2010年12月18日 17時46分

弘南鉄道の入場券。

弘前ということで昭和52年に弘南鉄道に乗った当時の
入場券です。
私は「弘南黒石」と「中央弘前」で購入しています。
※今回は入場券を購入していません。

長く「乗り鉄」を続けていると『運賃変更』の押印は
そんなに珍しいものではありませんが、
さすがに『駅名』が押印という入場券は
私のコレクションでもこれ一枚です。

入場券を集めている方は多いと思いますので
もしもこうした事例をご存知の方がいらっしゃいましたら
教えてほしいのですが相当な珍品ではないでしょうか?

この存在は、多分、弘南鉄道の駅で入場券を
発行すること自体があまりにも少ないので
都度対応するための方策として生まれたのでしょうが
「国鉄~JR」のみならず、地方の小私鉄でも
有人駅で発行する入場券を含む乗車券類は印刷物だったので
「ここまで合理化するか!」という気持ちはさておき、
当時既に、止むに止まれぬ状況だったのかもしれません。
因みに裏面の発行「No.」は“0974”でしたので
それなりにこれが使われていたことがわかります。
※軟券乗車券で、発駅の部分がスタンプの事例は
 あったと思いますが…。

ひょっとして以前の入場券が無くなり、
新料金の入場券の印刷が間に合っていないための
緊急避難だったかもしれませんが…。

2010年12月18日 9時17分

閑話休題、弘前駅にて。

平成22年12月6日、津軽鉄道の「ストーブ列車」乗車後、
弘前駅に来たら、こんな可愛い模型が出迎えてくれました。
HB-E300系「リゾートしらかみ 青池」です。

横の看板に『リゾートしらかみ 青池ハイブリッド
12月4日DEBUT!』とありましたから
随分前から展示されていたものと思われます。

ちゃんと線路まで引いてあり、なかなかの力作です。
JRが作ったのか、それとも弘前市なり市民の方が
作ったかまでは残念ながら分かりませんでしたが
誰が作ったにしろ、この車両にかける地元の熱意を
感じずにはいられませんでした。
もう一つ言えば、「東北新幹線 新青森開業」への
期待感の表れかも知れませんね。
特に、模型もさることながら看板の“花”が
『青池』カラーというのも芸が細かくて好感が持てました。

私は車両(模型)だけを撮影しましたが、
『青池』と一緒に撮影している観光客の姿も見られ
ちょっとした名物状態でした。

弘前の町は、もともと津軽の中心地だったのですが
弘前県が青森県になりその中心は青森市に移っています。
しかし、青森県の国立大学は「弘前大学」だったりして
それなりに存在感はあるのですが、今一歩の印象は否めません。
こと交通に関しても、昭和の時代に地方都市と
東京を初めて結んだ夜行高速バス「ノクターン」号の
大成功が話題になりましたが、鉄道は地元の足ではあるものの
長距離の移動手段としての影は薄かったと言わざるを得ず
旅をする人にとって決して存在感がある町とは言い切れません。

それだけに今回の「リゾートしらかみ 青池ハイブリッド」は
鉄道活性化への“地元期待の星”かもしれませんね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!