2010年11月05日 12時06分

ニセコ駅からは「ニセコアンヌプリ山」が目の前に!

平成22年10月30日12:13、予定通りニセコ駅で下車。
この日は本当に天気がよく、改札を抜けて振りむけば
そこには「ニセコアンヌプリ山」が!
また、「ニセコ駅」の白を基調とした駅舎に
木々の紅葉が美しく映えています。

さて、まずは腹ごしらえ。
ここからはあまりに“お約束”のコースで恐縮ですが
ニセコ駅構内の「茶房ヌプリ」(写真では向かって1階左側)の
“カレー”(735円)に舌鼓を打ちました。
※カレーを食べながら釧網本線北浜駅
 「喫茶 停車場」のオムライスを思い出していました。

この後13時少し前、ニセコ駅ホームに一旦戻り
13時10分過ぎに、11月1日に書いた通り、
「ニセコ駅前温泉 綺羅乃湯」(入館料500円)の
露天風呂で、2940D長万部行きの
ニセコ駅発時間14:07をのんびりと待っていました。
※「駅前温泉」というネーミングが一昔前風で
 昭和世代の心をくすぐりますが、近代的な温泉施設です。

(駅前広場の橙色の正体は?)
駅前の広場の地面に転がっている橙色の何かに
お気づきでしょうか?
今や、ニセコ駅(ニセコ町)の秋の風物詩だそうですが
これはUPで見ればその正体はすぐに分かるのですが
小さいもので直径30センチ位、
大きいものでは50センチを超えていそうな『カボチャ』です。
駅構内にある町の観光案内所で聞いたところ
地元の方が家畜の飼料用に育てているもので
10月一杯、駅前などに展示(?)されており、
その後、牛や馬等の餌になるそうです。
※カボチャには絵や落書きがあり、
 楽しい展示になっていました。
 なお、人間の食用には向かない品種だそうです。

こうして季節感を堪能しながらの「鉄」旅は
まだまだ続きます。

2010年11月04日 23時15分

カンタス航空 エアバスA380。

先ほど、NHKのニュースで
カンタス航空(オーストラリア)の最新鋭機
エアバスA380がシンガポール・チャンギ空港離陸直後に
エンジントラブルを起こし、チャンギ空港に戻ったと
報じていました。
※写真は、オーストラリア・シドニー空港で
 たまたま撮影したカンタス航空のA380。
 ひょっとするとこの機体が事故を起こしたのかも
 しれません。
 撮影した時は、あまりの重厚感にただ圧倒されていました。

怪我人はいないとのことで最悪の事態は免れましたが
交通機関に事故は付き物で、絶滅は難しいようですが
特に航空機の事故は、鉄道・自動車に比べ
生命の危機に直結することが多く
本当にゼロになってほしいものです。

私は、自分の乗った飛行機が直接事故に遭遇したことは
ありませんが、機体故障が原因で、パリの空港で
24時間足止めとなった経験はありますし、
強風のため、名古屋空港で搭乗機が着陸を緊急で回避し
「タッチ・アンド・ゴー」をした経験があります。
また、取材でヘリコプター搭乗時に乱気流に巻き込まれ
パイロットの「駄目だ」と叫んだ声は今でも忘れません。

一方、鉄道では踏切事故に遭遇しています。
乗っていた電車が、急ブレーキをかけたと思ったら鈍い音がし、
踏切で車と衝突しました。
車の運転手の不注意が原因で死亡事故ではありませんでしたが、
折悪しく私の乗った車両(2両目)まで車の一部を
巻き込んでおり、その現場を目の前で見たものからすると
「電車が遅れて迷惑」レベルで受け止められるものでは
ありませんでした。
まして、こうした急ブレーキの経験は2度としたくありません。

事故は誰しも起きても構わないなどとは思ってはいないものの
それでも起きてしまいます。
少なくとも人為的な事故だけは完璧に防げる
方法はないものでしょうか?
A380の事故のニュースをみながら
そんなことを考えていました。

2010年11月04日 18時04分

SLニセコ号、倶知安駅から羊蹄山が!

10月30日(土)は本当に天気がよく、
倶知安駅からも羊蹄山がよく見えました。
●倶知安着11:46。
10分間の停車時間に、SLと羊蹄山の組み合わせが
撮影できるポイントを探しましたが
「SLニセコ号」の姿が今一歩ではありますが
跨線橋から撮影したこの写真がベストでした。
ホームからも羊蹄山は見えるのですが
駅の隣にあるパチンコ屋さんの看板がどうやっても写りこみ
上手くいきませんでした。
※「煙突のUPと羊蹄山」の組み合わせなら撮影できます。

ところで私が山線に乗ったのは過去2回。
昭和49年2月9日と昭和52年2月11日。
その2回目の時、岩内線に乗るべく降り立った
「小沢駅」に「SLニセコ号」は11:23着。
そこで2933D小樽行きと交換。
11:27に出発した後、
美しい紅葉の山並みが途切れ始めた時に見えた
羊蹄山の美しさに圧倒されました。

実のところ、北海道が北海道たるのは冬にあると
思い込んでいた学生時代の私の渡道はいずれも真冬。
白一色の世界で、今思えば、いつまでたっても
変わり映えのしない風景の中をひたすら列車に
乗り続けていました。

会社に入り、取材やプライベートで
“花”の夏や、“紅葉”の秋に渡道するようになった時、
『色のある世界』に触れて、自分自身の北海道への思い入れは
単なる「思い込み」であったと知らされました。

今はそんな感想を持った時より遥かに“大人”になりましたが
私の眼前に初めてその姿を現してくれた「羊蹄山」を
眺めつつ、色々と『昔』のことを思い出していました。

2010年11月04日 9時03分

余市のアップルパイは素朴な味。そして…。

余市の町はウィスキーやワインといったお酒だけではなく
リンゴの生産地としても知られています。
余市駅のホームでは地元の果樹園が作った
アップルパイの売店が臨時で出ており、
私も早速を1個買って車内で食べました。

ところで「SLニセコ号」の車内では
沿線の名物スイーツを車内販売しており
それにするか迷うところではありましたが
やはり「SL」と「旧型客車」の組み合わせに似合うのは、
『ホームの立ち売り』だよねとばかりに
この選択をしたのです。

そうそう、味は「美味しかった」です。
製造者が“果樹園”という、
それだけでもポイントが高くなってしまう私ですが
ケーキ屋さんのパイではなく、パン屋さんのパイでもなく
隣の“パイ作りが好きな”おばちゃん手製の
パイの味といったところでした。
アップルパイを食べながら私の「SLニセコ号」の旅は
まだまだ続きます。

『走行』しているというか、“そうこう”しているうちに
列車は然別駅を通過し、「山線」の「山線」たる区間に
入っていきました。
好天に恵まれ、紅葉も一段と美しく見えたこの日、
この辺りから撮り鉄さんたちが激増!!!!
C62が牽いていた「急行 ニセコ号」時代を
彷彿させる光景といっても過言ではありません。
銀山駅を通過するといよいよ「稲穂峠」越え。
ドラフト音からは既に限界まで力を振り絞っているC11の
喘ぎを感じ取ることが出来、
DE15の後押しがなければ満席の乗客を乗せて
稲穂トンネル直前で立ち往生するのではと思われるほどでした。
(ちょっと大袈裟でした。反省!)

2010年11月03日 17時11分

「SLニセコ号」余市駅停車中。

「SLニセコ号」は余市駅に10:30に定時到着。
ここで下り1931D小樽行きと交換。(写真)
※1931Dの余市発は10:32。

この駅では、SLニセコ号の全貌を撮影しようという方たちが
私も含めてですが下り線ホームに移動し、
ちょっとした「鉄」系中心の撮影会となりました。
●11月1日にUPした写真はそうして撮りました。

補足説明をすると、ここまでの札幌駅・小樽駅の停車中では
他の乗客を入れずにその全貌を撮影するのは極めて困難であり
この駅で初めて撮影可能となったといっても
過言ではありませんでした。
(これで側面も順光なら最高だったのですが)

ところで、「乗り鉄」をしていて最も撮影困難な写真に
『自分が乗っている列車』の走行写真があります。
で、今回、何とか不可能を可能にする方法は無いかと
智恵(というほどのものではありませんが)を絞ったのが
次のプランです。実際には私はチャレンジしませんでしたが…。
*札幌駅発8:31 「SLニセコ号」乗車
*小樽駅着9:16 「SLニセコ号」下車
*小樽駅発9:45 1934D倶知安行き乗車
*余市駅着10:08 1934D下車
 ●余市駅直近の場所で「SLニセコ号」走行シーンを撮影。
  但し、余市駅徒歩10分圏内。
*余市駅発10:40 「SLニセコ号」に再乗車

自分がやらずにおいてこう言うのも口幅ったいですが
何と『本当にやった人』がいたのにビックリ。
※その方に実際に撮った写真を見せていただきました。

2010年11月03日 9時04分

途中下車印といえば…。

多分、写真では何のこったか全く分からないかもしれませんが
昨日UPした中で「近年稀にみる出来事『途中下車印』」と
書きましたが、こちらは途中下車印で埋め尽くされた
「北海道ワイド周遊券」(注)です。
(注)券面での表記は『日本国有鉄道JNR北海道周遊乗車券』。

この周遊券は私が入社直前、『北海道の鉄道乗りつぶし』に
出かけた際に購入・使用したもので
昭和52年2月8日~27日が有効期間でした。

今回、ワイド周遊券の説明は省きますが、ざっくり言うと
この「B券面」で北海道内の全国鉄に乗ることが出来、
東京都区内(この周遊券の場合)まで戻ることが出来ます。
※急行の自由席まではこの周遊券だけで乗れたので
 夜行列車の自由席で連泊し、宿泊費を浮かす兵(つわもの)は
 結構多かった。私は精精3連泊が限界でしたが…。

で、当時流行っていた(?)のが、
駅で途中下車印を押してもらうこと。
※周遊券を出すだけで押してくれる駅と
 お願いしないと押してもらえない駅があった。
 この周遊券の途中下車印はお願いしたものも多かったですが
 途中からは見せただけで駅員さんが笑いながら押してくれた
 思い出あり。
※下半分の白い紙は、周遊券ではなく、
 周遊券を綴じこんでいたカバーの裏表紙です。
 券面が一杯になった時の裏技でした。

そしてこの途中下車印の数を自慢しあうのも
ユースホステルなどで出あった人たちとの語らいの
楽しみの一つでもありました。(「鉄」だけではなく…)
特に珍しい駅名を発見すると、
ただそれだけで話しが盛り上がった記憶があります。

(余談)
有効期間は“東京都区内発北海道”の場合で
20日間ありましたが、もっと長期の旅をする人も当時は多く、
無記名であったがゆえに、ユースホステルなどで
有効期間の残り少ない人が、まだまだある人にお願いして
周遊券を交換する光景はよく見受けられました。

2010年11月02日 17時36分

小樽駅の外に出ました。

「SLニセコ号」の小樽駅停車時間中に、
外に出てみました。
●どうでも良いことかもしれませんが、
 改札で函館までの乗車券を見せ「外に出たい」旨を伝えると
 「途中下車ですか?」と確認され、
 何と乗車券に「小樽駅」の『途中下車印』を押されました。
 近年稀にみる出来事であり、私にはとても驚きでした。

この「小樽駅本屋」は、この10月14日にJR北海道が
『北海道鉄道 130周年』を記念して制定した
「鉄道記念物」の内の『準鉄道記念物』に指定されました。
※昭和9年建造で、北海道最古の
 鉄筋コンクリート駅舎だそうです。

とはいうもののこの駅舎は既に平成18年、
「JR小樽駅本屋」という名称で、
国の登録有形文化財(建物)に指定されており、
建物の真ん中にある時計の下あたりに
文化庁の銘板もあります。
因みに銘板に記載の登録番号は
「第01-0067~0068」となっています。
何で、“~”が入った2つの番号が?

ご存知の方もいるとは思いますが
「0067」は『JR小樽駅本屋』の登録番号であり、
「0068」は『JR小樽駅プラットホーム』の
登録番号なのです。
今朝UPした「SLニセコ号」が停車していた
ホーム『4番線』がまさしく国の文化財なのです。

多分、この日も大多数の人があのホームに無意識で
立っていたと思われますが、
もう少し注目されてもよいだろうというのが
私の個人的な意見です。

2010年11月02日 8時06分

小樽駅でDE15は最後尾へ。

「SLニセコ号」は小樽駅『4番線』に9:16定時に到着。
早速、『DE15 1520』は切り離され
最後尾につけられたのは9:48でした。
それでも小樽駅の出発時間は10:01なので
余裕たっぷり。

ところでその間、『C11 171』は
どうなっていたかと言うと
大記念撮影大会となっており、
子供も大人もフロントデッキの
ナンバープレートとヘッドマークの横に立ち、
ニコニコ顔で写真を撮っていました。
恥ずかしながら“私”のように一人だったり、
グループみんなで写る場合は、
JR北海道の方が撮影してくれました。
因みに、“撮影大会”の大行列は
出発直前まで途切れることはありませんでした。
ひょっとして札幌駅では、
前にDLがいたりで撮影条件が悪いので、
45分間の停車時間は『機回し』のためというよりは
このためにあったのかも。
※上の文章で察しがつきますように、
 私も“やらかして”います。しかも撮影用の制帽付きで…。
※なお、同じ時間帯で「運転台」も開放されており
 私は「火床」の写真を撮影しました。

この列車のお客は、小学校低学年位の子供を連れた家族連れや
中高年のグループが多く見受けられ、
外国人(中国人)もいました。
で、「鉄」の方はと言うと意外と少ないというか
まあそうでなければ長続きはしないわけですから
健全な姿と感じました。
とは言うものの、お父さん「鉄」が、
子供に「SLカッコいいだろう」と半ば強要してるのは
ちょっと心がくすぐられました。(笑)

2010年11月01日 18時00分

SLニセコ号、札幌駅にて。

10月30日(土)朝8:18頃、
札幌駅3番線に「SLニセコ号」が入線しました。

もう少し早く入線してくると思いきや
出発の13分前は意外でした。
で、到着するやいなやC11の周りに人だかりが。
(写真は到着直後だったのでこれ位ですんでいますが…)
人気なんですね。

(SLニセコ号の札幌出発時の編成)
1)DE15 1520
●小樽まで先頭で、小樽で最後尾に付け替え。
●入線時に一見DE10と思いきやDE15だった。
 それにしてもDE15に牽かれるとは
 名古屋の人間にとっては興味深い。
2)C11 171
3)4号車 スハフ42 2071
4)3号車 オハフ33 3255(私が乗車した車両)
5)2号車 オハシ47 2001(カフェカー)
6)1号車 スハフ42 2261

札幌駅は8:31の定時に出発、一路蘭越を目指します。

札幌~小樽間はノンストップながら46分。
各駅停車と所要時間は大差ありませんので
その分、ゆったりと走ります。
銭函からの石狩湾の風景が、
電車乗車時よりも長閑(のどか)に感じたのは
気のせいでしょうか?

ところでこの『SLニセコ号』、この日は満席だったのですが
いつもこんな状況だったのでしょうか?
まあ、今年乗れるのがこの日を含め
残すところ3回だったからかも知れませんが…。

2010年11月01日 8時05分

SLニセコ号に乗ってきました。

札幌出張の仕事を終えて一夜明けた10月30日(土)、
札幌発蘭越行き9222レ「SLニセコ号」に乗りました。
※写真は、途中の「余市駅」にて撮影。

このSL列車の私の乗車区間は札幌からニセコまで。
●乗車券は、「札幌~函館本線経由~函館」。
昭和52年2月10~11日以来の山線乗車でした。

この列車の下車駅を「ニセコ」駅にしたのには
ちょっとした理由があります。

10月29日(金)の出張が決まった時に、
何れにしろ30日(土)、31日(日)の2日間で
北海道のどこかには行こうと私は考えました。

そして出た結論が「SLニセコ号」に乗り、
倶知安かどこかまで行って
後続の普通列車に乗り継いで長万部に抜け
更に函館まで行って、10月31日で今年の運行が終了する
函館市電「箱館ハイカラ號」に乗るというものでした。

前置きが長くなってきましたが
私は仕事で数多くの温泉に行きましたが
実はプライベートでも行ったりしています。
で、「ニセコ駅」で「SLニセコ号」から普通列車に
乗り継ぐことにしたのは、「ニセコ」駅前に
日帰り入浴の温泉があることを知ったからでした。

(プチ失敗)
今回、指定席券は名古屋市内の大曽根駅で購入したのですが
その際、指定席券の申し込み用紙に、
実際に乗車する区間「札幌」⇒「ニセコ」と書きました。
ところが駅員さんから“発券”できないと言われました。
その瞬間「しまった」と思い
駅員さんに「すいません。SLニセコ号の全席指定の区間は
倶知安まででした…」と区間の訂正を伝えました。

人間誰しも『ミス』はあります。(苦しい言い訳)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!