2011年02月26日 18時35分

一冊の本、「国鉄全線走破の記録」のこと。

昭和55年5月5日、一冊の“非売品”の本が出版されました。
その名も「国鉄全線走破の記録」。
私の人生に影響を与えたといっても良い一冊の本、
「時刻表名探偵」(出版社は日本交通公社。去年の3月9日に
この本の事をUPしています)の著者、石野哲氏を発行人に、
著作者は『国鉄全線走破人有志』、100部限定でした。

内容は、昭和34年8月29日に国鉄全線走破を達成したGさん
(昭和55年4月段階で石野さんが纏めた達成人リストの第1号達成者)の
「国鉄全線乗り歩る記」を始め、当時、国鉄全線を乗った方たちの
手記であったりエッセイ風の散文などが満載の、
正に「乗り鉄」たちの雄叫びが全開の一冊です。

中には『変人の証明』というタイトルの一文があったりで、
当時、「乗り鉄」がまだまだ「鉄」ちゃんの間でも
市民権を得ていたわけではないことが見て取れます。

この本を私が所蔵している理由は、その巻末にある
「国鉄全線達成人リスト」の48番目に入れてもらったのが縁で、
そして、それが励みになって未だに「乗り鉄」をやっています。
(非売品の本で、かつ内容のよくわからない話しで申し訳ありません。)

実は、今日がこのブログを始めて1年が経った“記念日”です。
昨年の2月26日がもう遠い日のように思えます。
そしてこれが755本目のネタです。
(毎日ほぼ2本ずつUPしてきた勘定ですね)
今日は私の「鉄」の原点ともいえる本を紹介させていただきました。
これからも拙文にお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

最後に石野哲さんの一文から引用です。
「全線走破はつまる所、人のためではなく、
自分自身の自己満足のためにする個人的趣味である。」

2011年02月26日 8時03分

三岐鉄道三岐線のこと(2)貨物列車が…。

「伊勢治田駅」に「ED453」と「ED454」の
重連が牽く貨物列車が入ってきました。
私がここ「伊勢治田駅」から「西藤原駅」に向かう
13:25発の列車と交換するためです。

この時、驚きの光景が眼前で繰り広げられました。
(単なる私の知識不足という説もありますが…)
「伊勢治田駅」は島式ホームで、ここで“電車同士”が行き違います。
“電車同士”と敢えて表現したのは、実は貨物列車は、
このホームの線路に入って来なかったのです。

その時、私は、しっかりとカメラ(コンデジですが…)を構え、
目の前にやって来るであろう貨物列車を待っていましたが、
その列車は目の前どころか遥か向こうの貨物線に入っていきました。
そして焦ってシャッターを押したのがこの一枚です。

「西藤原駅」から折り返して「近鉄富田」に戻る時に
この駅の線路の配置を確認したのですが、
どうやら旅客線の方が『従』で、貨物線が『主』のようでした。

私の常識では計り知れない「所変われば品変わる」の典型でした。

ところで、何故私は、この駅で貨物と交換することが分かったのでしょうか?
その答えは「踏切の警報音」。

先に「西藤原」方の踏切が鳴り出したのですが、
電車の時刻表では該当する電車が無いのは分かっていたので、
「これは貨物に違いない!」と思ったのです。
そこまでは良かったのですがねぇ・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!