ましくさえ感じています。
●少々懐古趣味的なマニアック(?)な話しになりますが
 今回、改めてこの写真を見てどこか身近なところで
 見ていたというか乗っていたような記憶が???
 思いだしました!昭和の時代に名古屋の街を走っていた
 市電の1500型に似ていると…。多分、私だけ…?
 ※この文章を書くため、
  「名古屋の市電と街並み」(トンボブックス)を
  参照し、型式名を確認しました。

ところで私が屋島ケーブルを訪れた平成14年頃
「高松琴平電気鉄道(琴電)」が
会社存亡の危機にあったことは知っていましたが
地元の住民ではない私には、
このケーブルが琴電の子会社で、親会社の経営問題が
後にこのケーブルの廃止にかかわるとは
思ってもみませんでした。

2010年10月14日 18時00分

屋島ケーブルは廃止の2年前に乗りました。

平成14年5月12日、この日まず向かったのは
通称/屋島ケーブル(屋島登山鉄道)でした。

琴電の「高松築港」発6:30、「瓦町」着6:34
「瓦町」発6:42、「琴電屋島」着6:56

で、屋島ケーブルの「屋島登山口」に着いたのが朝の7時。
ケーブルの始発は7:35でしたので
随分早く着きすぎてしまいました。
※写真をご参照ください。
7:35発も土日祝祭日のみのダイヤです。 

ところが…。
この日の始発は7:15でした。
では、写真の始発7:35とあるのは何故?
ご丁寧に、“次の発車は…”の次に『35』の行燈まで
存在しています。
どうしてこのような事態になったかは
その頃は分かっていたのでしょうが、
廃止され、かつ私の記憶が蘇らない今では
それを探る術(すべ)すらありません。

かくして私は
屋島登山口発7:15
屋島山上着7:20で、
すんなり屋島ケーブルを乗り終えました。
●他にもお客さんがいましたが、何となく同好の士??

2010年10月14日 9時00分

今日、10月14日は「鉄道の日」

『旧新橋停車場跡』にある「0哩(ゼロマイル)標識」。

昨日の復元駅舎から見ると直ぐ裏手にあります。
この標識の“碑文”によると、
昭和33年に鉄道記念物に指定され、
昭和44年に『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』として
国の指定史跡に認定されたとあります。

ひょっとすると『旧新橋停車場跡』という名称は、
当初『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』であり、
汐留シオサイト開発時の発掘調査の結果に基づき
平成12年に現在の『旧新橋停車場跡』と
名称を変えたのかも知れませんね。
私は鉄道史の研究家ではないので、
不確かな憶測ばかりで申し訳ありません。
以上、ここまでの内容は、私のいる「メディア」の世界では
絶対に許されない低レベルと思っています。平にご容赦を。

さて、話しは変わって「鉄道の日」。
この名称、平成6年から既に16年も使われていますが
私はそれ以前の「鉄道記念日」を引きずっていて
相変わらず馴染めません。

「鉄道記念日」は“国鉄~JR”の記念日だから
全ての鉄道事業者の記念日としての名称に変えたという
趣旨は理解できますが、
「宝くじの日」のような語呂合わせで決まったものとは違って、
きちんとした理由があり、
10月14日は、日本の鉄道にとって
あくまでも『記念日』であって欲しかった。
※「鉄道の日」への改称時に、私は初めて「鉄道記念日」が
 国鉄(JR)の記念日と知りました。

話しは少しズレますが名古屋の地下鉄名城線のように、
環状線化時に新しい愛称を公募したものの
結局「名城線」の応募が多く変更されなかった事例もあります。

ここが日本の鉄道の起点である印、「0哩標識」。
今頃私の戯言(たわごと)を嘲笑っているかも?

2010年10月13日 18時42分

明日、10月14日は「鉄道の日」

明日、10月14日は「鉄道の日」ということで
東京都港区にある「旧新橋停車場」跡に復元された
明治5年10月14日の新橋~横浜開業当時の駅舎の写真です。

この地の説明は今更は不要と思われますが
文化庁の国指定文化財等データベースによりますと
ここは『旧新橋停車場跡』という史跡で
昭和40年5月12日に指定され、
さらに平成12年3月27日に追加指定されています。

ただ、写真の建物のところにある“碑文”には
「…発掘調査が1991(平成3)年から…、
1996(平成8)年…、国の指定を受け…」とあり、
文化庁のデータベースと“碑文”の年月日の整合性というか
関係性で今ひとつ疑問が残っています。
※私の個人的な疑問です。悪しからず。

ところでこの『旧新橋停車場跡』界隈ですが、
私にとっては身近な場所。
時折出張で出向く日本テレビが平成15年に奇しくも
正にこの場所、旧汐留駅(貨物駅)の跡地利用である
「汐留シオサイト」に移転しているのと
中京テレビの東京支社は、現在の新橋駅を挟んで反対側に
あったりします。
それより以前、この地で汐留駅が現役であった時代は
新幹線の車内から貨物列車を眺めるのが好きでした。
またここから「カートレイン」が出ていたのも
昔日の感があります。

その割には、というか実は、この『旧新橋停車場跡』を
初めて訪ねたのは確か去年の冬の寒くて暗い日。
日本テレビでの打ち合わせが終わり、次のアポまで
ちょっと時間があったので覗いてみました。

あまりにも「いつでも行ける」存在であったため
行く気にすらなっていませんでした。
なおかつその時は写真を撮っていません。
故にこの写真は昨日(10月12日)、
東京に出張したのでついでに立ち寄り撮影したものです。

2010年10月13日 8時59分

日本一の叡山ケーブルは霧の中

平成13年6月6日、衣替えの時期なのに
とても半そでではいられない寒い日でした。
比叡山は雨が降ったり止んだりで、
ところどころで深い霧に包まれました。
坂本ケーブルと一対の話しです。

写真は、叡山ケーブル(京福電気鉄道鋼索線)の
「ケーブル比叡」駅に停車中の車両です。
車両の後ろが白くつぶれていますが
これは“霧”のせいで単に飛んでいるだけです。
というか、外はそれ位『真っ白』。
そのため、ブログにUPして何が写っているかが
分かる写真はこれ1枚しかありません。

13:41に『ケーブル延暦寺』駅で降り、
比叡山延暦寺を巡り出したら雨が上がったので
バスに乗らずに歩いてロープウェイ乗り場を目指しました。
しかし、人っ子一人いない遊歩道を
しっかりと冷たい雨に打たれガックリ…。
15:12発の叡山ロープウェイに乗り
肝心の叡山ケーブルは
「ケーブル比叡」駅発15:30、
「ケーブル八瀬遊園」駅着15:39。
更に叡山電鉄叡山本線「八瀬遊園」駅発15:50に乗って
這這の体(ほうほうのてい)で出町柳を目指しました。
※叡山ケーブルの「ケーブル八瀬遊園」は、
 私が乗った翌平成14年、「ケーブル八瀬」に改称。
※叡山電鉄の「八瀬遊園」は同じく平成14年に
 「八瀬比叡山口」に改称。
時代の流れを感じずにはいられません。

お題の日本一の話しをし忘れていました。
このケーブルは全長1.3キロなのですが
その高低差561メートルは日本一。
つまり比叡山をケーブルで横断すると
2つの日本一を体験できるのです。これはスゴい!
でも天候を考えて出かけることをお勧めします。

(おまけ)
個人的にですが、“叡山ケーブル”は
『京福』というよりは『叡山電鉄』の
鋼索線の方といった方がしっくりくる気がするのですが…。

2010年10月12日 18時07分

坂本ケーブルは「乗車券」に魅力あり!

比叡山延暦寺への足という最も日本らしい交通機関にも係わらず
ヨーロピアン風の美しいデザインの車両です。

そして「縁」と「福」と書かれた硬券の乗車券。
坂本ケーブルのHPによれば
『第253世天台座主・山田恵諦猊下、白寿の折のご親筆』との
ことで、乗車券の左のところその銘があります。
購入した時に、“流石”と思いました。
いい記念にもなっています。
因みに車両の名前も「縁」と「福」になっており、
写真の1号は「縁」です。

ところでこの写真でもう一つ注目してほしいものが…。
当時はあって、今は無いものがあります。それは架線。
今回、このブログを書くために坂本ケーブルのHPを見て
大ビックリ!!何と、安全運行のために架線レス化との事。
一方で、パンタグラフは工費削減のため残しているとあって
それはそれで今の姿は面白いかも知れません。

今回の坂本ケーブルの写真と話しは以上!です。

実のところこの日は天候が悪く、
ケーブルカーが動き出してからは『五里霧中』。
日本一の長さを堪能するには「窓外の絶景」という
メインディッシュがあってのこと。
ところがその絶景は何と「視界ゼロの白一色」。
同じ白でも雪の方がまだ視界が利くであろうと思うほどの
状況で、ただただ耐えに耐えた11分でした。

終点の「ケーブル延暦寺」は白の絵の具で塗りつぶしたと
言っても過言ではないほどで写真は撮ったのですが
何が写っているか識別できないほどでした。

2010年10月12日 8時32分

桜通線6050形の車内に鏡はあるのか?

先週土曜日(10月9日)に、
名古屋市営地下鉄6050形にあるべきものが無いのでは?と
書きましたが、それは名古屋の人なら車内にあるのは
「当たり前」と思っている『ドア』横の“鏡”。
●「ハンドル」さんが、もしや“鏡”とコメントを
 書いてくれましたが、それ位名古屋では常識的存在。

写真は、私が普段通勤で利用している
名城線2000形のドア横の“鏡”です。
女性の利用は結構あり、男性も時折鏡に向かっているのを
見かけます。
この“鏡”、車両の全ての『ドア』横についているのでは
ありませんが、1両に数か所は必ずあると
私は信じています。

で、6050形に先日乗った時に、
何かしらの違和感を感じた私は、
思わず乗った車両(6151、一番野並寄りの車両)内を
見渡してしまいました。
残念ながら10月8日以降、再び6050形に
出会っていません。

もしも以下の点について詳しい方がいらっしゃいましたら
教えて下さい。
1)6050形の車両は全車両に“鏡”はついていないのか?
2)ひょっとして6050形以外にも
  名古屋市営地下鉄の車両で、
  “鏡”がついていない車両はあるのか?

(追伸)
名古屋の地下鉄を利用されない方は
車内の“鏡”話しにびっくりされているのでは?
鉄道雑誌に書かれることも無いでしょうから…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!