2010年11月20日 8時45分

昨夕と同じく、昭和47年2月29日の名古屋市電、
「鶴舞公園」電停です。
改めて写真を見てガッカリしたことが一つ。
この当時、この電停では安全地帯に辿り着くのに
歩道橋しか選択肢が無かったんですね。
高齢者や乳幼児を連れた方、障害のある方には
さぞかし優しくない状況だったでしょう。
当時(今もそうですが)が、如何に車優先の社会であったかが
見て取れます。
●一方で当時、私はこのように道路を横断せず
立体交差で、歩道橋から直接安全地帯に下りるスタイルは
もの凄く新しく、先進的でかつ安全であるとさえ
思っていました。
確かにこの写真には“大都会”の香りが漂っています。
(私だけ?そう思っているのは…)
昨今の市電(=路面電車)は
低床化などバリアフリー化が進み、
弱者に利用しやすい移動手段として、特に欧米で評価され、
日本でもその方向で進歩しつつありますが、
この時代はそのような事に思い至ることはまだまだあり得ず、
何しろ、市電に乗る際の段差に難渋する
お年寄りの姿を見ることは日常茶飯事でした。
(これは低床化されていない市電では今も見られますが…)
それはさておき、右側の1台目は1601号の
『34』号系統(東新町⇒堀田駅前)。
2台目は殆ど姿形は見えませんが
1433号の『35』号系統(東新町⇒港東通)。
左側の車両は1437号で「臨時」。
※最終日とあっての「臨時」だったと思われます。