2011年02月04日 18時17分

立山黒部アルペンルート(2)立山ケーブル「美女平駅」。

平成6年7月5日、富山地方鉄道の「電鉄富山駅」発12:51に乗車。
「立山駅」着13:53.
立山開発鉄道「立山駅」発14:00に乗車。
写真の「美女平駅」には14:07に到着しました。
わずか7分間の出来事でしたが、風景の良さはじっくり楽しめました。

『立山黒部貫光』のHPによれば、
この立山ケーブルの開業は昭和29年(私の生まれた年。
それだけでも親近感が湧くと言うものです)ですが、
今の「立山駅」は開通当時「千寿ヶ原」という駅名で、
昭和45年に「立山駅」と改称されています。
※富山地方鉄道立山線の現「立山駅」も同じタイミングで
「千寿ヶ原駅」から改称されています。

そうっ、「千寿ヶ原」と言えば昨年8月21日にUPした
『立山砂防軌道』の「千寿ヶ原連絡所」を思い出します。
ケーブルの開業時は、同じ名前だったんですね。

(余談)
写真に写っている男性ですが、ちゃんとブログ掲載の「承諾」を取っています。
私が連絡しなかったら、多分、本人が見ても自分とは気付かなかったかも。何せ16年の年月が流れています。

2011年02月04日 8時02分

仕事「鉄」で『立山黒部アルペンルート』へ。(1)

立山黒部アルペンルートを仕事「鉄」で踏破したのは、
平成6年の7月5日~6日です。

その年、富山側からですと「室堂」の少し手前、
広大な湿原が広がる弥陀ヶ原高原にある「弥陀ヶ原ホテル」が改築され、
これに伴い旅行代理店やマスコミ関係者の招待宿泊があり、
私も番組の下見を兼ねてそれに参加しました。

写真は、立山ケーブルの富山側の起点「立山駅」で、
今は、この先、黒部湖までの交通機関全てが
『立山黒部貫光』になっていますが、
当時、立山ケーブルは『立山開発鉄道』の路線でした。
(平成17年に『立山黒部貫光』と合併。現在に至る)
また、車両が現在のモノではなく、初代のものである点が
たかだか十数年前であっても時代を感じさせ、また懐かしいですね。

1.3キロの距離、駅間標高差502メートル、
平均勾配24度を7分で結ぶこのケーブル、
写真でも分かるように麓側に“貨車”が連結されていることが
多いのが特徴で、山男達のリュック等を運んでいました。
(「今も、」ですので「運んでいます」が正解ですね)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!