2010年11月10日 17時58分

「箱館ハイカラ號」の車掌さん。

こちらが「箱館ハイカラ號」の車掌さんです。
(ブログへのUPの承諾を得て掲載しています)

今時、車掌さんが乗っている市電は
広島電鉄のグリーンムーバー他あることはありますが
極めて希少価値が高い存在です。

そんなことはさておきこの車掌さん、結構大変そうです。
まあ揺れる車内の立ち仕事というのは当然のこととして、
1)乗客が乗ると全員に下車停留所を聞いて、乗車券の発行。
  函館市電の乗車料金は『対キロ区間制』のため
  当然の事ながら均一制に比べ発券に手間がかかる。
  また観光客が多いのでその点も要注意。
2)案内放送は全て地声。
3)降車ボタンが無いため、乗客が下車する停留所を
  一応覚えていると見受けられた。
4)運転士さん側の出入り口は乗車専用で
  車掌さん側が下車専用のため、
  下車終了時には合図を運転士さんに送る。
5)途中の停留所で下車する人がいない場合は
  その旨の合図を運転士さんに送る。
6)観光客との記念写真撮影。
  ※乗客のかなりの人が、この写真の様な単独ではなく
   一緒に写っていました。
   『函館へようこそ』のプレートは車内に用意してあり
   必ずそれを持って記念写真に写っていました。
   まるで「函館」の観光大使ですね。
7)函館市内の観光案内。
  乗客から市電を降りてからの経路や、
  電車の時刻等の質問にも対応していました。

何もなれけば、車内と運転台を仕切る扉は閉まっているので
吹きさらしの今写っている場所にいるのですが、
乗客が少し動くだけで「用事があるのかな」と
直ぐに扉を開けるなどの反応をしていました。
※地厚のコートを着ていますが、それがなければ
 10月であってもとても耐えられません。
 運転士さんも同様にコートを着ていました。

参考までに私の“萌え”ポイントは、
昔ながらの『車掌鞄(かばん)』でした。

2010年11月10日 9時08分

「箱館ハイカラ號」の乗車券

平成22年10月31日(土)、
函館市電に乗った際に購入した2種類の乗車券です。

上は「市電1日乗車券」で、
下が「箱館ハイカラ號」の車内だけで発行される乗車券です。

お恥ずかしい話し、「箱館ハイカラ號」専用乗車券の存在を
私は知らず、観光客の方が購入しているのを見て、
『1日乗車券』購入後に、「箱館ハイカラ號」の乗車券を
車掌さんから購入しました。
※あくまでもハイカラ号専用で、他の市電には乗れません。

この日、私は「湯の川」発9:06に乗り、
そのまま「函館どつく前」(着時間9:50)まで乗り通し、
後は、後続の電車で「十字街」まで行き
更に「谷地頭」まで乗って、昭和53年9月2日以来の
「函館市電」完乗を目指していました。
そのため、先に1日乗車券を購入したもので
まあ、結果からいえばどちらにしても両方購入する
運命にはあった訳です。
※1日乗車券は、ワンマンなら運転士さんが、
 「箱館ハイカラ號」なら車掌さんが発券してくれますが
 日付が手書きのため少々時間がかかります。

因みに「箱館ハイカラ號」の乗車券のイラストは
函館市電のHPによれば
「みぶなつき」さんがデザインしたもので
『鉄道むすめ 柏木ゆの』という名前があり
「柏木町」「湯の川」の電停名からとっているそうです。

以前から「鉄」と「アイドル」系の親和性は
高いといわれていますがその典型の一つでしょうか。

えっ、私ですか?この年でなんですが「“萌え”ます」という
オチでよろしいでしょうか…。

2010年11月09日 18時05分

「箱館ハイカラ號」ブリル台車の乗り心地

生まれて100年、そして大正7年からこの函館の町を
走り続けている米国「ブリル社」製台車(ブリル21E-1)。
「箱館ハイカラ號」で唯一“作り物”ではない部分です。
※とはいうものの、車内も17年の年月が
 適度にいい味を出し始めており、
 磨き上げた100年モノという雰囲気が無きにしも非ずです。

さてそのブリル台車の乗り心地の話しです。
単車ゆえの“揺れ”の問題はさておき、その乗り心地を
上手く表現できないのがもどかしいですが、
レールの上を行く車輪の硬さは直接体に響く感じなのですが
一方、車輪と車体の間では、
思ったよりも柔らかい感じで
それも「フワっ」とした印象でした。
※表現に矛盾と無理がある、どうしよう…。

函館市電で私が乗った他の形式と比較するなら
3000形や8100形が大人の乗り心地とするなら
『39号』は、駄々っ子と言えばニュアンスが
伝わりませんでしょうか?
(やっぱり無理ですね)

結局、一言で言えば、単車なので横「揺れ」は
如何ともしがたいが、縦「揺れ」は思ったよりも
『ばね』が吸収してくれているかなといったところです。
あくまでも私の感想です。悪しからず。

それにしても100年前の機械が現役で動くのは
鉄道ならでは。
やはり私が愛するだけのことはあります。

◆写真は、「函館どつく前」~「大町」間。

2010年11月09日 8時06分

「箱館ハイカラ號」湯の川停留所で出発準備。

「湯の川」停留所で出発を待つ「箱館ハイカラ号」です。

函館市電のHPでは、この「箱館ハイカラ號」の
「湯の川」到着は9:03、
「函館どつく前」行き出発は9:06となっており、
一見、余裕はありそうに見えますが、
実態は停留所到着~降車(この便の下車客はゼロ)~
運転士さんと車掌さんの前後交代~乗車~出発は
結構慌しく、カツカツの時間でした。
かくして、ハイカラ号の細部の写真を撮ることも無く
私はハイカラ号の乗客となりました。

明治43年(1910年)生まれのこの電車、
今年は生誕100周年のおめでたい年です。

ところで、鉄道誌や旅のガイドなどで何度も
この電車を見ているのですが、実物を見て初めて
「ダブルポール」だったんだと気付きました。
(「今更?」と言わないで下さい)
平成5年に車体が復元された際に、
往時の姿を忠実に再現されているそうですから
ダブルポールが主流だった時代に現役だったことが
窺い知れました。

実際に集電しているZパンタの陰で
あまり注目を浴びていないようでしたが
私の「鉄のツボ」にはストライクでした。
※同じ現役という意味では、
 明治村のN電は「シングルポール」なので好対照です。
 そう言えばもう何年、明治村に行っていないのだろう。

2010年11月08日 17時38分

「箱館ハイカラ號」見参。

平成22年10月31日(日)、
湯の川温泉の宿を8時40分に出て
まずは「湯の川」停留所まで歩き、
そこで「箱館ハイカラ號」(車番39号)の到着を待ちました。

暫くすると「駒場車庫前」発「湯の川」行きの
「箱館ハイカラ號」が午前9時過ぎに姿を現し、
函館市電の主力700形(715)との2ショットをパチリ。
●撮影場所は、「湯の川」停留所直近。

こうして比べると、「箱館ハイカラ號」の方が、
背が高く細面、全長も短そうでこじんまりと見えます。
●「湯の川」停留所は、電車1両分の長さしかないため、
 715号「谷地頭」行きの出発を待ち、
 この後、徐(おもむろ)に「湯の川」停留所に
 入っていきました。

(「箱館ハイカラ号」諸元表)
●定員…33人(710形の約1/3)
 ⇒やはり少ないですね。
●全長…9,706ミリ(710形の約4/5)
 ⇒単車の割にはボギー車と比べ、意外と長い印象。
●全幅…2,286ミリ(710形より56ミリ狭い)
 ⇒運転台部分が細いのですが、
  客室部分は外側に膨らんでいるためか、
  710形と少ししか違わないのは意外。
●全高…3,750ミリ(他の車両より50ミリ高い)
 ⇒2重屋根だから高く見えるのかな?

ところで1372ミリという珍しいゲージを
東京以外で楽しめるのは函館だけなのですが
「39号」を見ていて、車体幅に比して
線路が広く見えたのは気のせいでしょうか?

2010年11月08日 8時42分

たまには観光写真。函館の夜景は美しい。

平成22年10月30日(土)、
函館駅に降り立った私は、
まっすぐ宿に入らず、夜景を見に函館山を目指しました。
※写真は17:33頃撮影しました。

函館駅前からは17:00発の循環バス『レクサ元町』に乗車。
このバス、函館駅から「ロープウェイ乗り場」を目指す場合、
一番歩かなくて良い選択肢なのですが、
直行ではないので少々時間がかかります。
しかしその分、函館市内の主な名所をグルッと一周していくので
今、函館にどんな観光名所があるのかよく分かりました。
それにしても私の知っている昭和の時代とは違って
どれだけ新しい施設が増えたかは驚きでした。
(平成14年は市内観光をしていません)

話しを函館山の夜景に戻しますが、
ロープウェイは待ち時間なし。
何故なら、時刻表記載の時間とは関係なく、
ひたすらピストン運転だったからです。
つまり、そうでなけれ捌けないほどのお客さんがいたからです。
(下り乗車時、夜景の見える麓側に陣取るのは大変です)
多分、函館にその時間滞在している観光客の殆どが
ここ函館山を目指していると思ったほど。

さて「夜景」を見て一言。「美しい」。
それ以上に形容する言葉が見つかりません。
※ナポリ・香港と合わせて“世界3大夜景”だそうですが
 少なくとも神戸の夜景とは張り合えそうです。

最近、「鉄」で出かけていると、こうした一般的な観光地には
行って楽しむどころか、足を向けることすらありませんが
今回だけは、「行って」「見て」本当に良かったと思います。
皆さん、たまには観光も良いですよ。(自戒の念を込め)

夜景を堪能した後、「十字街」から市電に乗車し、
「湯の川温泉」へ。
1泊2食、源泉かけ流し温泉付きで6800円の宿は…、
はっきり言って泊まって良かった!
●朝食にはお約束の「イカそうめん」もありました。

2010年11月07日 18時05分

キハ183系「北斗」で思ったこと。

5014D特急「北斗14号」は
長万部駅に15:27定時入線。
私が指定席よりも空いている自由席に
座るやいなや15:28定時出発。

進行方向左側に席を陣取り、
内浦湾(噴火湾)の向こうに見える駒ケ岳の雄姿に
しばし見とれていました。
※正式には「内浦湾」だそうですが、
 以前は「噴火湾」の方が通りが良かったような気が?
 そもそも「内浦湾」と言われてもどこにあるか
 パッと思い出しませんが「噴火湾」なら即OKです。
この後、駒ケ岳は暫く私の旅の伴でした。

とかしている内に、昭和52年2月24日に乗った
瀬棚線の分岐駅「国縫」はいつの間にか通過してしまいました。

話しは変わって、私としては、折角ここまで来たのだから
「森駅」から既に私の記憶の外となってしまっている
「砂原廻り」を選択したかったのですが
何せその場合、長万部発16:16、函館着19:29で
函館着の時間はともかく、夜の早い北海道では
景色は楽しむ時間帯ではないので諦めました。
というか、「北斗」が「森駅」に停車してくれれば
森発16:22の5886Dに乗り継げるはずで
函館着17:49なので、上手くいけば大沼辺りまでは
車窓を楽しめたはず。(ついでに「いかめし」も買えたはず)
何でこの「北斗」は「森駅」通過なのだと思っていました。
しょうがないのですが…。
※森駅通過直後、渡島砂原方面からの下り2843D
 森駅着16:11とすれ違ったので5886Dに
 絶対に乗り継げるはず。

などなどそんなことを考えているうちに
16:47函館駅に定時で到着しました。

2010年11月07日 8時53分

初「キハ150系」で、いざ長万部へ。

「キハ150 14」と「キハ150 17」の2連の
2940D(小樽発長万部行き)はニセコ駅発14:07。

SL牽引客車からDCに変わっても、
のんびりしたムードは変わりません。
※先頭のパノラマデッキ(?)や最後尾まで
 行ったり来たりしながら、コンデジで撮影している私と違い
 一眼レフで写真をずっと撮影していた
 「鉄」お父さんに振り回されている雰囲気の家族連れに
 妙に親近感を覚えました。以前は私もこうだった…。

「SLニセコ号」の折り返し駅「蘭越」を通り、
いつの間にかなくなってしまった
C62牽引の「急行ニセコ号」の撮影名所の下車駅
「上目名」の跡は『えっ、どこ?』状態で通過し、
その昔、私は乗りたいと思いつつ中学生ゆえ
その願いは叶わなかった寿都鉄道の分岐駅「黒松内」で
下り2943Dと交換。

息つく間もなく「蕨岱」「二股」と、
貨車駅舎の駅に連続して停車・・・。(車内から写真撮影)
函館本線山線はどこまで行っても見所一杯で
居眠りを許してくれません。
※「蕨岱」はよくある緩急車改造でしたが
 「二股」は貨車そのまんま。
 私にとってはちょっとした発見でした。

そして暫くすると進行方向左手から室蘭本線が近づいてきて
15:21、長万部に定時に到着。
心の栄養補給には丁度良い1時間強という時間でした。

さあここからは「北斗」で函館に一直線。
その前に、「長万部」発15:26の札幌行
「スーパー北斗」を見送りました。
今回も函館行きはやっぱり「北斗」。
つくづく「スーパー北斗」には縁が無い。
※10月22日にUPした「平成14年のSL函館大沼号」を
 ご参照下さい。

2010年11月06日 21時00分

C11のナンバープレート売ります。

今週水曜日に今年度の運転を終えた「SLニセコ号」ですが、
車内で『当日』使用した「ナンバープレート」「サボ」
「エンブレム」「車票」などなどの販売をしていました。
※写真の「ヘッドマーク」は販売の対象外。
※この件、ご存知の方も多いと思いますがお許し下さい。

因みに「C11 171」のナンバープレートは
限定1枚¥58,000.-。
「SLニセコ 10周年記念」サボは
2種類合わせて限定8枚で1枚¥3,000.-。
値段はまあ、納得の線でしょう。

これらを購入する権利は、下りの「SLニセコ号」に
札幌駅まで乗車しないともらえません。
なおかつ、小樽駅到着までに申し込みをし、
応募者多数の場合は抽選です。
ただ、下り「SLニセコ号」に札幌まで乗るかどうかは
思案の為所(しどころ)です。
下り列車の小樽駅到着は16:52で発車は17:42。
そしてDL牽引で札幌駅到着は18:29と
時間に相当余裕があるか、そもそも最終的には
例えば「ナンバープレート」を買う気満々で望まないと
私なんぞは乗るのに躊躇してしまいます。
まあ、上り列車に乗ったからそういうことになるのですが
それでもこの時期、小樽からは闇の中の運転で
景色は楽しめません。

例えば「C11 171」のナンバープレートは
“レプリカ”なら、JR北海道の通信販売で購入可能です。
『使用済み』だからこそ価値があるのですが
私は、この『使用済み』と『箱館ハイカラ號』を
天秤にかけ、結局後者を選びました。
●流石にナンバープレートは値段的に無理にしても
 サボと携帯ダイヤには心惹かれました…。

購入代金は無視したとして
皆さんならどちらを選択されますが?

(追記)
購入代金は現金だそうで、また持ち帰りが原則ですが
「ナンバープレート」だけは取り外した後、
梱包して宅配便で送ってくれるとのことでした。
もっとも「持って帰れます」といわれても重すぎます。

(お詫び)
11月1日にUPした「SLニセコ号に乗りました」の中で
『箱館ハイカラ號』の『箱館』を『函館』と書いていました。
このブログを書いていて「ンッ」と思い、
見直してみてミスを発見し修正しました。お詫びいたします。

2010年11月06日 8時50分

SLニセコ号が走る!

この写真、「SLニセコ号」ニセコ駅に到着と言ったら
多分信じてもらえると思いますが
本当はニセコ駅発13:08の札幌行の
「SLニセコ号」です。
『C11 171』はDE15が牽く4両の客車の
さらに後ろにぶら下がっている状態です。
※くどいようですが、C11が最後尾です。
※まあ、一番手前のポイントの向きでバレバレですね。

蘭越から倶知安まではこの状態で走り
倶知安でC11とDE15の位置を入れ替え
逆向きながらC11が先頭を走ります。

まあ、この写真は乗り鉄の細やかな抵抗と
いったところでしょうか?
※「昼食」と「温泉」の合間に撮影しました。
 13時頃、駅ホームに入った理由はこれ。

ところで、この写真を撮影をしている時に
私と似たような服装、つまりネクタイもOKなブレザーに
スラックスという出立ち(いでたち)のサラリーマン風の人が
やはりこの列車を撮影していました。
この方とは目が合い、互いの存在を確認していますので
向こうもきっと私のことをこう思っていたでしょう。
「出張帰りかな?」と。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!