2011年01月29日 17時38分

風前の灯!摩耶ケーブル(3)

『まやビューライン夢散歩』摩耶ケーブルの終点「虹の駅」から
「摩耶ロープウェー」を乗り継ぎ到着した
「星の駅」下車直ぐ目の前ある
摩耶山掬星台(きくせいだい)からの眺望です。

昼間でもこれだけの絶景ですが、
「手で星を掬(すく)える」という名前の由来の場所だけに
「100万ドル」ならぬ「1000万ドル」の夜景の名所だそうで
観光客もさることながら
市民にとっても昼は遠足、夜(?)はデートの名所であったりで、
“思い出”の多い場所のようです。

話しは脱線しますが、私は「高い所」から「下」を
眺めるのが好きで、戦国時代に武将たちが高い山の上に
お城を構えたのは、単に『守り』のためだったとは思えません。
(見当違い?)
子供達が小さかった頃は私が率先して大観覧車に乗ったり
飛行機だけではなく熱気球なども乗ったことがあります。
また、「鉄道の絶景ポイント」を問われた時には
「篠ノ井線の姨捨」「肥薩線の矢岳越え」を真っ先に挙げるほどで
私だけではなく、多くの方達の賛同は得られると思っています。
また高い所から“広い景色”を眺める観光地は日本だけではなく
世界中にあります。

さて話しがどう繋がっていくかと言うと
昨年の11月8日に、「函館山の夜景」の話しを書いていますが
乗客はとても多く、ロープウェイも最新式のものでした。

ここ「掬星台」からの夜景を、私は写真でしか見ていないのですが
それが『函館の夜景』に大きく見劣りするとは思えません。
勿論、乗り継ぎが必要で、一本で展望台に行けないと言う不利は
ありますが、観光地としての「神戸」の地位は低くは無いはず。
それだけに夜景(絶景)ポイントとしての「掬星台」が
世間にもっと知られ
「摩耶ケーブル」に明るい兆しが見えてくることを
既に手遅れの感が無きにしもあらずですが改めて願うものです。

2011年01月29日 8時36分

風前の灯!摩耶ケーブル(2)

摩耶ケーブルの車両は2両。
写真は1号車(ゆめあじさい)で、
私は2号車(にじあじさい)に乗ってこの写真を撮影しました。

昭和30年製ですので、「そんなに新しくは無い」どころか
半世紀を越えてなお現役の古豪です。
この辺りはやはり鉄道ならではですね。

車体には、動物たちの絵が描かれ、楽しい雰囲気を醸し出しています。
また、車両前面の窓下に、ヘッドマークの様なモノが
確認できると思いますが、1号車・2号車とも
「MAYA2001」の文字があり、
復活した「摩耶ケーブル」を象徴しているようです。

そんな「摩耶ケーブル」ですが、
神戸新聞の昨年10月25日の記事によれば、
昭和31年の年間99万人をピークに乗客は減り続け、
採算ラインが70万人にも係わらず、
一昨年の平成21年の乗客は27万人とのこと。
赤字は年間で1億円を超えているそうです。

このため、神戸市では平成23年度中にも
廃止の手続きにも入るようで、
住民や市議会議員から、存続に向けての要望も出されては
いるものの、見通しは決して明るくはありません。

「乗るなら今の内」等と言う発言は、
あまりにも「鉄」的な見方で、軽々に言うことは憚られますが
この「摩耶ケーブル」とその先にある「摩耶ロープウェイ」を
乗り継いで行った先の“摩耶山”は市民の憩いの場として
『思い出』を持つ方も多いようなので
今後の進展に目が離せない状況となっています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!