2011年02月18日 18時07分

三岐鉄道北勢線のこと(7)阿下喜駅のループ線。

「阿下喜駅」停車中の『272+147+172』です。

「西桑名駅」発11:20の電車は、「楚原駅」を出た後、
『土木学会選奨土木遺産』である
“ねじり橋”と“めがね橋”の2つの橋を渡り、
「阿下喜駅」に定刻の12:20到着。

途中、時速25キロの制限も見受けられるなど、
762ミリの軌道であっても“急なカーブ”が散見され、
駅以外では停車しない『鉄道』の良さが生かしきれているとは思えない
北勢線であることを改めて認識しました。
存続に向けて、鉄道会社+地元のタッグが組まれていますが、
このスピードのレベルでは、
決して“明るい”とは言い難いと感じたのもウソではありません。

ところで“ねじり橋”と“めがね橋”の2つの橋がそんなに価値があるとは、
今回、三岐鉄道のHPで確認するまで知りませんでした。
ここのところ、『産業遺産』として鉄道施設を見直す傾向が
あると感じていますが、
「鉄道」の世界が広がっているというか、
認められるのは嬉しい限りですね。

さて、北勢線の手前に何やら怪しい線路とターンテーブルがありますが、
「軽便鉄道博物館」の線路で、次回の公開日は『2月20日』、
その次は『3月6日』となっていました。
(原則、第1、第3日曜日での公開のように見受けられました)
一風変わった線路レイアウトもあるので、
開館日の再訪を『いずれ・・・』と思いつつこの駅を後にしました。

2011年02月18日 9時00分

三岐鉄道北勢線のこと(6)阿下喜駅。

上の写真は昭和53年12月1日の「近鉄北勢線阿下喜駅」、
下の写真が平成23年2月8日の「三岐鉄道阿下喜駅」です。

三岐鉄道のHPによれば、
下の新駅舎は平成18年12月新築となっていますから、
それまでは上の写真の旧駅舎が使われていたのでしょう。
その旧駅舎は、昭和6年の「阿下喜」延長開業時からの
建物であろうと推察されますが、
北勢電気鉄道~三重交通・・・近畿日本鉄道~三岐鉄道と、
時代の流れを静かに見つめてきた歴史の生き証人として、
また『三重県員弁郡北勢町』の中心としての役目を果たしてきました。

さてこの日、『1日乗り放題パス』で乗車の私は、
自動改札機の横のインターフォンで、
この改札を集中制御する係員を呼び出し、
自動改札を開けてもらって無事、駅の外に出ました。
昭和53年に北勢線に乗り、
その後昭和61年に番組の取材で訪れて以来のこの「阿下喜駅」。
その頃は有人駅で、駅員さんに切符を渡していました。

以前、その所在地は『員弁郡北勢町』だったのが、
今や『いなべ市』に変わっているものの、
実のところ駅舎が新しくなっているのを除き、
町並みがあまり変わった印象が無く、少々淋しい反面、
「ホッ」ともしていました。

2011年02月17日 17時56分

三岐鉄道北勢線のこと(5)楚原駅。

北勢線で働く全ての電車が『三岐色』になったのは
いつのことでしょうか?
一気に進んだ気もしますが、そうでは無かったかも?
それにしても、この電車でこの色をほぼ初めて見るに等しい私にとっても
馴染んで見えるのは、地元の足として定着している証なのかも知れません。

さて、この駅は「楚原」(そはら)です。「いなべ市」の中心駅ですが
どこか懐かしさの残る駅です。

日中は毎時1本がここで折り返します。
が、私の乗った電車は、何とこの駅で9分停車。
11:57に到着して、12:06出発。
運転士さんも手持ち無沙汰な感じでした。

●そう言えばこの「北勢線」に女性運転士に登場しましたが、
その事をすっかり忘れていて
対向列車の運転士さんが女性であったかどうかを確認しませんでした。
出来れば見つけて“エール”を送りたかったのですが…。

それはさておき、何故9分も停車?
この日、帰りがけに「三岐鉄道」本社で購入した
『列車運行図表』(所謂「ダイヤ」です)を見たのですが、
思わず「ンーッ」と唸ってしまいました。

流石にプロが考えて(交換待ち時間を)短く出来ないものは、
素人が考えたって何も答えは出て来やしないということです。
もしも解決方法があるとするならば、朝夕のダイヤのように、
きっと「ネットダイヤ」を崩すことで見つかるのかもしれないのですが、
それは昼間の利用客の利便性を悪くしかねないことであり、
やはり「西桑名駅」方面から「麻生田駅」「阿下喜駅」までの利用客には
多少の不便を我慢してもらうしかないのでしょう。

私の乗った電車は西桑名⇒阿下喜…60分で、
因みに同時間帯の阿下喜⇒西桑名…47分です。
また、同区間の三重交通の路線バスは、
この上下電車のほぼ真ん中位の所要時間です。

2011年02月17日 9時02分

三岐鉄道北勢線のこと(4)東員駅。

一部の列車の始終点にもなっている「東員駅」です。

私が昭和53年に乗った当時は影も形も無く、
近鉄から三岐鉄道に生まれ変わった平成15年以降の新駅で、
平成17年に「六把野」と「北大社」の2つの駅を統合して生まれました。

『新しい』ということはさておき、この新駅だけではなく、
三岐鉄道になってからの北勢線は駅舎・線路・車両等の改良等が
一気に進み、特にこの小さい電車をよくぞ冷房化したものだと
感心せざるを得ません。

まあ、大正3年開業ということから考えれば、
様々な設備の更新時期であったり、
時代の要請の変わり目はあったかとも思いますが、
それにしても乗客にとっては嬉しい変革だったのでは感じています。

さて、この「東員駅」では朝のラッシュ時を除き、
ほぼ全列車がここで交換します。
私が乗車した「西桑名駅」発11:20の電車も4分ほど停車し、
対向列車を待ちました。
この日、この駅のホームからは鈴鹿の山並みもくっきりと見え、
待ち時間はさほど苦になりませんでした。

また側線には保線車両も止まっており、
ここが保線基地のよう見え、そんなところをチェックしていると
待ち時間はもう少しあってもOKなのですが、
こんなことを思うのは一部の「鉄」だけで、
大多数というか、普通は交換待ちの時間は短ければ短いほど
GOODということでしょう。

2011年02月16日 18時01分

三岐鉄道北勢線のこと(3)日本唯一の踏切。

こちらもかの有名な“3種類の軌間”を一度に楽しめる踏切です。

参考までに、三岐鉄道の踏切名は「西桑名第2号」で、
JRと近鉄の踏切には「益生第4号」の標識が出ていました。

同一名でないのは新鮮な発見でしたが、
考えてみれば名鉄「神宮前駅」の直ぐ隣にある踏切名も
名鉄とJRで異なっており、当たり前なのかも知れません。

ところでこの踏切の利用者は思ったより多く、
隣の「三崎跨線橋」の歩道よりもはるかに利用されていました。
ちょっと発見でした。

さて踏切を渡った際、私はまずは762ミリを一跨ぎし、
それから1067ミリを一跨ぎ。
最後に1435ミリは、走り幅跳び寸前の格好で跨ぎました。
※恥ずかしいので勿論、他の利用者がいないことは確認済みです。

もしも私が、この踏切の“味わい方”を聞かれれば、
絶対にこの方法をお勧めします。
普通に歩くよりは“軌間の違い”を実感できるはずです。
そして肝心なのは、狭い方から広い方に向かって行く事です。
それがより特殊狭軌の狭さを実感できるのではと思ったからです。
などと言うのは冗談で、
広い方からでも狭い方からでも結果は同じことですが、
たまたま北勢線の踏切からスタートしただけの話しです。
悪しからず。

●余談ですが、軌道幅が順番に並んでいるのもここの良さですね。

2011年02月16日 8時46分

三岐鉄道北勢線のこと(2)3つのレール幅。

昨年のレギュラー番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」ではなく、
一昨年の3月29日に放送した「芸能界鉄道研究会 鉄研 オフ会」
(DVDでは、「完全版」)の中で、
特殊狭軌の話題を放送しており、
その中で紹介している『三崎跨線橋』から見た風景です。

左から「近鉄名古屋線」(標準軌/1435ミリ)
「JR関西本線」(狭軌/1067ミリ)
「三岐鉄道北勢線」(特殊狭軌/762ミリ)の3つの軌間が並んで
見えます。
※時間の都合で、北勢線の車両を写すことが出来ませんでした。

やはり、今回はまずもってここに行かねば全ては始まらないと考え、
電車に乗る前に直行しました。
この橋の上に立ったのも、まして撮影したのも初めてですが、
「鉄道写真」を撮影する場所と言うよりは、
「記録写真」を残す場所と言うのが私の感想です。

ただ、「電車を見る」ということで言えば、
かの有名な『向野(こうや)跨線橋』にも匹敵するのではないかと言えば、
まあ多少言い過ぎではありますが、
なかなか楽しい場所ではありました。
※『向野跨線橋』は“オフ会”で収録をした場所ですね。

私事ですが、私はこうした「鉄」の名所にあまり出向いたことが
ありません。
「乗り鉄」だからとか「撮り鉄」だからとかいうジャンルの問題ではなく、
単なる嗜好の問題なのでしょうが、
出かけてみると意外と面白いと言うことも多く、
最近は時間が許せば足を運んだりもしています。
実は『向野跨線橋』も、番組の収録が初訪問で、知り合いの方から「信じられない」を連発されました。

2011年02月15日 18時15分

三岐鉄道北勢線のこと(1)西桑名駅。

近畿日本鉄道北勢線、今の三岐鉄道北勢線に最初に乗ったのは
昭和53年12月1日でした。

その起点である写真の「西桑名駅」は、
様変わりしたといえばその通りで、
確か以前は、「桑名駅」から雨に濡れずに行く事は出来なかったかはず…。
それでも、雰囲気は大きく変わらずJR・近鉄の「桑名駅」の南側に
ひっそりと佇んでいます。

この2月8日、平日でしたが私は久し振りに
この北勢線と、同じく三岐鉄道の三岐線に乗りました。
暫くそのリポートにお付き合い下さい。

まず、何故にこの2線区に行ったか?です。
以前もこのブログで書いていますが、
私は『仕事』として中京テレビの“有料携帯コンテンツ”
「鉄研/鉄道検定」を作成していますが、
今年に入り既に一ヶ月以上新作のUPをしていません。
それでそろそろ新作を考えようかと、
検定問題のリサーチのために訪問しました。

ただ、半分以上は趣味でもあり、
プライベートの乗車であったことを最初にお断りします。
そのため、三岐鉄道への取材はしておらず、少々中身が薄いと言うか、
情報不足の面があるのはご容赦下さい。

さて北勢線ですが、ナローゲージではあるものの、
電車の小ささを除けば全駅で自動改札機が導入されるなどの近代化が行われ、
都市交通の体をなしています。
(北勢線について)思いっきりローカル気分で行った私は、
まずは入り口で驚かされました。

さあ、これから20.4キロの小さな旅の始まりです。
でもその前に・・・。

2011年02月15日 9時00分

樽見鉄道でも「運転体験」が。

このブログでは昨年の5月19日から
映画「RAILWAYS」の公開関連ニュースの取材で、
樽見鉄道を訪問した話しを書きましたが、
そのご縁で知り合った樽見鉄道の方から、
来月3月13日(日)、樽見鉄道」でも「運転体験」を行うとの
連絡を頂きました。

ということで、早速『樽見鉄道』のHPをチェック。

そして発見!
樽見鉄道公式HPのトップにでかでかと
『レールバス「プレ」運転体験講習会』参加者募集の案内が
出ていました。
運転する車両は決まっていて、写真の“モレラ号”こと
「ハイモ230-314号」です。
これは、沿線にある大型ショッピングモール「モレラ岐阜」の
協力を得ているのでこの車両とのことでした。

さて樽見鉄道の“運転体験”は私の感覚では
「ついに」というか「やっと」というか、そんな感じです。

今回、運転体験で使うのは本巣駅構内の旧貨物線で、
その距離約300メートル。
時速も15キロを体験できるとHPに出ていたので
なかなか食指が動く距離と速度です。
樽見鉄道さんからのメールでは、
将来は時速20キロを目指したいとしており、
これも走らせる距離が結構長いので実現できると思われます。

さて前述の「ついに」「やっと」の意味ですが、
樽見鉄道が依然、貨物輸送を行っていたことは
皆さんご存知かと思われますが、
それゆえ、本巣駅の側線が結構長いのです。
それで、その線を「運転体験」で使えれば“楽しかろう”と
思っており、それが実現するのは『運転鉄』にとっては
嬉しい限りです。
(いつから私は「乗り鉄」から「運転鉄」に・・・)

参加費は1万円。家族の理解を得るために今日もまた頑張って働こう!

2011年02月14日 18時09分

雪の日に「宇治山田駅」に行くなんて(2)。

写真は、「宇治山田駅」のホームに隣接の、鉄道車両用ならぬ、
『バス』用の「転車台」(ターンテーブル)です。

「無くなった」とは聞いていなかったのですが、
一体何十年ぶりかというご対面となりました。
※ご存知の方も多いと思いますが、しばしお付き合いの程を。

「宇治山田駅」が山田線の終点と言うか、鳥羽線が開通する前、
高架ホームの1番線に隣接して、志摩方面へのバス乗り場があり、
名古屋・大阪方面からの電車に接続し、鳥羽・賢島に向かう
バスに直接、乗り込める構造となっていました。

私が小学校の3~4年頃だろうから、今をさること約50年前、
1年に1回、夏休みに出かけていた1泊の家族旅行で
ここからバスに乗って賢島に向かった記憶があります。
当時はまだ鉄道に興味がない時代で、
後々、鉄道の趣味を持ってからもこのバス乗り場を改めて見たことはなく、
今回が、半世紀ぶり(?)2回目の出会いでした。
それにしても、そのその昔の時代に、電車を降りたホームから
そのままバスに乗ったことを覚えているわけで
やはり、そのインパクトは相当なものだったと思われます。
※バスが数珠繋ぎだったということも覚えています。

ところでこの転車台、バスの方向転換をするスペースを
高架駅の構内に作ることができず、それゆえお出ましとなった次第ですが
私はバスマニアではないので、大型バスの転車台が全国に
どれほどあったか(あるのか)は知らないのですが
相当珍しい存在ではないのでしょうか?

それにしても、この転車台もさることながら、そもそもバス乗り場が
今もほぼ原型を保っていたのが、今回の訪問での一番の驚きでした。

鉄道の転車台(ターンテーブル)だけではなく、
たまにはバスの転車台に注目するのも良いのでしょうが
一体、いつまで現役だったのかも気になっています。

2011年02月14日 8時01分

雪の日に「宇治山田駅」に行くなんて(1)。

雪の近鉄「宇治山田駅」です。

「賢島」の帰りに少し時間が出来たので、
同行者の「またかよ」という冷たい視線を横目に途中下車。
写真を10枚ほど撮影しました。

この駅舎は平成13年11月20日、国の登録有形文化財(建造物)に
指定されており
正式な登録名称は「近鉄宇治山田駅本屋」です。

昭和6年と言いますから今から80年ほど前に
参宮急行電が開業した駅で、
文化庁の解説の全文を引用しますが
『参宮急行電鉄の終着駅として建設。
高架線ホームに対応した間口約120mほどの3階建ビルの南西端に
5階建塔屋を建ちあげる。
外観はクリーム色のタイル,テラコッタやスペイン瓦により
スパニッシュ様式で仕上げる。
設計はもと鉄道省建築課長の久野節。』とあり、
主に、外観について触れられていますが
私・個人的には内装の照明などのインテリアに心が動きました。

とはいうものの、この駅の“価値”に以前から注目していたかと言えば
そんなことは無く、恥ずかしながら10年前の「文化財」登録後です。
それまでも時代がかった“雰囲気”のある駅とは
思っていましたが、今回のように駅舎内も含めて
何枚も写真を撮影したのは“お初”でした。
「まあ、そんなところでしょう」ということでお許しを。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!