2011年02月13日 18時13分

雪の日に「伊勢志摩ライナー」に乗るなんて(4)。

「賢島駅」に定刻11:25到着予定が結局10分ほどの遅れ。
●写真は、何年かぶりでの「賢島駅」でパチリ。

近鉄のHPに書いてあった
『伊勢志摩の豊かな太陽光線にちなんだ・・・』というこの電車の説明や、
指定席券にもある「太陽」のシンボルマークが
これほど恨めしく思えたことはありませんでした。

ところで、今回乗車した「名古屋」~「賢島」間の
『伊勢志摩ライナー』のスジは、23000系誕生前からあるものですが
様変わりもしています。

今、昭和55年(1980年)10月号の時刻表を見ているのですが、
その当時だけではなく、多分、10年ちょっと前までは
1時間に1本、宇治山田までのノンストップ(甲)特急がありました。
伊勢志摩方面への取材時の往復は、余程のことがない限り
その甲特急の時間になるべく合わせて行動していたはずです。
それが今や、平日の運転は無くなり、土・休日だけの運転で
しかも「津駅」にも停車するようになりました。
※今回の同行者に『「津駅」は以前通過していた』と話したら
驚かれました。

所要時間は2時間4分からこの電車の場合でジャスト2時間と
少し速くなりましたが、今は昔の思い出ですね。

ここまで書いていて不思議な感覚に捕らわれました。
伊勢志摩方面の取材は、多い時で1年に4~5回以上あったはずで、
それなのに平成6年登場のこの電車との出会いがなかったのは何故?

2011年02月13日 9時02分

雪の日に「伊勢志摩ライナー」に乗るなんて(3)。

2月11日(金)、3連休の初日に元々「賢島」に行く所要があり、
3人連れでしたが、「サロンカー」の4人席を予約し
ともあれ、“雪”は想定外でしたが、出かけることにしたものです。

デラックスカーのシートは、アーバンライナーと
さほど変わらないだろうと思いつつ、
「サロンカー」のサロンシートには心惹かれ、
プラスアルファの1人分の特急料金を負担するのを条件に、
サロンのお客になることが出来ました。
※同行の2人は最初、固定のボックスシートを見た途端『ぶつくさ』、
そして座った途端『良いじゃないか』でした。

さて私の感想ですが、4人席はそのゆったりとしたスペースの広がりに、
何となくヨーロッパの一等車のコンパートメントを思い出しました。
・・・等というほども乗ったことはありませんが・・・。
通路をおいて反対側の「2人席」が空席だったので
余計にそう思ったのかも知れません。
シートの上部が開いているので、閉鎖空間ではありませんが
近鉄の方には申し訳ありませんが、
「2人席」が空席なら他の乗客の目も気にならず、
殆ど個室状態と言っても過言ではなかろうと思ったのは事実です。
個人的には4人席は乗る価値あり!です。落ち着きます。

一方、シートの座り心地ですが、
(写真の通り)リクライニングシートでなくても
これほどゆったりとした感覚が楽しめるとは思いませんでした。
●対向列車の写りこんだ写真は、狙ったものではなく、単なる偶然です。
ただ、撮影者(同行者)が「もう一枚」と言ったのに対し、
私は「ベスト!」と答え、「鉄はわからない」と言われました。(笑)

2011年02月12日 19時45分

雪の日に「伊勢志摩ライナー」に乗るなんて(2)。

「伊勢志摩ライナー」と言えば、『パノラマデッキ』。
そこで撮影したこの写真は、まるで北陸か東北の駅の様な有様ですが
そんなことはあるはずもなく、皆さんにお馴染みの「伊勢中川駅」通過です。

アーバンライナーの『展望デッキ』同様、
JR東日本の「リゾートしらかみ」の『展望ラウンジ』とは
比べてはいけないと思うぐらい広々とした風景が目の前に拡がり、
起点から終点までここで立ち続けていても、飽きることはありません。
私は自分の席とパノラマデッキの間を、デラックスカーの乗客の
“迷惑”を顧みず(デッキのドアが開くと寒風が客室に入る)、
何往復かしましたが、同じ親子連れを必ずここで見かけ、
なおかつ自席に戻った気配がありませんでした。納得です
私は同行者の手前、本心とは裏腹に“見栄”を張って
そこまではできませんでした。トホホ。
※近鉄のHPを見ていたら、「アーバンライナー」は『展望デッキ』、
「伊勢志摩ライナー」は『パノラマデッキ』と別名称となってます。
ところが、説明の文章は同一で、一体どういうことなのでしょう?

さて、パノラマデッキからの展望写真で、これを選択した理由ですが、
他の写真に比べて、黒と白のメリハリが効いていたことと、
一発で場所の特定ができると思われたからです。
※私が、構内配線を見るのが好きだということもあります。

田園風景や街中の写真は、はっきり言って「どこで撮っても同じ」というか
パッと見の場所が特定しにくい状況だったのはお分かり頂けますよね。

ここに来るまでに、揖斐・長良橋梁や桑名駅、その直後の北勢線の
オーバークロス、その他それなりには撮ったのですが今一つ。
今日の天気が昨日も同じだったらと恨めしく思いました。

●工事中の「伊勢中川短絡線」ですが、大分出来上がっていました。
一瞬の出来事ゆえ、ちゃんとは確認できていませんが
趣味誌の記事で読んだ記憶通り、
カーブはかなり緩くなりそうですね。
所要時間の短縮とまではいかないと思われますが…。

2011年02月12日 8時01分

雪の日に「伊勢志摩ライナー」に乗るなんて(1)。

昨日(2月11日)、よりによって雪の日に
ほんわかと温かみのある23000系「伊勢志摩ライナー」に
初めて乗ってきました。(今更と、言わないで下さい)

さて、写真の説明です。
上段・下段とも、「近鉄名古屋駅」の5番線です。
私が乗る予定だったのは下段の写真の
定刻では、近鉄名古屋発9:25の「伊勢志摩ライナー」。

一方、上段の写真は、「伊勢志摩ライナー」の前に5番線入線の
鳥羽始発で定刻では近鉄名古屋着9:13の特急。(多分、間違いない)
ただ、朝からの雪のため列車は遅れ気味で、
まるで雪国の列車の如く、先頭車の前面に雪を着けながら、
9:20過ぎに到着。
駅員さんの「賢島行ではありません。お乗りになれません。」の
連呼がホームに響いていましたが、それでも勘違いして
乗車しようとして止められたお客さんがいました。

そんなことがあった後、発車時刻の9:25になって
3911レ「伊勢志摩ライナー」が入線。
9:28に駅員さんが乗客全員の乗車を確認し、
そそくさと3分遅れで出発。
「何でかな~?」という私の初乗車体験がスタートしました。

(余談)
午前9時頃、私は、名鉄名古屋駅の
「manacaデビュー記念カード」の発売場所を通り過ぎました。
その時、係員さんの「あと50名様です」の声が…。
私の感では、その時まだ100名以上の方が並んでいるように
思われました。
午前7時以前にすでに行列が出来ていたとのことで
手に入れた方も入れられなかった方もお疲れ様でした。

2011年02月11日 23時04分

『manaca』(マナカ)を初使用。

今日、『manaca』(マナカ)がスタートしました。
最寄りの地下鉄駅で事前予約しておいた
「記名式マナカ」を受け取り早速使用。
特に感慨もなく、「ピッ」。
とはいかず、名古屋もいよいよICカード時代を迎えたかと
結構感慨がありました。
ただ、乗車時も下車時も周りを見渡しましたが、
そんなに多くの人が使っている感じはしませんでした。
まあ、本格的には週明けの月曜日からでしょう・・・。

ところで私にとっては、『Suica』・『PASMO』に続く
3枚目のICカードです。
『Suica』と『PASMO』は両方使っているかと言えばそんなことは無く、
普段持ち歩いているのは『Suica』1枚。
これで首都圏の私鉄も使えますし、JR東海の駅でも使えます。
JR東海の方には申し訳ありませんが、仕事でもプライベートでも、
首都圏のJRには乗りますが、
名古屋エリアのJRは殆ど乗ることがありません。
そのため、『TOICA』は持っていません。
ところで、お蔵入りした『PASMO』ですが、
家のどこかにあるはずなので、昨日から探しているのですが…、
見つかりません。
「探し物は何ですか?」「見つけにくいものですか?」と
聞かれても答えようがなく、
どうやら「夢の中へ」行ってしまったようで…。
※最初から、『Suica』・『PASMO』が共用できていれば
間違いなく『PASMO』は選択肢には入らなかった。

それはさておき、私はいつから『manaca』を本格的に使うのでしょうか?
今朝書いた通り、当面はストックしている「ユリカ」を使い、
無くなったら『manaca』にしますが、
何となく喜ばしい反面、すっきりしない朝でした。

2011年02月11日 6時27分

最後の「ユリカ」購入。

今日から「manaca」がスタートです。
ということで昨日、最後の「ユリカ」を購入しました。
その理由は後ほど。

私がこのブログを書いている今のこの時間に起きている名古屋の方、
今朝は、朝6:30から東海ラジオにチャンネルを合わせて下さい。
番組名は、「源石和輝モルゲン!!」といい、
源石和輝アナウンサーと番組「鉄研」にもご出演頂いた
「杉ちゃん&鉄平」の『杉浦哲郎』さん(名古屋出身)の2人が
登場したばかりの「manaca」を使いながら名古屋の町を、
生放送でしゃべりながら歩き回るそうです。

実は源石アナウンサーも「鉄」ちゃんで、先週土曜日に
名古屋・吹上ホールで行われた「鉄道フェスティバル」の会場で、
「鉄研」レギュラー、タックインの三根さんから紹介されました。
この二人が、一体これからどんな“鉄トーク”を炸裂してくれるのかが
とても楽しみなのですが、残念ながら今から用事で出かけます。

さて、2枚のユリカですが、上が今使っているモノで
残金は4,210円。
下は新品です。
今回の「manaca」導入ですが、確かに使い勝手が良くなる
メリットはあります。
しかし、「ユリカ」のユーザーからすれば、小額かもしれませんが
不利益変更の側面もあることは否めません。
この2枚のユリカは私のささやかな抵抗です。
品の悪い言い方をすれば『屁の突っ張り』(役に立たないこと)かも
しれませんが・・・。

2011年02月10日 17時53分

桜通線名古屋駅の可動式ホーム柵。

名古屋市営地下鉄桜通線「名古屋駅」に登場した可動式ホーム柵です。
今月2日に、「柵の端が何故斜めなのだろう?」と疑問を呈したところ、
『豊橋のとも』さんから「“非常用の操作盤”の操作のために車両と
ホーム柵の間隔が広くなっている・・・」というコメントを頂き、
今回、名古屋駅のホーム柵が動き出したので見てきました。
(本当は、たまたま名古屋駅を使っただけです。)

写真は、中村区役所方面ホームの最後尾から撮影したもので
確かに、先頭車の運転台の所は斜めなのですが、
最後尾はストレート(少し違和感のある表現で失礼します)でした。
一方、野並方面へのホームも、先頭車部分のみ斜めで、
最後尾はストレート。
そうすると、「中村区役所駅」の野並方面ホームのように、
ある一定条件がある場合のみ、先頭&最後尾の乗務員室部分が
斜めとなるという法則になりそうです。

それはさておき、一昨日(2月8日)、国土交通省鉄道局が
「平成23年度以降のホームドアの整備計画」を公表しました。
そこには札幌市交通局やJR東日本、
我らが名古屋市交通局も入っており計285駅に整備されるようですが
目を惹いたのはJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州です。
路線名:北海道新幹線 駅名:奥津軽・木古内・新函館
路線名:北陸新幹線 駅名:飯山・上越
路線名:北陸新幹線 駅名:糸魚川・新黒部・富山・新高岡・金沢
路線名:九州新幹線(西九州ルート) 駅名:武雄温泉・
嬉野温泉・新大村・諫早
当然、注釈として駅名は仮称とはされていましたが、
まあ時代の要請で、ホームドアというか可動式ホーム柵は
必須アイテムなのでしょうが、この一覧表を見て、
別の意味の感慨(新線建設)を持ちました。
※仙台市交通局の東西線も出ています。
趣味とは言え、こうした行政が発表する資料もたまには見てみるものですね。

2011年02月10日 8時01分

立山黒部アルペンルート(7)関電トロリー「扇沢駅」

私が立山黒部アルペンルートを踏破した平成6年(1994年)は、
関電トロリーが開業して30周年にあたり、
扇沢の駅にはその記念横断幕が掛けられていました。
ところでこのルート、
昭和29年…「立山ケーブル」
昭和30年…「高原バス」(全通は昭和39年)
昭和39年…「関電トロリー」
昭和44年…「黒部ケーブル」
昭和45年…「立山ロープウェイ」
昭和46年…「立山トンネルバス」が開通して全線開業。
となっており、この一枚の横断幕は
結構意味合いがあるものと思っております。

そんな歴史はさておき、「関電トロリー」(立山トンネルバスも同じ)で
思い出したことが1点。
狭いトンネルを突っ走るバスの運転手さんの運転技術には
驚かされました。
本当はそんなにスピードは出ていないのでしょうが、
何せ壁が近く圧迫感があり、もしも私が運転したら間違いなく、
間違いなく壁にぶつけていると思いました。
それと、トンネルの真ん中の信号所で対向車と行き違ったのですが、
何台も連なったバスが“交換”する光景は「鉄道」と違って
車両が連結されていないだけに不思議な感じでした。

(皆さんの感想をお聞きしたいこと)
それは「立山トンネルバス」のこと。
平成8年に“電化”され「立山トンネルトロリーバス」となっています。
トロリーバス化された後に私は乗っていませんが、
これを乗った路線としてカウントしておいて
良いものかどうかについてです。
非電化の路線が電化されても、当然の事ながら元々線路があるため、
それは全く気にしていなかったのですが、こうした場合は想定外。記録ホルダーの立場では、やはり乗りに行くべきなのでしょうね?

2011年02月09日 18時20分

立山黒部アルペンルート(6)関電トロリー「黒部ダム駅」

昨年の6月14日、このブログでも
この「関電トロリー」をUPしていますが、
その時は、平成6年当時の話しはUPしていないので
2度目の登場をお許し下さい。

「立山黒部アルペンルート」もしくは「黒部ダム」の公式HPの
車両写真と見比べていただければ良いのですが
この車両、実は今は走っていない旧車両200型です。
如何にも昭和を感じさせるデザインは、
まるで『ブリキおもちゃ』の様な愛らしさです。
(そう思うのは、私だけ?)
ところで先回UPした300型は、
200型から車体デザインの変更だけではなく、
VVVFインバータ制御方式など当時の最新技術が取り入れられています。

「黒部ダム」~「扇沢」間、6.1キロを16分で結ぶこのトロリー、
私が生まれて初めて乗ったトロリーではなく、
以前、ヨーロッパで乗ってはいるのですが、
それが日本で初めてとなればやはり感慨はありました。

乗ってみての感想は、正直、覚えていません。
乗客が多かったのと、同行者もいて落ち着いて『堪能』できるような
状況ではなかったかと思います。
※「ディーゼルエンジンのバスと形は同じでも
走行音の静けさには驚かされました」と
想像で書くのは簡単ですが、やはりここは正直に…。

「黒部ダム」公式HP内のコンテンツ「日本唯一のトロリーバス」は、
私のようなメカ初心者には分かりやすい内容と思います。
お勧めです。

2011年02月09日 9時08分

立山黒部アルペンルート(5)黒部ケーブル「黒部湖駅」

全線で0.8キロ、駅間標高差373メートル、
最大勾配31度の黒部ケーブル「黒部湖駅」です。
起点から乗車して、下っていく感覚はちょっと不思議な感じです。

「黒部平駅」発13:00のケーブルは、
何もない(当たり前ですが)コンクリートの筒の中を
ひたすら「黒部湖駅」目指し「黒部湖駅」には13:05到着。

そう言えば思い出したことが一つ。
乗客の方達が、このケーブルの中だけはあまり会話を
されていませんでした。
分かるような気もしますが何故だったんでしょう?
ところでこの話し、覚えていてもしょうがないことを時々思い出す
“年配者”の習性でしょうか?

俗に言われている“「地下鉄」のようなケーブルカー”という表現が
ピッタリ過ぎて『恐れ入谷の鬼子母神』(おそれいりやのきしもじん)と
思わず若い人には辞書を引いても理解不能な言葉が
思わず頭に浮かんでしまいました。

そんなことはどうでも良くて、
間違いなく『絶景』の真っ只中を走るケーブルが
全線地下はあまりにも勿体無いのですが
“自然保護”“雪害防止”の観点からの選択なので致し方ないですね。
せめて珍しい「地下ケーブルカー」ということだけを
ひたすら楽しみましょう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!