2010年11月09日 18時05分

「箱館ハイカラ號」ブリル台車の乗り心地

生まれて100年、そして大正7年からこの函館の町を
走り続けている米国「ブリル社」製台車(ブリル21E-1)。
「箱館ハイカラ號」で唯一“作り物”ではない部分です。
※とはいうものの、車内も17年の年月が
 適度にいい味を出し始めており、
 磨き上げた100年モノという雰囲気が無きにしも非ずです。

さてそのブリル台車の乗り心地の話しです。
単車ゆえの“揺れ”の問題はさておき、その乗り心地を
上手く表現できないのがもどかしいですが、
レールの上を行く車輪の硬さは直接体に響く感じなのですが
一方、車輪と車体の間では、
思ったよりも柔らかい感じで
それも「フワっ」とした印象でした。
※表現に矛盾と無理がある、どうしよう…。

函館市電で私が乗った他の形式と比較するなら
3000形や8100形が大人の乗り心地とするなら
『39号』は、駄々っ子と言えばニュアンスが
伝わりませんでしょうか?
(やっぱり無理ですね)

結局、一言で言えば、単車なので横「揺れ」は
如何ともしがたいが、縦「揺れ」は思ったよりも
『ばね』が吸収してくれているかなといったところです。
あくまでも私の感想です。悪しからず。

それにしても100年前の機械が現役で動くのは
鉄道ならでは。
やはり私が愛するだけのことはあります。

◆写真は、「函館どつく前」~「大町」間。

2010年11月09日 8時06分

「箱館ハイカラ號」湯の川停留所で出発準備。

「湯の川」停留所で出発を待つ「箱館ハイカラ号」です。

函館市電のHPでは、この「箱館ハイカラ號」の
「湯の川」到着は9:03、
「函館どつく前」行き出発は9:06となっており、
一見、余裕はありそうに見えますが、
実態は停留所到着~降車(この便の下車客はゼロ)~
運転士さんと車掌さんの前後交代~乗車~出発は
結構慌しく、カツカツの時間でした。
かくして、ハイカラ号の細部の写真を撮ることも無く
私はハイカラ号の乗客となりました。

明治43年(1910年)生まれのこの電車、
今年は生誕100周年のおめでたい年です。

ところで、鉄道誌や旅のガイドなどで何度も
この電車を見ているのですが、実物を見て初めて
「ダブルポール」だったんだと気付きました。
(「今更?」と言わないで下さい)
平成5年に車体が復元された際に、
往時の姿を忠実に再現されているそうですから
ダブルポールが主流だった時代に現役だったことが
窺い知れました。

実際に集電しているZパンタの陰で
あまり注目を浴びていないようでしたが
私の「鉄のツボ」にはストライクでした。
※同じ現役という意味では、
 明治村のN電は「シングルポール」なので好対照です。
 そう言えばもう何年、明治村に行っていないのだろう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!