2011年01月11日 18時14分

ZIGZAG RAILWAY(7)トップポインツ信号所。

今朝の写真の“チラッ”と見えたホームの左側に
『トップポインツ』信号所があります。
上の写真が信号所外観。建物の雰囲気が如何にも欧米風ですね。

下の写真は信号所の中で、腕木式信号機の切り替えレバーを
操作しているのは“私”です。
このレバー、操作するのは当然のことながら
生まれて初めてだったのですが、とにかく“重い!”の一言。
下のレバーの底部の所に足をかけて
全体重をかけて初めて動きました。ふうっ。
いやーっ、それにしても「ワクワクドキドキ」の体験でした。

この切り替えレバー操作『体験』は、希望者全員が参加可能で
まずは鉄道のスタッフによる『信号所』の説明を聞き
スタッフによる見本操作を見た後で行うことになります。

最初にレバー操作を行うのは「子供」たちで
それから「大人」となります。
子供たちは大人の手を借りながら一所懸命チャレンジし、
とても微笑ましかったです。
恥ずかしがってやらなかった子供もいて、ちょっと意外でした。

何せ「信号所」の中は狭いので、最初、私は外にいたのですが
子供連れの乗客の方が私を中に呼び入れてくれ
私もレバー操作をすることが出来ました。
この写真もその家族連れのお父さんが撮ってくれました。
●一人で来ている日本人はどこからどう見ても「鉄」だと
思われたのでしょう。

「鉄」でなくとも、こうした“本物の体験”は
いい思い出になること間違いなしと感じました。
さすが“観光”鉄道ですね。

●「信号所」見学と「切り替えレバー操作」は
この日は、「クラレンス」から「ボトムポインツ」への
私にとっては帰路に行われました。
このブログでは、体験順ではなく行程順に紹介しています。

2011年01月11日 8時00分

ZIGZAG RAILWAY(6)スイッチバック。

「ジグザグ」というからにはやはりスイッチバック。

12:15に「ボトムポインツ」を出発したディーゼルは
程なく「Top Points(トップポインツ)」に到着。
※「トップ」と言っても最高地点はもう少し先?のような気が。

ここはもともと折り返しのための『信号所』だったと思われ、
手前の分岐器(以後、「ポイント」と書きます)ではなく、
向こう側のポイントがスイッチバックのための分岐で、
左側が今、上ってきた線路で、
右側が今から走っていく「クラレンス」方面になります。

ここのスイッチバックは、日本では一寸例えようがありません。
パターンとしては、豊肥本線の「立野」であったり、
木次線の「出雲坂根」と同様なのですが
これらが、比較的駅から近い地点で折り返して行くのに対し
“ジグザグ”では、優に一駅分の距離を走ってから
折り返すと言っても過言ではありません。
それ故列車同士の交換設備が現在も残っており、
またそれが、仰々しい『腕木式信号機』の並びにも
繋がってくる訳です。
そしてこの『腕木式信号機』は今も現役で使っています。

左にホームのようなものが「チラッ」と見えますが
降りられるように作られており、
乗務されている方が、ポイントと信号の切り替えのために
下車しており、この後、それぞれが切り替わり
再びディーゼルは動き始めました。

またこの写真を撮影した先頭車の貫通扉の「お立ち台」は
出入り自由で、私が立ち去ると運転士さんが他の乗客を
呼び込んでいました。
勿論、その乗客は大喜びでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!