2011年02月05日 18時00分

立山黒部アルペンルート(4)黒部ケーブル「黒部平駅」

写真は、日本では“唯一”の「全線地下」を走るケーブルカー
『黒部ケーブル』の「黒部平駅」です。

(参考)
青森県の「青函トンネル竜飛斜坑線」は全線地下とは言えないそうです。
何故なら「青函トンネル記念館駅」は一見、地下駅に見えますが、
実際には建物の中にあって“地下”ではないからとのこと。
よって「全線地下」は『黒部ケーブル』だけだそうです。

さて、平成6年7月6日、「弥陀ヶ原ホテル」を出発した私は、
バスで「室堂」に向かい、暫し散策(取材の下見です…)。
昼食後に、「室堂」発12:15の“立山トンネルバス”で「大観峰」へ。
※当時“立山トンネルバス”は、現在の様なトロリーバスではなく、
普通のディーゼルエンジンのバスが走っていた。

「大観峰」発12:40のロープウェイで「黒部平」へ。
そしてこの写真の「黒部平駅」に至るということですね。ふうっ。

余談ですが、この訪問時、このルートの『広報担当者』から、
そのロープウェイが輸送能力の問題から「立山黒部アルペンルート」の
ボトルネックとなっており、
ハイシーズンともなると乗客の行列が出来る“名所”だと聞きました。
この『待ち』があるかどうかでこのルートの
所要時間が変わるとも仰っており、
今もそんなに状況が変わっているとも思えないので
“ケーブルカー”&“トロリーバス”の『乗り鉄』の方は
訪問時にはその辺りのことも考えてスケジュールを
組立てたることをお勧めします。

2011年02月05日 8時03分

立山黒部アルペンルート(3)立山ケーブル「美女平駅」からの眺め。

「美女平駅」からは絶景が望め、思わずこんな写真を撮っていました。

ところで仕事で「鉄」をしておいて何ですが、
このケーブルの乗車日である平成7年7月5日から、
私はケーブルカーの乗車記録をつけ始めました。
昨年の10月8日にUPした「丹後海陸交通」や
そのうちUPしようかと思っている「箱根登山鉄道」のケーブルは
大学生の頃に乗ってはいるのですが、記録をとっておらず
改めて乗り直しています。
この「立山ケーブル」、実は私にとって「ケーブルカー」完乗への
『第一歩』という記念すべき路線でした。

さて、私はこのブログで「立山ケーブル」という名称を使っていますが、
『鉄道要覧』では、後日ここでUPする予定の
「黒部ケーブル」も含め線名は“鋼索線”となっています。
正式名称となれば“鋼索線”を使用すべきでしょう。
一方、「立山黒部アルペンルート」の公式HPでは
それぞれ『立山ケーブルカー』『黒部ケーブルカー』となっており、
この線名を使うことも考えたのですが、
好みの問題と言う事でお許し下さい。

また「立山黒部アルペンルート」と言えば、
その知名度は高いと思いますが、この名称は昭和45年からで、
意外なこと(と言えるかどうかはわかりませんが)に、
このルートの全通は翌昭和46年で、
一足早い“名称”のお披露目でした。

(余談)
社名の「立山黒部貫光」にある「貫光」って一体なんでしょうか?
少なくとも辞書には無い言葉です。
今回のブログを書くにあたり公式HPを見てみました。
それによれば「貫」とは時間のことで、
「光」は宇宙空間、大自然を意味し…、
思いのほか壮大で高邁な理念に基づく
「造語」であることはわかりました。
以前、取材時に聞いているはずなのですが思い出せないので
調べ直した次第です。
人間は忘れる動物である・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!