2010年11月13日 17時58分

「操車塔」から「トロリーコンタクター」へ。

「操車塔」に取って代わったのが「トロリーコンタクター」と
言ってもあながち間違いではないはず。
今や全国、どこの路面電車でも見られます。
●写真は函館市電の「十字街」停留所にあるもの。
 「函館駅前」方面から「谷地頭」「函館どつく前」方面への
 分岐に使用されています。

ここの“トロコン”(以下、略させてください)の扱いですが、
電車は「十字街」到着時、左側のトロコンの更に左側に停車し、
乗降が終わると左側のトロコンをまずたたきます。
その上で、歩道上の電柱に設置された
進行方向を示す表示灯を確認し、
例えば「谷地頭」行きならば、『左折』表示がでたら
少し前に進んで右側のトロコンをたたきます。
そうすると道路信号のタイミングでポイントが切り替わり
「谷地頭」方面に進行することとなります。
(多分合っているはず)

ただそれだけのことですが、この一連の動作を見ているのは
意外と飽きません。

名古屋駅の様な大駅の複雑な信号とポイントの動きは
それはそれで魅力的ですが、間近に見ることが出来ません。
でもトロコンのシンプルさは目の前の出来事です。

函館でなくても結構ですので、
まだトロコンをちゃんと見たことが無い方は
一度観察してください。
病み付きになること請け合いです。

2010年11月13日 8時28分

「十字街」停留所に今も残る操車塔。

函館市電「十字街」停留所に今も残る『操車塔』です。

「操車塔とは?」と言って説明するのも
釈迦に説法かもしれませんが、市電の信号所にあたるもので、
分岐する路線のある停留所で
到着する電車の系統・行き先を確認しながら
ポイントの切り替えなどをしていました。
昭和の時代、日本中の至る所にあったはずです。
大体は大きな交差点の全方向が見渡せる場所に
この写真の様な「塔」がすっくと立っていました。
※今時「すっくと」という表現は死語ですね。

この「十字街」の操車塔は、昭和14年に建てられ
平成7年まで使われたのち、同年現在地に移動した上で
形態保存しているとの事。
函館市による案内板では「現存する国内最古」とされており、
私は、「国内最古」よりも「現存する」という言葉に
未だ「操車塔」が函館市電以外にもあるということが
驚きでした。それにしてもどこ?

それはそれとして、この写真を撮影している時に
思わぬ事態が…。
というほどのことでは無いかもしれませんが
「鉄」ではない観光客の方たちがこの「操車塔」の写真を
撮っているのです。勿論中高年以上の方たちで
“懐かしいね”“こんなのあったよね”という言葉とともに
でしたが…。確かに「ノスタルジー」の対象なんですね。

ところで「操車塔」で私に馴染みがあったのは
高校通学で毎日乗降していた名古屋市電の「桜山」停留所。
先週、『名古屋レール・アーカイブス』の方たちと
この「操車塔」話しをしていたのですが、
名古屋市内では、「桜山」の他に「今池」「高辻」「沢上」
「笹島」などなど“あったよね”と盛り上がりました。
※高校生の頃は「操車塔」という名称を知りませんでしたが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!