2011年02月14日 18時09分

雪の日に「宇治山田駅」に行くなんて(2)。

写真は、「宇治山田駅」のホームに隣接の、鉄道車両用ならぬ、
『バス』用の「転車台」(ターンテーブル)です。

「無くなった」とは聞いていなかったのですが、
一体何十年ぶりかというご対面となりました。
※ご存知の方も多いと思いますが、しばしお付き合いの程を。

「宇治山田駅」が山田線の終点と言うか、鳥羽線が開通する前、
高架ホームの1番線に隣接して、志摩方面へのバス乗り場があり、
名古屋・大阪方面からの電車に接続し、鳥羽・賢島に向かう
バスに直接、乗り込める構造となっていました。

私が小学校の3~4年頃だろうから、今をさること約50年前、
1年に1回、夏休みに出かけていた1泊の家族旅行で
ここからバスに乗って賢島に向かった記憶があります。
当時はまだ鉄道に興味がない時代で、
後々、鉄道の趣味を持ってからもこのバス乗り場を改めて見たことはなく、
今回が、半世紀ぶり(?)2回目の出会いでした。
それにしても、そのその昔の時代に、電車を降りたホームから
そのままバスに乗ったことを覚えているわけで
やはり、そのインパクトは相当なものだったと思われます。
※バスが数珠繋ぎだったということも覚えています。

ところでこの転車台、バスの方向転換をするスペースを
高架駅の構内に作ることができず、それゆえお出ましとなった次第ですが
私はバスマニアではないので、大型バスの転車台が全国に
どれほどあったか(あるのか)は知らないのですが
相当珍しい存在ではないのでしょうか?

それにしても、この転車台もさることながら、そもそもバス乗り場が
今もほぼ原型を保っていたのが、今回の訪問での一番の驚きでした。

鉄道の転車台(ターンテーブル)だけではなく、
たまにはバスの転車台に注目するのも良いのでしょうが
一体、いつまで現役だったのかも気になっています。

2011年02月14日 8時01分

雪の日に「宇治山田駅」に行くなんて(1)。

雪の近鉄「宇治山田駅」です。

「賢島」の帰りに少し時間が出来たので、
同行者の「またかよ」という冷たい視線を横目に途中下車。
写真を10枚ほど撮影しました。

この駅舎は平成13年11月20日、国の登録有形文化財(建造物)に
指定されており
正式な登録名称は「近鉄宇治山田駅本屋」です。

昭和6年と言いますから今から80年ほど前に
参宮急行電が開業した駅で、
文化庁の解説の全文を引用しますが
『参宮急行電鉄の終着駅として建設。
高架線ホームに対応した間口約120mほどの3階建ビルの南西端に
5階建塔屋を建ちあげる。
外観はクリーム色のタイル,テラコッタやスペイン瓦により
スパニッシュ様式で仕上げる。
設計はもと鉄道省建築課長の久野節。』とあり、
主に、外観について触れられていますが
私・個人的には内装の照明などのインテリアに心が動きました。

とはいうものの、この駅の“価値”に以前から注目していたかと言えば
そんなことは無く、恥ずかしながら10年前の「文化財」登録後です。
それまでも時代がかった“雰囲気”のある駅とは
思っていましたが、今回のように駅舎内も含めて
何枚も写真を撮影したのは“お初”でした。
「まあ、そんなところでしょう」ということでお許しを。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!