2010年10月06日 18時33分

「加悦鉄道」の資料を発掘しました

この9月6日から11日まで、
京都府の丹後地方を走っていた「丹後鉄道」のことを
UPしましたが、一昨日、たまたまなのですが
鉄道関係ではなく、「鉄」以外の写真を貼った
アルバムに挟まれていた思わぬモノを見つけたので
UPしてみました。

私が丹後鉄道に乗った昭和51年当時、
加悦駅での歴史的な鉄道車両の見学は、
まだちゃんとした形態にはなっていなかったと思います。

一方で、この写真の様な「加悦駅入場証」のリボンと
「見学入場のお願い」の紙を渡され
それで駅構内の見学をしていたようです。
(これを見つけて当時を思い出し始めました)

特に車両の配置図を見ながら以前UPした写真と見比べ
やっと当時の加悦駅の全貌を
遅まきながら私自身が理解し始めた次第です。
9月の時は、よく思い出せないこともあったので
正直に言って、曖昧な部分もあったと思います。

それにしても入場証は返却ではなく持ち帰りで
そもそもその入場料がいくらであったか、
もしくは無料だったかなどの
資料はまだ見つかっていません。(多分、資料は見つからない…)

2010年10月06日 9時05分

鉄道切手にあった白糠線

一昨日の切手の話しに戻ると言うか何と言うか
国鉄白糠線は昭和52年2月22日に乗っています。
写真の入場券はその時のものです。

乗った列車は535D。
白糠発17:40
北進着18:24
33.1キロを40分あまりかけて乗り終わりました。
ところで肝心の北進駅で写真を撮ったはずなのですが
まだ発掘作業が出来ていません。お許し下さい。

私が乗った列車の時間を見ていただければ
分かると思いますが、既に“夜”であり、
白一色の風景すら見ていません。
乗車した時に、もう一度“昼”に乗りたいとは
思っていましたが昭和58年にそれも叶わぬ夢となりました。

正直言って、原田泰治さんの描かれた「白糠線」の切手を見て、
雪の無い季節はこんなに長閑(のどか)で
心が安らぐ風景だったんだと初めて知った次第です。

この年、就職を控え、入社したら北海道の乗りつぶしは
殆ど絶望的になるであろうと考え、
2月という時期に北海道の乗り鉄を敢行しました。
他にも白鳥や丹頂鶴、流氷を見たいということもあったには
あったのですが…。
それにしても当時、冬の北海道の鉄道は、
多少の遅れはよくあるものの意外とちゃんと運転されており
何とか予定をこなして、北海道完乗で名古屋に戻りました。

(追記)
白糠線に乗った時、終点の北進駅で
車掌さんが駅の切符回収箱を開け
「好きな切符」を持っていってよいと言われたので
私の手元には、「白糠~北進」間の切符と
「上白糠~北進」間の車内補充券があります。

2010年10月05日 18時06分

鉄道切手の世界Ⅲ

私が持っている鉄道切手の中でも一番時代の古い切手たち。
東海道電化完成記念(昭和31年)
北陸トンネル開通記念(昭和37年)、
東海道新幹線開業記念(昭和39年)、
の3種類です。

額面が10円というのも時代を感じさせますね。
それとこの3種は、多分グラシン紙だと思いますが
半透明の紙に包んできれいに保管されていました。

まるで他人事のようですが、実は切手収集を
されていた方がそれをお止めになった時に
「未練を断ち切る」と言って
身近にいた人たちに全ての切手を分けており
その際の頂き物なのです。
私の手元には「鉄」系(多分、一部)が回ってきましたが
切手趣味の方を除けば知る人ぞ知る「見返り美人」を
譲り受けた人もいました。

ところでこの切手の他は
昭和57年の東北新幹線・上越新幹線開通記念と
数十枚の外国の「鉄道切手」を持っています。
何れにしてももう20年以上、鉄道切手は購入していません。

まあ、とても持っているとはいえない量ですが
それでも鉄道を趣味とするものとして
何かしらあるということが嬉しいです。

(追伸)
このブログを書くために、
鉄道切手のことをネットで調べてみたのですが、
あまりの種類の多さにビックリしています。
鉄道趣味の世界は、どうしても「専門分野」に
特化しがちになりますが、
今回はいい刺激になりました。

2010年10月05日 9時03分

鉄道切手の世界Ⅱ

私にとっての最大の切手コレクションは
何と言っても1972年(昭和47年)の
鉄道100年記念切手。
などと大見得を切るほどのことでもなく
単に「FIRST DAY OF ISSUE」があると
いうことだけのことで恐縮です。

左側の図案は、鉄道がはじめて開業した
「新橋ー横浜」の蒸気機関車。
右側の図案は、C622号機「スワローエンジェル」です。
そしてスタンプは東京駅で日付は『47.10.14』で
要するに鉄道記念日(当時の言い方)です。

それにしてもこの頃、私は浪人中でどうやって
この切手とスタンプを手にしたかの記憶が定かでは
ありません。(既に毎度お馴染みの言い訳ですね)

多分、切手は名古屋の郵便局で購入し、
スタンプ付きの方は中学か高校の同級生に頼んで
購入してもらったか…、
そう言えば名古屋駅かその隣の名古屋中央郵便局で
出張販売があったのかもと思い始めました。

ところでこの「鉄道100年記念」では
もう一つ「山陽新幹線」の図案もあり、
こちらは私はシートでなく、1枚(単体)で
持っています。

切手の趣味はなくとも、「鉄」が絡むと
心が穏やかではいられません。

2010年10月04日 18時24分

鉄道切手の世界

鉄道を趣味にする方の中で、「鉄道切手」の収集を
している方はあまり多くはないのではと
個人的には思っています。
私自身は、昭和40年代~50年代にかけて発行されたものを
少しだけ持っています。
(余談)
 私が小学生~中学生だった昭和30年代~40年代頃は
 クラスに何人かは必ず切手収集をしている人がいました。
 但し、「鉄道切手」に絞っている人はいなかった???

今日の写真ですが、私は仕事柄、毎年3月末・9月末は
決算の関係で、各所から請求書を送ってもらいます。
で、とあるタレント事務所さんからの封筒に
貼られていた切手がこれで、
日本郵便(郵便事業株式会社)が今年の6月1日に発行した
「ふるさと心の風景 第7集」(1シート10枚)の
1枚です。
原画作者は『原田泰治(はらだたいじ)』さん。
タイトルは「白糠線」。
※白糠線はご存知の通り、根室本線の白糠から分岐していた
 ウルトラローカル線で昭和58年に廃止されています。

実は、写真の左半分が黒くしてありますが
ここにも“絵”があり、それを含めて1枚の絵なのです。
※元の構図は、日本郵便のHPでご確認下さい。
分かりにくい話で恐縮ですが、
つまり原田さんが描かれた5枚の絵があり、
その1枚の半分ずつが『80円切手』となっているのです。
しかも黒塗りの左半分には「鉄道」は描かれていません。
また、他の4枚の原画についても「鉄道」風景はなく
この切手が私の手元に届いたのは正に1/10の確率であり
如何に偶然の産物であったかに
私はちょっと感動してしまいました。

ひょっとして私の「鉄」心が呼び寄せた???

(補足)
原田泰治さんは鉄道のある「ふるさとの風景」も
多数描かれており、私の敬愛する画家の一人です。
長野県諏訪市にある「原田泰治美術館」には
一度行ってみたいと思っています。

2010年10月04日 9時00分

鉄道グッズは旅の思い出

最後にこの時の旅の思い出たちです。

2階建て路面電車のモデルは「クライチ路面電車博物館」。
真ん中の2つは、「ブラックプール市電」と
「ユーロスター」のマグネットです。
コースターは、「ロムニー、ハイス&ディムチャーチ鉄道」の
グッズです。

「クライチ路面電車博物館」と
「ロムニー、ハイス&ディムチャーチ鉄道」は
ちゃんとした売店があり、実に様々なグッズを揃えており
限られた予算の中で選択に困るほどでした。
また、ユーロスターのグッズは「ウォータールー」駅の
売店に並んでおり、前の2者ほどではないものの
選ぶ楽しみはありました。

驚きなのは「ブラックプール市電」。
市電の停留所に近い観光案内所でグッズを売っている場所を聞き
確か市庁舎の一角にあったかと記憶しています。
当時、日本では『公営』交通機関による
グッズの製造販売はそれほど多くなかったと思いますが
ここは違って少なくとも「選ぶ楽しみ」があるほどは
揃っていました。

さて、写真のグッズたちの今ですが
2階建て路面電車のモデルは棚に鎮座しています。
他は日常使用でマグネットは冷蔵庫にくっついています。

(完)

2010年10月03日 18時02分

ユーロスター パリ北駅に無事到着

平成17年10月26日、
「ユーロスター」は無事「パリ北」駅に
30分以上遅れて到着。(確か、15時前くらいだった)
●やっと写真を撮影!

それにしても乗って走り出せば
後は列車に全てを任せるしかなく
のんびりと「機内食」ならぬ「車内食」を
楽しんだりしていました。

今はイギリス国内も全線高速化されていますが
当時はかなりの区間をゆったり走っており
それはそれでイギリスの風景を楽しむ余裕もありました。

でも、トラブルはまだまだ続く。
翌27日、パリ発名古屋行きのJAL便(当時はあった)まで
時間が合ったので、地下鉄利用で市内観光をしていました。

いやな予感はあったのですが、何と地下鉄車内で
3人組のスリと格闘する羽目に。
彼らの手口は、駅で待ち構えていて
扉が開いた瞬間に乗り込み、“カモ(観光客)”を見つけると
手足を押さえつけ財布を盗み、かつ扉が閉まるまでに
電車から降りると言うものでした。

早業と言えばそれまでですが、彼らにとって残念だったのは
相手が私だからとは言いませんが、反撃されて
何も収穫が無かったことです。(何も盗られなかった)
私はケガとかしなくてまずは幸いでしたが
その直後に他の乗客から「気をつけたほうが良い」と
言われましたが、注意して防げるものでもないですし…。

(おまけ)
シャルル・ドゴール空港の案内所で、
『日本の名古屋に向かうJAL便はどのターミナルから
出発するか』と聞いたら、「名古屋」は知らないと言われ
何も教えてもらえませんでした。つくづくトホホ。

2010年10月03日 9時00分

いざ、ユーロスター

平成17年10月26日、
この時の「鉄」旅の締めくくりは「ユーロスター」。
当時、ロンドン側の起点は「ウォータールー」駅。
そこからの列車は9018レ、席は12号車の41番でした。
「ウォータールー」駅発10:40
「パリ北」駅着14:17

ところでこの写真、「ウォータールー」駅なのですが
エスカレーターは止まっているし、
エスカレーターの所に黄色いコートの人たちの姿が…。

この日、私は10時前に「ユーロスター」へのチェックインを
済ませ、荷物検査もパス。待合室で出発を待っていました。
ところが…。
突然、早口な英語のアナウンスがあったかと思ったら
売店のシャッターが一斉に閉まり、その従業員の方や
乗客の方たちが足早に改札の外に出始めました。
事態が飲み込めていない私はその集団についていくのが
やっとでした。
その時、私が思っていたのは「爆発物の発見」でした。
何せその頃、ロンドンでは実際に爆弾テロもあったからです。

で、私がこの写真を撮影した改札等のあるスペースは
既に検査を済ませた乗客と駅の関係者以外立ち入り禁止。
そのためエスカレーターも停止していたわけです。
(写真の右側は沢山の人がたまっています)

さて、この騒動の原因ですが、荷物のX線装置の
コンピュータートラブルとのことで、
最悪の事態ではありませんでした。
(まあ、比較の問題ではありますが)

確か11時前には無事に『駅』が動き出しましたが
今度は、列車に早く乗れとなって
この駅での「ユーロスター」の撮影は諦めました。

『旅はトラブル!!』

2010年10月02日 18時35分

もう一度行きたい「RH&DH」

ロムニー、ヒース&ディムチャーチ鉄道。

軌間381ミリ。
全長13.5マイル(約21.7キロ)。
全線通しで乗車すると1時間強。

乗っている間が楽しいかと問われれば、
「楽しい」と言えば「楽しい」けど
それは単に小さな鉄道に乗っているという
満足感がもたらしてくれるもので
「乗る楽しみ」とは少々違うかもと思った次第です。

でもこの鉄道で働く人たちは
この写真の機関士さんを代表するように
本当に「お客さんに楽しんでほしい」と思っているように
感じられました。

それだけでもこの鉄道に乗ったことを
「本当に良かった!」と素直に受け止められました。
ディズニーランドを始めとしたテーマパークでは
ホスピタリティこそが全てとされていますが
公共鉄道とは言え、やはり観光鉄道の側面が強い
この「RH&DH」も同様。

私がもう一度「RH&DH」に乗ってみたいと思ったのは
正にこの機関士さんにカメラを向けた時のような気がします。
ひょっとするとこの鉄道に乗りたいというよりは
この機関士さん(たち)にもう一度会ってみたいと
思ったのかもしれません。

「RH&DH」完。

2010年10月02日 9時01分

「RH&DH」ニュー・ロムニー駅

私はあまり深く考えることなく
「RH&DH」のニュー・ロムニー駅で
一旦、下車しました。

予想通り列車は20分ほど遅れており、
時間も午後1時近くなっていたため昼食を
取る事にしたのです。

下車して分かったことは「RH&DH」の中心駅は
最初に乗車した「ハイス」駅ではなく
この「ニュー・ロムニー」であること。
機関区があるだけではなく、
軽食を出すカフェがあり、
土産物を売るギフトショップも小さいながら充実しており
日本の“鉄”友用に「RH&DH」グッズを何点か
購入しました。

もしも時間が許すならばこの駅で下車し
一本遅い列車に乗車しても後悔はしないと思います。

(こぼれ話)
ここのカフェで私は「チーズバーガー」を注文しました。
ところがこれが店員さんに通じない。
「はあっ~」とため息をつく店員さんから
他の店員さんに変わったところで問題は解決。
何となくの雰囲気でしか分かりませんでしたが
どうやら最初の店員さんは私の“ひどい発音”の英語を
聞く気が無く、『分からない』と思い込んでいたようでした。
次の店員さんは一発で「チーズバーガー」を
分かってくれ、かつ、前の店員さんに何か文句を言っていたので
私としては救われた気がしました。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2010年10月
« 9月   11月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!