2010年12月12日 18時04分

津軽鉄道「ストーブ列車」。

津軽鉄道の名物「ストーブ列車」は『津軽五所川原』を
11:40に出ます。
この日の編成は
1)DL…DD352
2)客車①ストーブ列車…オハ462
3)客車②ストーブ列車…オハフ331
4)客車③…津軽21形-105(太宰治 小説「津軽」号)

客車①は、観光バスのお客さんで半室貸し切り。
私も含めた個人の一般の観光客は殆どが客車②に乗車。
そして客車③は「ストーブ列車券」300円を
支払わなくても乗車出来るので、地元の方が乗っていました。

DLが牽引する客車はもう殆ど見かけることがなく
「門司港レトロ観光線」や「南阿蘇鉄道」位しか
思いつきませんが、やはり何れも観光列車です。

一方、「ストーブ列車」と言えば、
昭和59年に国鉄から転換した『樽見鉄道』が
当初、通学列車に客車を使用しており、
冬季に「ストーブ」で暖を取っていたことが思い出されます。

話しは脱線しますが、
当時、私は自分が担当していた「ズームイン!!朝!」で
この「ストーブ列車」を中継し、自社スタッフのみならず
日本テレビや系列各局のスタッフからも
“公私混同”(笑)と言われたことも懐かしい思い出です。
最近、「鉄」をカミングアウトする人が増えているようですが
私は自分が「鉄」であることを隠したことがありませんでした。

さていよいよ「ストーブ列車」に乗り込みです。

2010年12月12日 9時00分

昭和52年の津軽鉄道

平成22年12月6日の3つ目の目的は
「津軽鉄道」の『ストーブ列車』乗ること。
でもその前に、最初にこの鉄道を訪れた時の話しを。

今から33年前の昭和52年8月31日。
会社に入り、夏休みはどうなるのだろうと思っていたら
ちゃんと貰えて“素直”に嬉しかった記憶があります。
そして、東北地方の“乗りつぶし”に出かけました。

写真は上が「津軽中里駅」。下が「津軽五所川原駅」です。
この日、津軽中里発14:49、津軽五所川原着15:35頃で
津軽鉄道を完乗しました。
※発車時刻は駅で確認しましたが、下車時刻は…大体です。

「津軽中里駅」は、駅前のタクシーが時代を感じさせますが
それ以外はきっと今もこの姿なのでは?
「五所川原駅」は停まっている気動車がキハ24000形なのが
今は昔ですね。

と、ここまでは“素直”な話しですが、ここからは“ひねり”?
この鉄道の乗りつぶしですが、津軽中里から津軽五所川原です。
不思議だと思いませんか?しかも片道しか乗っていません。
津軽鉄道の場合、普通に考えれば入り口は津軽五所川原。
では私はどうやって津軽中里に行ったのでしょう?

この日、私は既に朝から大湊線、大畑線、津軽線に乗っており
三厩へは929Dで12:10の到着でした。
三厩着と前記の津軽中里発の時間差は2時間半あまり。
青森に戻っていてはこの時間で繋ぐことは不可能です。
ジャジャン!!それを可能にしたのは『ヒッチハイク』!
(今は聞かないですね。この言葉)
私は学生時代、まだ“乗りつぶし”を始める前から
一人旅をしている時に、よくヒッチハイクをしており、
三厩から津軽中里までの移動も躊躇なくこの方法を使いました。
実のところ、この時の記憶は殆どと言うより全く無いのですが
多分、3人(3台)位のお世話になったと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!