2011年02月23日 18時43分

キュランダ高原列車(4)長大編成を実感!

平成14年当時の冊子にあった地名の「クランダ」の記載ですが、
この列車の公式HP(日本語版)では「キュランダ」となっているので、
今はその冊子も「キュランダ」になっているかなと思いつつ…。

さて、列車は『バロンフォール』で観光停車します。
“フォール”というだけあり、
バロン「滝」の絶景を楽しむ“駅”なのですが、
写真は、『何両位の客車が繋がっているのか?』ということを
実感してもらうために掲載しました。

矢印のところの機関車からグネグネと客車が
多分、10両は繋がっていたのではないでしょうか?
※正確な編成両数を数えていませんでした。申し訳ありません。
この『バロンフォール』の周辺の緑が濃いことが見て取れますが、
既に列車は熱帯雨林の中を走っていたはず。
(記憶が怪しくてすいません。今一、確証が…)

“人生、山あり谷あり”とよく言いますが、
この鉄道は、山あり、谷あり、滝あり、熱帯雨林ありと
盛り沢山な内容となっており、
「ケアンズ駅」から暫くの間の平原も含めその景色は飽きることなく、
さすがに「ケアンズ観光」の目玉だけあると実感しました。

●客車もレトロで車内も雰囲気があってGOODです。
座席はボックスシートですが、山側に通路があり、
谷側(絶景サイド)に4+4の8人がけの配置で、
まるで、仕切りの無いコンパートメントみたいな感じでした。
もともとそういう座席配置なのか、それともこの列車用の配置なのかは
不明です。

2011年02月23日 8時09分

JR市ヶ谷駅の「囲碁モニュメント」。

東京のJR総武線というか中央線というか、
「市ヶ谷駅」の改札口を入って直ぐのところの床面に
写真の『囲碁モザイクアート「長生の図」』があります。
(平成22年12月2日に登場)
一昨日、丁度この駅を利用する機会があり、
情報としてこのアートのことを知っていたので確かめてきました。

市ヶ谷駅の近くに囲碁の総本山「日本棋院」があることでこのアートが
誕生したものですが、
石の配置は“適当”に置かれたものではなく、
ちゃんとした『詰め碁』だそうです。
「日本棋院」のHPによれば、アート名の『「長生」とは
同手順を繰り返すことにより永遠に石が死ぬことのない
珍しい形であることから、長寿を連想される縁起のいいもの』と
ありました。
私は「囲碁」を嗜まないのでなんですが、そういう説明を受けても
この白と黒の配列にどういう意味があるかはさっぱり分かりません。
※確か小学生の頃に父から囲碁の手ほどきは受けましたが、
 中学に上がる頃は・・・。思い出せません。

それでも「そういうものなのだろう」と思い、
取りあえず写真に撮っていたら
大多数の方は当然の事ながら、このアートの上を普通の床として
歩いていたものの、私を少し避けて通っている方達も見受けられ、
多分、このアートを眺める囲碁ファンが
日常的にいるのだろうと思った次第です。

2011年02月22日 18時03分

manaca(マナカ)導入で大変だ?!

マナカ導入から暫くが経ち、使用する人が日増しに増えている気がします。
導入当初から、何かとトラブルが発生しているようですが
今日は自動改札機の『注意表示』の違いを見てきたので
それを報告します。

左側が名古屋市交通局の自動改札機で
右側が名鉄の自動改札機です。

両者の一番大きな違いは、
磁気式乗車券の投入口の上のステッカーの有無で、
名古屋市交通局のモノには、「マナカを入れないで!!」とありますが、
名鉄にはありません。

2月11日のマナカのスタート当初、
マナカを自動改札機に投入する人が相次ぎ、
マナカが中で詰まったりの“事故”が発生しているとの報道が
されていましたが、その後、名古屋市交通局の改札機には
写真のような注意を促す「ステッカー」が貼られました。
一方で名鉄の改札機にはそのようなステッカーはないので
名鉄でのマナカ投入トラブルは限定的であったということでしょうか?
それとも、名古屋市の方が“親切”ということでしょうか?

また、「しっかりタッチ!」も、名古屋市は『読取部』の下に
大きな文字で表示されていますが、
名鉄は、『読取部』のサイドに縦文字で表示されています。
見易さでは、私は名古屋市に軍配を上げておきましょう。

そう言えば「Suica」や「PASMO」等の導入時は、
どんなトラブルがあったのでしょう?
相当に混乱したという話しは聞いていますが
何せ名古屋ではないだけにあまり実感がありませんでした。

今回のマナカは過去の反省を生かしたのでしょうか?
全て、利用者が慣れてくれば解消される問題ではあるのでしょうが…。

ところで「TOICA」導入時には混乱したという記憶がありません。
何故???

2011年02月22日 8時09分

キュランダ高原列車(3)断崖絶壁を走る。

さて、ここからの掲載写真は所謂『写真』ではなく、
家庭用ビデオからの抜き(静止画)で、まずは山の絶壁を列車が走り、
橋を渡っていく素晴らしい風景です。

今回の旅は家族旅行で、しかもまだ子供たちが小さかった事もあり、
お父さん(私)はご多分に漏れず、ビデオを回しっぱなしで、
鉄道の写った写真は殆どありません。
でもビデオですとカメラをあちこち振っているので、
家族の写っていない瞬間もこうしてあるのです。
「ケアンズ駅」の写真が無いのも、
実は終点の「キュランダ駅」の写真が無いのも、全てそれが理由です。

そんな個人的なしょうもない話しはさておき、
「キュランダ高原列車」の車内では、平成14年当時でも、
乗客にこの「鉄道」の歴史を記したパンフレット(勿論、日本語です)が
配られていました。
今回、このブログもその冊子を参考資料として使用していますが、
そのタイトルが
「ケアンズ―クランダ鉄道 1882-1891 開拓工事の歴史」となっており、
“キュランダ”が“クランダ”なのはご愛嬌として、
わざわざその建設の歴史の冊子を配布するほどの工事であったことは
間違いないようです。

また、冊子のタイトル中に『1882-1891』とあるように、
33キロの建設に10年の歳月がかかっており、15のトンネル、
93のカーブ、そして(難工事であったことが容易に想像できる)
写真のような橋梁が多数あったと書いてありました。

2011年02月21日 18時37分

キュランダ高原列車(2)絶景ポイント。

列車は、「ケアンズ駅」から「キュランダ駅」までの約33キロを、
1時間45分で結んでいます。
最初の内は、オーストラリアの平原をゆったり走っていますが、
フレッシュウォーター駅を過ぎて暫くすると徐々に勾配が始まり、
海抜ゼロレベルから、標高328メートルまで上がって行く、
文字通り「高原列車の旅」がその“正体”を現します。
敢えて仰々しい物言いですが、坂をゆっくり上っていく時、
眼下に広がる風景(この写真です)は
はっきり言って絶景だと私は思っています。
肥薩線か篠ノ井線の峠越えの風景とちょっと似ていて、、
でもスケール感が大陸的でこちらの方が大きいというか
雄大な感じがします。
※「キュランダ行き」の列車では、進行方向右側に見えます。

でも一方で、「鉄」の方ならこの風景からこの線の工事が
如何ばかりだったかは察しが付くはず。
これだけの絶景を臨める路線が、1891年(明治24年)、
日本でいえば日本鉄道の上野~青森間が全通した年の開業で、
当然のことながら工事はなかなか進まず
苦労に苦労を重ねてやっとこさで開業に漕ぎ着けたとのこと。
美しい風景が楽しめる陰には、
先人たちの血と汗と涙があったことを知ったからこそ“正体”などと
言ってみたくなったのです。

2011年02月21日 9時01分

キュランダ高原列車(1)ケアンズ駅

オーストラリア編の最終章です。(今更ですがお許しを)
平成14年1月3日、オーストラリアの東北部ケアンズを起点とする
「キュランダ高原列車」(Kuranda Scenic Railway)に乗車しました。
(写真は、ケアンズ駅)

この写真、私が撮影したものではなく、
平成20年に放送した番組で撮影したVTRから起こしたものです。
そのため、写真右下に○に「c」が入った著作権表示を入れてあります。

話しを戻して、平成14年当時、
私は「ズームイン!!SUPER」と「ズームイン!!サタデー」という
月~土で早朝番組を担当しており、
毎朝3時起きで、会社を出るのは毎日午後8時頃と言う、
コンビニの様な生活をしていました。
年末年始も“休止”は1月2日、3日のみで、
家族とどこかへ旅行しようにも難しい状況でした。
ところがこの年、珍しく日本テレビが
「年明けは楽(らく)してください」となり、
中京テレビの初中継日が1月7日(月)となったのです。

ということでオーストラリアはケアンズへ!
元旦「新春特番」の生放送を終え、家に帰ったのが午後2時過ぎ、
それから準備をして名古屋空港へ。
死に物狂いでやっと乗った夜行便の飛行機の席では爆睡。

でも、この「キュランダ高原列車」に乗ったのは、
私が「鉄」だからではなく、『ケアンズ観光』の目玉の一つだったから。
では私が撮影したケアンズ駅に停車中の列車の写真がないのは何故?
それはまた、回を改めて。

2011年02月20日 18時08分

JR北海道・釧路運輸車両所/転車台の銘板。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

JR北海道・釧路運輸車両所のターンテーブルは現役です。
いや、この古めかしさは横文字の“ターンテーブル”より
“転車台”の方が似合いそうですね。

ところでこの転車台のメーカーは「松尾橋梁」と言い、
その東京工場で昭和30年に作られたことが
転車台に付いていた製造銘板から読み取れました。
メーカー名が“橋梁”という位だから、
『橋』を作っている会社だろうとは思ったものの、
“当然”と言っては怒られそうですが、初めて聞く名前でした。
●「松尾橋梁」…現在の「IHIインフラシステム」。
●「東京工場」…現在は無いようです。

考えてみれば、鉄道車両そのものには興味はあっても
まさか転車台や、それこそ“鉄道橋”を見て、
『この橋はOOO社製だよね。いい味出しているよ、さすがだね』
等と言う人はまずいないでしょう・・。

でも、昨年7月5日にUPした長良川鉄道「北濃駅」にある転車台や
今月14日にUPした「宇治山田駅」のように
実はこうした構造物が、国の登録有形文化財に多く登録されているのは
事実です。
但し、メーカー名が注目されることは普通はありません。

以前、建設会社のCMで「地図に残る仕事」というのがありましたが
登録有形文化財を作った会社はさながら「文化財として残る仕事」と
いうことでしょうか?
この釧路の転車台が「登録有形文化財」となるかどうかは
これから何年現役でいられるかが勝負と言ったら大袈裟ですが
私は勝手に『その可能性あり』と応援しています。

ということで、今日は一枚の『銘板』から
様々なことに思いを巡らしてみました。

話しを釧路に戻して、昨年のツアーでも、このターンテーブルの回転を
実際に見せて頂いたのですが、
今年のツアーでは『C11』を乗せて実際に回ったはず。
雪景色の中、漆黒の『C11』がターンテーブル上で
ゆっくりと回っていく姿は、きっと素晴らしい光景だったに
違いないでしょう。

2011年02月20日 9時00分

JR北海道釧路運輸車両所・作業用の電灯。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

JR北海道釧路運輸車両所の機関庫の見学を終え、
外を歩いていた時に、ふと振り返って機関庫を見たら
「C11 207号」のナンバープレートの辺りに
作業用の電灯が反射し、「美しい!」と感じたので
一枚撮影しました。

今思えば、『写真』と言う意味ではもっと撮影の仕方に工夫を
すべきだったでしょうし、サイズも如何なものかと
突っ込みどころ満載ですが
私の心象風景ということでお許しを・・・。

今回、この写真をUPする気になったのは、
機関庫内で、作業をするために必要な灯り(あかり)が、
時に、人の心を動かすものだと感じたからです。
※あくまでも私の個人的な感想です。

庫内にいた時は、確かに機関車の点検をするに必要な場所を
照らしいている電灯に気付いてはいましたが
それは、あくまでも作業のためのもので、
私はその美しさに気付かず、コンデジのフラッシュを時にONにして
動輪や各パーツのUP写真を撮っていました。

見学時間もそれなりにあり、焦って庫内を歩き回る必要が
そんなに無かったはずにも係わらず…、です。

そこに必要な灯り(外光を含め)の美しさに
もっと目を向けても良いと、そんなことに改めて気付かされた
反省の意味もある一枚の思い出です。

2011年02月19日 17時01分

丁度今頃釧路では…C11整備中?

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

写真は「JR北海道釧路運輸車両所」の機関庫です。

昨日(2月18日)から明日20日まで、北海道の釧路では、
以前、このブログでも紹介しました
JR北海道主催のツアー「冬のSLと石炭のマチ・釧路」が
開催されています。

このツアーがスケジュール通り進んでいれば、
昨日、ここの見学をしているはずです。
天気予報では、昨日が「曇後晴」、今日は「晴後曇」で
最高気温がプラス1度。皆さん、寒さに負けないようにして下さい。

昨年、私が訪れたのはツアー初日の2月19日午後3時40分頃で、
庫内では、「SL冬の湿原号」の運転から戻ってきた
『C11 207号』の整備中でした。
※その時間に合わせての訪問だったはずです。
※今日も、今、この時間は整備が終わった頃かな?

さて、如何にも作業中という写真は、昭和の時代、“規制”がまだゆるく、
SLの機関区内への立ち入りが一定の条件で許可されていた時代でも
流石に撮影した記憶はありません。

それでも、機関庫の外から中を覗き見た記憶は
おぼろげながらあるのですが、
その当時、このC11の煙突の上で稼動している、
筒状の排煙装置があったかどうかまでは
定かではありません。

それでも写真で見て、分かっていただけると思いますが
とにかく、激しく煙を吸い上げており、
機関車がこれだけ“煙”を出していても、庫内が全く煙たくなく、
機関庫の「煙たそう」というイメージを覆してくれるには十分でした。

と思ったところで、「梅小路蒸気機関車館」の写真を見たら
扇形庫の屋根に煙突が並んでおり、
多分、この下に同様の装置があったはずと、妙なところで
納得してしまいました。

2011年02月19日 8時01分

三岐鉄道北勢線のこと(8)近鉄時代の車内補充券。

北勢線の最後に、近鉄時代の「車内補充券」です。
左側がそのものズバリ!
右側が北勢線区間のUPです。

今もある駅もあれば無くなった駅もあります。
例えば、「在良」と「七和」の間の「坂井橋」は今は無く、
その近くに「星川」が開業しています。

先にも書きましたが「東員」の名前が無い代わりに「六把野」と
「北大社」の名前があります。
※「大社」=「おおやしろ」と読みますが、
 実は桑名市内に親戚があり、
 それで子供の頃からこの駅名の読み方を知っているのですが、
 考えようによっては意外と“難読”駅かもしれませんね。

ところで「北大社」は、「東員」開業に伴って
廃駅となりましたが、
車庫はそのまま「北大社」にあるため、
駅のあった場所は、そのまま信号所&車庫として機能しており、
比較的珍しいことなのでは思っています。

「大泉東」と「長宮」は駅統合&駅移転で「大泉」に。
「上笠田」・「六石」は乗客が少なく廃駅に。
ただ、この区間は駅間距離が長いので、
乗客が一定確保できていれば残っていたのでは
勝手に思っています。

私は『車内補充券』をいつも購入していたわけではありませんが、
今回、スキャンして思ったのは、ひたすら「乗りつぶし」をしていた時に、
買えるものは買っておけば良かったと少し残念な気持ちを持っています。
それは、特に、大手の鉄道会社では
この写真のような全駅名の記載のある車内乗車券を
最近、見かけなくなった気がしているからです・・・。



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稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!