2010年12月03日 18時05分

シドニー路面電車博物館(13)博物館の心臓・工場

博物館の心臓部、整備工場を遠巻きに覗いて見ました。

左サイドの黄色と緑色のトラムは「1979号」。
●元シドニー市電の「R1」形、1936年製
右サイドの先頭にいる水色のトラムは「548号」です。
●元ブリスベン市電。
その他にも何両か入っていました。

整備工場はもう一棟あり、写真の整備工場で「動くトラム」の
整備を行い、もう一棟の方で「復元整備」を行っている
いるように見受けられました。

ただ私が行った日は、どちらも作業をしておらず
上記の役割分担の確認は出来ていません。

日本の地方にある中小私鉄の工場とほぼ同じと
思っていただければ間違いはないです。
それにしても大正~昭和のトラムが、短い区間とはいえ
今でも人を乗せて走らせているわけで
その保守点検整備のご苦労は尋常ではなかろうと察しています。

ただ現代の車両と比べれば、電子部品が無い分だけ
自前の復元を含む整備のみならず修理もやれるのでしょう。
日本(多分、海外でも同様?)では、
特に平成になってからの導入車両には電子部品が多用され
故障時に、その部品がブラックボックスとなっているがゆえに
自前での修理が叶わず、車両メーカーに修理を依頼する等
思わぬ手間が掛かっていることもあると聞いています。

技術の進歩はそれはそれで時代の必然であり良いことなのですが
この博物館(というより保存鉄道全般)を見ている限り
前時代的なオールドタイマーたちが
手間隙かけて動態保存されている状況を見るにつけ
“アナログ”製品ゆえの良さも感じました。
ただ修理できる“技術”の伝承は、“職人技”の伝承でもあり
多分、その点もこの博物館のボランティアスタッフの間で
行われているのだろうと推察しています。
※余談ですが、放送機器も以前は自社の技術スタッフで
 モノによっては修理をしていましたが、
 最近はメーカーの技術者による出張修理が一般的です。

この博物館に再度訪れる日が来ることを祈りながら
今回は筆を置きます。

2010年12月03日 9時00分

「マナカ」対応自動券売機?

昨日、会社帰りの名古屋市営地下鉄「八事日赤」駅で
自動券売機に“おやっ”?
ただ電車の時間が迫っていたので確認するのを諦め
まあ、明日でも良いかと思いつつその場を立ち去りました。

それが桜通線の「鶴里」駅で確信に変わりました。

自動券売機が、写真のように黄色が目だつ
新しいタイプに取り換えられていました。
「八事日赤」も「鶴里」もまだ1台ずつで
全面更新とはなっていませんがこれから増えてくるものと
思います。

普段、自動券売機は殆ど使わないので
この更新がいつ始まったか分かりませんが
何せこの色はとても目立つので、
上記の2駅では昨日・今日のことでしょう。

まあ時期が時期なので「マナカ」対応間違いなしですが
1)黄色のパネル部分に「ユリカ」の文字がどこにもない。
  早くも「ユリカ」非対応か?と思いきや
  “タッチパネル”のところに
  「ユリカ」「積み増し」の文字がありました。失礼。
2)券売機の「地下鉄一日乗車券」の下に
  黄色いテープで隠された何かの文字がある。
  ※ひょっとしてここに「マナカ」の文字が
   隠れている?
何れにしろ今日これからこの自動券売機で
乗車券を購入してみます。

●ところで名鉄はどうなっているのかな?
 明日は少し早起きして「名鉄経由」か?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!