2010年12月20日 18時09分

大鰐温泉から701系で秋田へ。

大鰐温泉から秋田へ701系に揺られて向かいました。
1664M「大鰐温泉」発15:06。「秋田」着17:25。

悪名高いというか、評判の悪さでピカイチの
ロングシート長距離普通電車に敢えて“挑戦”しました。
しかし“挑戦”などするものではないと直ぐに後悔しました。
それでもこの1664Mなどはまだ考えようによってはましで
同じ奥羽本線の650Mなど青森~秋田間を3時間超えの
ロングシートは考えれません。

この1664Mは「大舘」までワンマンで、
そこからは通学列車で込み合うため車掌さんのいる
ツーマン電車となります。
それにしてもそもそもワンマンの長距離列車も信じられません。
※ワンマンからツーマンに変身する電車への乗車は
 初めての経験でこれは「成程」でしたが…。

そのワンマン区間の「津軽湯の沢」~「陣場」間の
青森・秋田県境はほんの数人しかお客がおらず
だだっ広く、見通しの良すぎる車内は寂寞感が漂っていました。

一方、大舘から秋田までは断続的に高校生が乗り降りし、
座席に座りきれず秋田到着時も立っている乗客がいました。
客車列車の時代なら、採算性は悪いとは思うものの
多分4両以上は繋いでいたはずで、
立っている乗客はそんなにはいなかったのではないでしょうか?

結論…701系で長距離を乗り通すものではない。
ロングシートでは居場所が無く落ち着かない。
トイレに行くのも少々…。同じ701系でもセミクロスなら…。
もう笑っちゃうしかなかったですね。

しかし、驚いたことに私以外にサラリーマン風の方が1人、
大鰐温泉よりも前から乗車し、秋田まで乗り通していました。
私のような『モノ好き』で無いことだけは確かそうでした。

昭和52年頃は単線区間も多く、優等列車・貨物列車との
交換で時間はかかったものの、息抜きの時間はありました。
今や複線の多いこの線を突っ走る電車にはそんな余裕すらなく
ただただ乗り続ける“修行の場”でしかありませんでした。

まあ、元々長距離鈍行客車列車の多い路線だったことが
私の印象を作っていることは否定しませんが…。

2010年12月20日 8時56分

大鰐温泉駅のモニュメント。

最近、駅頭にその地に因んだモニュメントが作られることが
結構あります。

「大鰐温泉」駅では、大きなピンクの『ワニ』がお出迎え。
可愛くって面白くってなかなか良い感じです。
でも「作れば良いってもんじゃないでしょう」と
言いたくなるのがこのピンクの『ワニ』。(笑)

普通は何かしら「地元」に所縁(ゆかり)があるものが
多いのですが、ここのは地名「大鰐」と『ワニ』は
単なる語呂合わせとしか思えない。
そこで「大鰐」の地名がこの『ワニ』と関係するはずは無いと
感じた私は「大鰐町」の“町名の由来”を調べてみました。

ありました。大鰐町役場のHPに“町名の由来”が。
●そもそもはるか昔、大きな阿弥陀如来があった。
 これが大阿弥陀(おおあみだ)と呼ばれていた。
●その「おおあみ」が「おおあね」に変化。
●最終的に、『山椒魚=鰐(わに)』の大きなモノが
 棲んでいた伝説から『大鰐』の地名になった。
●江戸時代からこの「大鰐」の地名がある。
要約するこんな感じでした。

『どうせだったら「大きな山椒魚」のモニュメントしたら
良かったのに』というのは簡単ですが、
写真の様な“愛らしい”形状にすることは難しかったでしょう。

まあ、ご愛嬌ということで・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!