2010年11月15日 18時15分

DE15のラッセルヘッド。

(写真は、2010年「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

写真のDE15のラッセルヘッドは、
今年の2月、「JR北海道釧路支社」と
「くしろ圏広域観光推進コンソーシアム」が共催した
『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアーで、
JR北海道釧路運輸車両所を訪問時に撮影したものです。
このブログでは、このツアーの様子を2月下旬~3月上旬で
UPしたのですが、JR北海道釧路運輸車両所の話題は
UPしていません。
当時は、このブログを始めたばかりで
毎日どんな内容を書けばブログとして皆さんに
楽しんでもらえるのかと、もの凄く不安な日々を送っており、
そうこうしているうちにUPする機会を逸してしまいました。

話しを本題に戻し、改めての確認ですが
写真は「DE15 2510」のラッセルヘッドです。
その右端の真ん中より少し上に、グレーのカバーが
掛かった部分があるのを確認できますでしょうか?

ここにDE15機関車との連結器があり、
昨日・今日UPしている「DE1(空白)511」が
本当にDE15なら、その空白部分に連結器があって
機関車とラッセルヘッドが繋がれることになります。
※ご存知の方も多いと思いますが、DE15と
 そのラッセルヘッドの連結は一箇所だけではありません。

正直に白状しますと、私はラッセル等の除雪車両は
決して詳しくはなく、
釧路運輸車両所でこのラッセルヘッドを見ていなければ
「DE1(空白)511」が「DE15」とは思わず
『“変な”DE10』で終わっていたと思います。

2010年11月15日 9時00分

北海道鉄道博物館「DE1(空白)511」の裏側

「DE1(空白)511」の裏側という“タイトルは
何のひねりも無く、写真の通り、本当に裏側です。
そして昨日書いた通り、単なる鉄板1枚の表裏であり、
「だから何なのだ」とさえ言いたくなる世界です。

さて私・個人の問題ですが、少し変わった所に拘る性癖があり、
“表”側を見るのも好きですが
実はこうした“裏”側を見るのが大好きです。

まあ、普段見られないところを見るのは楽しいというか、
はたまた怖いもの見たさというか、
例えば鉄道会社の整備工場を見学に行ったりすると、
『興味津々』でピットに入って車両を下から眺めたりすれば
必要以上に写真を撮ったりしながら
『至福の時間』を過ごしています。
(まあ「鉄」ちゃんにありがちな行動とも言えますが…)

話しをDE1(?)の裏側に戻しますが
やはり普段、見ることはありませんし、
この状態は「解体」しない限り臨めません。

それにしてもあまりのシンプルさに少々驚いたというのが
本当のところで、考えてみればこれで当然なのですが
瞬間、そうした当然の思考が止まっていた自分が面白いと
自己分析をしてみました。

(追伸)他の展示物は、是非、ご自身でお確かめ下さい。

2010年11月14日 18時59分

北海道鉄道博物館に行って来ました。

10月30日(土)、31日(日)の2日間の
北海道「鉄」生活は、ある種「宝の山」状態でしたが
いよいよそのトリを飾る『北海道鉄道博物館』です。
※『宝の山』は、一寸(ちょっと)どころか
 相当に大袈裟な表現ですね。失礼。

ということで、函館駅前の「WAKO」6階に
今年の4月オープンしたばかりの
『北海道鉄道博物館』と、炭鉱トロッコ列車を紹介します。

この博物館は、鉄道ショップでは多分、日本最大手の
「カラマツトレインMEGA函館店」の中に
あるというのがその立地についての
おそらく正解な表現であろうと思います。

なお、名前は“北海道”とは謳っていますが
少々誇大であるという印象は、多分、
ここを訪問した全員が同じ感想を持つのでは?
但し、これは見ての“満足感”とは別物でして
その展示物は昭和が満載で、私は結構楽しめましたし、
入場券の500円は十分に価値があったと思っています。

小さいながらも“北海道”をテーマにした収集は
結構頑張った印象で、これからの更なる展示物の向上にも
期待が持てそうです。
でも笑っってしまったのは写真の博物館の入り口に鎮座まします
『利尻』のヘッドマークをつけたDEです。
(見えている部分が全てで、そこから先は何も無し!!)

このDEは一瞬、『DE10』かと思ったのですが
よく見ればナンバープレートの真ん中部分に何もなく
「DE1(空白)511」しか数字はありません。
で考えるにつけ、こういうナンバープレートの
形態になりうるのはDE15のラッセルとの連結器が
あったが故としか思えず、私はこのヘッド部分は
「DE15 1511」のものであるという
結論を導き出しました。
※博物館に確認を取っていませんので、正解どうかは不明。

『北海道』らしさを演出することを考えれば
雪国限定機関車のDE15の展示は納得できます。
(この機関車が「利尻」を牽いたかどうかは別にして…)

2010年11月14日 9時01分

函館市電「十字街」の表示灯。

写真は昨日UPしたトロリーコンタクターの話しの中で書いた
「進行方向を示す表示灯」がこれです。
※この表示灯の“正式名称”は何て言うのでしょうか?
 ご存知の方は教えてください。

この表示灯は、「函館駅前」方面から「谷地頭」
「函館どつく前」方面行きに乗車した場合、
「十字街」に到着する電車の停車位置の左側、
道路を挟んだ歩道上の電柱に取り付けられています。

『系統確認』と書かれたボードの右上の表示灯が
如何にも“左”折の雰囲気がありありですが
この表示が出ているときに電車のパンタグラフが
トロリーコンタクターを叩くと
ポイントが切り替わり、
電車は「谷地頭」方面に回っていくことになります。

参考までに右側の表示灯が何となく「直線」なのが
分かっていただけますでしょうか?
この表示灯がONとなれば「函館どつく前」方面に
進むことになります。

ただそれだけのことを何故今回書いたのか?

その理由は『系統確認』と書かれたボードの
右側には、上下2段に同じ表示があります。
ところが私が見ていたのが短い時間だったので
単に私の思い込みかも知れませんが
下段の2つの表示灯は点灯しませんでした。

このブログをお読みの方でこの辺りの事情に詳しい方、
是非、コメントへの書き込みをお願いします。

2010年11月13日 17時58分

「操車塔」から「トロリーコンタクター」へ。

「操車塔」に取って代わったのが「トロリーコンタクター」と
言ってもあながち間違いではないはず。
今や全国、どこの路面電車でも見られます。
●写真は函館市電の「十字街」停留所にあるもの。
 「函館駅前」方面から「谷地頭」「函館どつく前」方面への
 分岐に使用されています。

ここの“トロコン”(以下、略させてください)の扱いですが、
電車は「十字街」到着時、左側のトロコンの更に左側に停車し、
乗降が終わると左側のトロコンをまずたたきます。
その上で、歩道上の電柱に設置された
進行方向を示す表示灯を確認し、
例えば「谷地頭」行きならば、『左折』表示がでたら
少し前に進んで右側のトロコンをたたきます。
そうすると道路信号のタイミングでポイントが切り替わり
「谷地頭」方面に進行することとなります。
(多分合っているはず)

ただそれだけのことですが、この一連の動作を見ているのは
意外と飽きません。

名古屋駅の様な大駅の複雑な信号とポイントの動きは
それはそれで魅力的ですが、間近に見ることが出来ません。
でもトロコンのシンプルさは目の前の出来事です。

函館でなくても結構ですので、
まだトロコンをちゃんと見たことが無い方は
一度観察してください。
病み付きになること請け合いです。

2010年11月13日 8時28分

「十字街」停留所に今も残る操車塔。

函館市電「十字街」停留所に今も残る『操車塔』です。

「操車塔とは?」と言って説明するのも
釈迦に説法かもしれませんが、市電の信号所にあたるもので、
分岐する路線のある停留所で
到着する電車の系統・行き先を確認しながら
ポイントの切り替えなどをしていました。
昭和の時代、日本中の至る所にあったはずです。
大体は大きな交差点の全方向が見渡せる場所に
この写真の様な「塔」がすっくと立っていました。
※今時「すっくと」という表現は死語ですね。

この「十字街」の操車塔は、昭和14年に建てられ
平成7年まで使われたのち、同年現在地に移動した上で
形態保存しているとの事。
函館市による案内板では「現存する国内最古」とされており、
私は、「国内最古」よりも「現存する」という言葉に
未だ「操車塔」が函館市電以外にもあるということが
驚きでした。それにしてもどこ?

それはそれとして、この写真を撮影している時に
思わぬ事態が…。
というほどのことでは無いかもしれませんが
「鉄」ではない観光客の方たちがこの「操車塔」の写真を
撮っているのです。勿論中高年以上の方たちで
“懐かしいね”“こんなのあったよね”という言葉とともに
でしたが…。確かに「ノスタルジー」の対象なんですね。

ところで「操車塔」で私に馴染みがあったのは
高校通学で毎日乗降していた名古屋市電の「桜山」停留所。
先週、『名古屋レール・アーカイブス』の方たちと
この「操車塔」話しをしていたのですが、
名古屋市内では、「桜山」の他に「今池」「高辻」「沢上」
「笹島」などなど“あったよね”と盛り上がりました。
※高校生の頃は「操車塔」という名称を知りませんでしたが…。

2010年11月12日 18時00分

「函館市電」と言えば、やっぱり『らっくる』号。

函館市電のエースと言えば、今や「9600型」。

アルナ車両製で純国産、日本『初』の2連接型LRVです。
まだ2編成しかないので出会えれば“めっけ物”と
思っていたら、「函館駅前」で遭遇。
とはいうものの、JR函館駅の外形写真を撮影している最中に
気がつき、あわててダッシュで「函館駅前」まで行き
交差点を回っていく「らっくる」号(「湯の川」行き)に
ギリギリで追いつきました。

よってこの写真、このサイズでは多分ばれないと思いますが
手振れを起こしておりトリミングには堪えられません。
※手振れ補正も流石に追いついていない。

ということで私はこの車両に乗っていませんので
車内の様子はわかりませんが、
平成14年に登場した部分低床電車「8101」号は
たった1両しかないにも係わらず今回、何と2度も乗っており
その経験で言いますと、特にベビーカーの乗客には
低床電車は便利な足となっていました。
ただその場合、「8101」号の乗車ドアから乗り降り
することになるため、運賃の収受は、
乗車ドアからの下車後に、運転士さんのいる降車ドアまで
乗客が移動した上で行っていました。
「らっくる」号では、その辺りは改善されたとのことで
多分、スムースに乗降が行われているものと思われます。

函館市電は、市民のみならず“観光客”の足としても
定着しており、高齢の観光客の利用も多く見られたことから
今後、9600型が増備されれば
より利用しやすい交通機関としての
ポジションを確立できると感じました。

頑張れ!!函館市電!

2010年11月12日 8時33分

函館市電で「撮り鉄」に挑戦!

写真の撮影場所は、宝来・谷地頭線の「青柳町」停留所です。
ここからは、「箱館ハイカラ號」の話しから次に移します。

丁度ここが宝来町から来ても、
谷地頭から来ても坂の頂点にあり、
SLなら“峠越え”とか言って、給気運転から
絶気運転への変わり目ということで大騒ぎするのでしょうが、
路面電車では大したことはありません。
(給気とか絶気ってこんな使い方で良かったっけ?)

ただ車両の背景を殆ど空にできる場所は、
路面電車ではあまり多くはないのでは?と、
勝手に思いながら撮影していました。
所詮コンデジで、三脚も使っていないのでこの程度で
お許し下さい。

ところで写真の716号ですが、『函館競輪場』ラッピングの
「りんりん号」です。
正面の愛嬌のある顔は、正直言って“秀逸”と思っています。

競輪場そのものは、市電で行くには
ちょっと不便な場所にありますが
以前、“日本最北”の競輪場と聞きました。

たまたま私が商業テレビ放送の会社に勤務していて
なおかつこの電車を撮影したからですが
各地のラッピング車両、実は全国規模のスポンサーではなく
ローカルのスポンサーが主体となるので地域性が見られ
面白いものが多いのです。
※7月6日にUPした長良川鉄道然り。

この「りんりん号」も、『日本最北の競輪場』の
広告ラッピングだと思うと…、どうです?
少し見方が変わりませんか?

えっ!!変わらない!そりゃそうですよね・・・。

2010年11月11日 18時00分

「箱館ハイカラ號」谷地頭近くにて。

「函館どつく前」を9:54に出た「箱館ハイカラ號」は
「駒場車庫前」着10:35。
少し時間を置いて今度は「駒場車庫前」発11:05、
「谷地頭」着11:44のスジに入ってきます。
※写真は、折り返し「谷地頭」11:53出発直後。
 (「駒場車庫前」行き)
 電車の後方に「谷地頭」停留所が見えている。

その間、私は函館駅前の「WAKO」に開館した
『北海道鉄道博物館』に行ったりしながら
11:40頃、残りの「十字街」~「谷地頭」間を乗り終え
2度目の「函館市電」完乗を果たしました。

この時間になったのは、どうせなら「ハイカラ号」の
走行写真でも撮ろうと思ったからですが、
函館市電の撮影の名所といえば「函館どつく前」方面の
『坂』と『市電』と『海』の取り合わせ。
私は“乗り鉄”のついでということで
「山」をバックにしてみました。(お手軽コースですね)

【ここで書くのも何ですが…】
日本路面電車同好会の方を始め
路面電車マニアの方には「今更」と言われそうですが
「函館どつく前」の「どつく」の「つ」は大文字で
小さい「っ」では無いんですね。
※「1日乗車券」の路線図で“大文字”だと発見しました。
 なお、電車の「行き先表示」はどうみても「小文字」に
 見えますが気のせいでしょうか?
※国土交通省鉄道局監修の「鉄道要覧」では「小文字」です。

それと以前は、「函館ドック前」だったのが
いつ平仮名に変わったんだろうとか…。
※両方とも理由は改めて書くのもなんですが、
 旧「函館ドック」の社名変更によるとのことでした。

まあ、こっちに来て改めて発見することはあるもんですね。

「箱館ハイカラ號」の話しは今回まで。
雪が溶ける来年春、ブリル台車の『39号』は
再び元気に函館の町を闊歩していると思います。
『観光鉄道』の一つの在り方として、このハイカラ号は
まだまだ目の離せない存在です。

さて、函館市電の話しはまだまだ続きます。

2010年11月11日 8時58分

閑話休題、車掌鞄“萌え”。

「箱館ハイカラ號」は1回お休み。
私の車掌鞄(かばん)“萌え”話しです。
と、言っても持っているのは写真の2つのみ。

左側は、名古屋市電で実際に車掌さんが使用していたもので
記憶間違いでなければ、昭和49年の市電全廃後に
名古屋市が市電の備品を販売したことがあり、
そこで購入したはず。
※少なくとも今のようにマニア向け「鉄道用品」販売店は
 名古屋に無かった。

画面では確認できないと思いますが
真ん中に型押しされた名古屋市の市章がついています。

で、この車掌鞄を私は暫く使っていたのですが
元々ボロボロだったため勿体無くなってお蔵入り。
その時、“使える”車掌鞄が欲しいものだと思いました。

次に右側の車掌鞄ですが、プロ向けではなく、
一般の人向けに販売していたものを購入したもの。
既に何時何処で購入したのかも忘れてしまっていたのですが
何となく「仙台」で買った記憶が蘇ってきました。

そうであれば、今から17年前の平成5年2月12日、
仙台市営地下鉄の「八乙女」~「泉中央」間の延長区間を
乗りに行った時しか考えられません。
何故なら、車掌鞄を買う目的だけで
仙台に行くなど考えられないませんし、
一方で平成12年4月5日にもJR仙石線の
「仙台」~「あおば通」の延長区間を乗りに
行っているのですがそんなに最近ではないはず。

そして…、書いていて段々思い出してきました。
確か、仙台市で“本物”の「車掌鞄」を作っていた
『かばん屋さん』(今もあるのかな?)が、
その後も「車掌鞄」が欲しいというニーズに応え、
少量ではあるものの作っているという雑誌の記事を読み、
いつかは行ってみたいと思いつつこの日を迎えた…。
そしてその店を探し出し、
いつも在庫がある訳ではないとの説明も記事にあったのですが、
運よくこの「布」タイプの在庫があり購入した。
というのが顛末です。
※申し訳ありませんが店名を思い出せません。
 鞄には店の名前を記したタグもついていません。

何れにしろこの『車掌鞄』は2つとも私の宝物。
布製の方は“いつも”とは言いませんが時々、使っています。
(中には仕切りがいくつかあってさすがに実用的です)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!