2011年02月28日 18時51分

三岐鉄道三岐線のこと(6)近鉄連絡線。

「三岐鉄道近鉄連絡線」(「三岐朝明信号所」~「近鉄富田」間
1.1キロ)を行く、三岐鉄道の電車です。

「連絡線」というだけあって、本来なら支線の扱いでしょうが、
旅客の電車ベースで考えれば「連絡線」を含めた「近鉄富田」~
「西藤原」が『本線(三岐線)』と思ってしまいそうですね。
で、正真正銘の『三岐線』は、「富田」~「西藤原」間26.5キロで、
写真の電車の右側にある、高架線から真ん中のJR関西本線に
寄り添うように下りてきている線路ですが、
今や「三岐朝明信号所」~「富田」間は貨物専用線となっています。
※昭和60年までは電車が走っていた・・・。

さて「近鉄連絡線」は昭和45年の開業で、
それまで、「三岐線」から「近鉄」への乗り換えは
結構な大仕事でした。(もう、覚えている人が少数派?)
私の親戚が、今は「北勢中央公園口駅」と名前を変えた
「大長駅」の近くにあり、その開業までは、
何と「近鉄富田駅」から、『三岐線』に寄り添うように走る
「三岐鉄道」の路線バスがあり、それを利用していました。
「近鉄富田駅」開業後は、そのバスをあまり使わなくなりましたし、
そもそも自家用車で行き来するようになり
その路線バスの存在すら今日まで思い出すことはありませんでした。

高架線を颯爽と行く黄色い電車にも様々な歴史があるのです。
と、今日だけは言いたい!

2011年02月28日 9時08分

三岐鉄道三岐線のこと(5)太平洋セメント藤原工場。

三岐鉄道の屋台骨を支えているものといえば、旅客もさることながら、
太平洋セメント藤原工場からの貨物であると言っても過言ではありません。

その工場は、『三岐線』東藤原駅の左右に見えるのですが、
特に、「富田」方面から「東藤原」方面に向かう際に、
進行方向右側に見える(写真の)貨車への積み出しヤード(?)は
なかなか興味深いものがあります。

たまたま、「伊勢治田」から「西藤原」に向う時に、
写真中央の高架橋に貨車が並んでいて、
如何にも「貨物の積み出し作業中」といった光景が見受けられたので、
戻りの「西藤原」発の電車からその光景を狙ってみたのですが、
残念ながら貨車は見当たりませんでした。

もしもこの線に乗る機会がありましたら、一度狙ってみても良いでしょう。
但し、一瞬の出来事です。
(写真テーマ⇒「鉄道」と「貨物」)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!