2011年02月08日 18時26分

豊橋鉄道「運動公園前」の出発信号機?

豊橋鉄道「運動公園前」停留所の、伊原よりのところにある
路面電車の運転士さんが運転時に確認している
『路面電車専用信号機』というか『出発信号機』です。
私・個人的には、『出発信号機』がイメージに合います。

下段の横2つの表示ですが、
右側の“読める”方は『続』とあり、
左側はまず読めませんが、『対』の文字があります。

『続』は、「おでんしゃ」「ビール電車」を始めとした
単線ならではの続行運転を行う時の確認用と察していますが、
『対』は多分、続行運転時に、後続車両が未着(対向車あり)と
いうことかなと考えましたが、
真相は私の知識の範囲を超えています。
※「マスコミの人間なら「豊鉄」さんの広報担当でも聞いたら?」と
言われそうですが、このブログは“仕事”とは言えないため、
そこまでの勇気が出ません。ご容赦を!

上段は、真ん中の「×」で察しが付くように、その上段を合わせて
所謂“出発信号機”の役割のようで
一番下の「Z」は、続行運転時の“出発確認”ではないかと
推察しました。
ところで、私の記憶間違いでなければ、
豊橋鉄道の市内線の電車の車体には「続行運転」を示す
『続行灯』(で良いかはともかく分かりますよね)がなく
どうやって続行の運転管理を行っているかは興味があります。
ただ、何故「Z」なのか?は分かりません。
続行をアルファベット表示すると「Zokko」だからでしょうか?
それとも「Z」には全く違う意味が…?

2011年02月08日 8時00分

豊橋鉄道「運動公園前」で発見!

今回の「ビール電車」で撮影した、豊橋鉄道「運動公園前」の
停留所名の書かれた電停標識に付いていた『銘板』です。

付いていたとは言え、停留所名が書いてある大きな行灯部分の土台の
コンクリート部分に嵌め込まれ、
しかも“足元”の高さにあるので
細部まで探求していないと見つけられないかもしれません。
もっとも、これは私は発見したのではなく、
他の参加者が気付き、教えてくれたものです。(多謝)

風雨のせいで文字の判別が難しくなっているので全文を一挙掲載。
(そんな大袈裟なモノではない・・・)

上から
「1982.7」
「運動公園前ー伊原」
「延長652メートル」
「施主 豊橋鉄道(株)」
「施工 豊鉄施設工業(株)」
となっています。

車両で言えば「製造銘板」みたいなものでしょうが、
路面電車にしろ一般の鉄道にしろ、私は他に同様のモノを
見た記憶がありません。
どこかの鉄道でこうしたものを人知れず(?)なのでしょうが
目を凝らせば見つけられる場所に設置している事例を
ご存知の方は是非お教え下さい。

ところで施工した「豊鉄施設工業」は豊橋鉄道の関連会社ですが
今はこの社名は無く昭和61年に、「豊鉄建設(株)」に
商号変更しています。
「運動公園前」への延長が昭和57年でしたので、
しばらくしてから社名が変わったことがこの銘板から見て取れます。
鉄道施設のちょっとした事にも目を向けていると
思わぬ鉄道会社及び関連会社の歴史を発見したりで面白いですね。

2011年02月07日 18時58分

今年の「おでんしゃ」の“おでん”。

平成19年に始まり、今年で4年目を迎えた豊橋鉄道の「おでんしゃ」、
相変わらずの人気で、今年度は2月19日(土)までと
運転期間が拡大しています。

ところで私が知り合いに『「おでんしゃ」に乗ってきたよ』と、
話すと良く聞かれるのは、『どんな料理が出るの?』です。

それで、肝心の料理の写真をUPすることにしました。
上段の写真が今年度の料理で、下段の写真は昨年度の料理です。

“おでん”は、玉子・大根・こんにゃく・さつま揚・魚河岸揚・
焼竹輪・結昆布の7種で、ラインナップは同じです。
今年初参加(初乗車)の方からは、『僭越ながら』としながらも
「美味しいので“ビックリ”したと」いう声も聞こえたほどで
そうでなければリピーターはつかないので、
“その通り”の味と思って頂いても良いでしょう。

一方、「おでん」の隣の『おつまみ弁当』は、
毎年、中身を変えているそうで、
昨夏のビール電車の時に、豊橋鉄道の方から、
「工夫の一つです」と聞きました。

楽しさは変わらない「おでんしゃ」だけど、
実は少しずつ変わっているのです。
それも私が「頑張れ!豊橋鉄道」と言いたくなる理由の一つです。

2011年02月07日 8時00分

登録商標「おでんしゃ」。

今回、この「おでんしゃ」で新しい発見が!
等と偉そうに言えないのは
それを見つけたのが「名古屋レール・アーカイブス」会員の
Yさんだから…。
悔しいのは、それが本来の私の会社での仕事の一つだから…。
※『鉄道』は私の本職ではありません…。(笑)

電車の“おでこ”に「走る屋台 おでんしゃ」の文字があるのですが
その右下隅に、○に囲まれた「R」の文字が!
※白い矢印の先にあります。小さくて見つけにくいかも?

ここからは少し難しい話しを…。

これは「おでんしゃ」という名前が、
特許庁に「商標」として登録されており
「豊橋鉄道」以外の会社等が自由に使えないということ。
○に囲まれた「R」の文字は、「registered trademark」の略で
その表記をすることで「商標を登録しています」ということを
対外的に分かるようにしているものです。

調べてみました。
平成20年12月10日に出願され
平成21年7月17日に登録。
平成31年7月17日まで対外的な権利が存続します。

なお、権利として認められているのは「飲食物の提供」と
「宴会・会食のための施設の提供」で、
つまり『飲食物』は「おでんなどの食べ物」や「ビールなどの飲み物」、
『施設』は“3203号”ということになりますでしょうか…。

参考までに「おでんしゃ」という名前の『お酒』を
豊橋鉄道以外の会社が作ったとしても、
商標法上でそれを止める権利は豊橋鉄道にはありません。

2011年02月06日 20時01分

今年も豊橋鉄道の「おでんしゃ」。

最初にお詫びです。昨年も3月2日からこのブログで
「おでんしゃ」の事を書いていますが今年も書きます。お許し下さい。

昨日(2月5日)、今年も「日本路面電車同好会名古屋支部」主催の
特発「おでんしゃ」に乗ってきました。

豊橋鉄道東田本線「駅前」発16:08、
写真の「運動公園前」折り返し「駅前」着17:21のダイヤで、
電車は昨年と同じ「3203号」。
(余談)
夏の「ビール電車」も、塗り分けは異なりますが
同じ「3203号」です。電車の“衣替え”と言ったところでしょうか?
比較する写真は昨年8月22日のこのブログをご参照ください。

参加者は30名。
「日本路面電車同好会」を中心に、
私のような「名古屋レール・アーカイブス」の会員、
「鉄道友の会」の会員の方など『鉄道の輪(和?)』が
広がってできた仲間が大集合で楽しすぎるひと時でした。

(ご注意)
電車の左に、「おでん」の提灯がぶら下がっていますが、
これは本来、車内にあるものなので、許可を得た上で
参加者の記念撮影用に外に吊りげたものです。
間違ってもこのまま走っているわけではありません。

2011年02月06日 9時03分

豊橋鉄道の「なのはな号」。

昨日(2月5日)、豊橋市へ行ってきました。
※「理由は追ってUPします」と勿体をつけても
この時期、豊橋に夕方行くということはもうバレバレですね。

それはさておき、集合時間が16:00だったので、
その前に、豊橋鉄道渥美線『新豊橋駅』発15:45の
元東京急行電鉄の7200系、ここ豊橋では1800系の
「なのはな号」を撮影!

実は、『新豊橋駅』を出て直ぐの所に写真の様な
ちょっとした“菜の花”畑が作られており、
ここでの“菜の花”と「なのはな号」の2ショットは、
地元では手近な撮影地として知られているそうです。
私も「豊橋」が詳しい方に聞いて行きました。

(撮影地詳細情報)
『新豊橋駅』から歩いて数分『柳生橋駅』方面に向かうと
右手に跨線橋があり、その階段を少し上った踊り場から撮影。
難点は、電車と花畑のスペースが少し広いため
「雰囲気」のある写真には纏まり辛いこと。
それでも私以外に1人の方が撮影されていました。

私としては電車の黄色と菜の花の色合いが相まって、
なかなか良い感じだったと思っており
時間のない方、手っ取り早く「なのはな号」を撮影したい方には
お勧めです。

勿論、更に先へ進めはもっと良い写真が撮影できるスポットはあります。

2011年02月05日 18時00分

立山黒部アルペンルート(4)黒部ケーブル「黒部平駅」

写真は、日本では“唯一”の「全線地下」を走るケーブルカー
『黒部ケーブル』の「黒部平駅」です。

(参考)
青森県の「青函トンネル竜飛斜坑線」は全線地下とは言えないそうです。
何故なら「青函トンネル記念館駅」は一見、地下駅に見えますが、
実際には建物の中にあって“地下”ではないからとのこと。
よって「全線地下」は『黒部ケーブル』だけだそうです。

さて、平成6年7月6日、「弥陀ヶ原ホテル」を出発した私は、
バスで「室堂」に向かい、暫し散策(取材の下見です…)。
昼食後に、「室堂」発12:15の“立山トンネルバス”で「大観峰」へ。
※当時“立山トンネルバス”は、現在の様なトロリーバスではなく、
普通のディーゼルエンジンのバスが走っていた。

「大観峰」発12:40のロープウェイで「黒部平」へ。
そしてこの写真の「黒部平駅」に至るということですね。ふうっ。

余談ですが、この訪問時、このルートの『広報担当者』から、
そのロープウェイが輸送能力の問題から「立山黒部アルペンルート」の
ボトルネックとなっており、
ハイシーズンともなると乗客の行列が出来る“名所”だと聞きました。
この『待ち』があるかどうかでこのルートの
所要時間が変わるとも仰っており、
今もそんなに状況が変わっているとも思えないので
“ケーブルカー”&“トロリーバス”の『乗り鉄』の方は
訪問時にはその辺りのことも考えてスケジュールを
組立てたることをお勧めします。

2011年02月05日 8時03分

立山黒部アルペンルート(3)立山ケーブル「美女平駅」からの眺め。

「美女平駅」からは絶景が望め、思わずこんな写真を撮っていました。

ところで仕事で「鉄」をしておいて何ですが、
このケーブルの乗車日である平成7年7月5日から、
私はケーブルカーの乗車記録をつけ始めました。
昨年の10月8日にUPした「丹後海陸交通」や
そのうちUPしようかと思っている「箱根登山鉄道」のケーブルは
大学生の頃に乗ってはいるのですが、記録をとっておらず
改めて乗り直しています。
この「立山ケーブル」、実は私にとって「ケーブルカー」完乗への
『第一歩』という記念すべき路線でした。

さて、私はこのブログで「立山ケーブル」という名称を使っていますが、
『鉄道要覧』では、後日ここでUPする予定の
「黒部ケーブル」も含め線名は“鋼索線”となっています。
正式名称となれば“鋼索線”を使用すべきでしょう。
一方、「立山黒部アルペンルート」の公式HPでは
それぞれ『立山ケーブルカー』『黒部ケーブルカー』となっており、
この線名を使うことも考えたのですが、
好みの問題と言う事でお許し下さい。

また「立山黒部アルペンルート」と言えば、
その知名度は高いと思いますが、この名称は昭和45年からで、
意外なこと(と言えるかどうかはわかりませんが)に、
このルートの全通は翌昭和46年で、
一足早い“名称”のお披露目でした。

(余談)
社名の「立山黒部貫光」にある「貫光」って一体なんでしょうか?
少なくとも辞書には無い言葉です。
今回のブログを書くにあたり公式HPを見てみました。
それによれば「貫」とは時間のことで、
「光」は宇宙空間、大自然を意味し…、
思いのほか壮大で高邁な理念に基づく
「造語」であることはわかりました。
以前、取材時に聞いているはずなのですが思い出せないので
調べ直した次第です。
人間は忘れる動物である・・・。

2011年02月04日 18時17分

立山黒部アルペンルート(2)立山ケーブル「美女平駅」。

平成6年7月5日、富山地方鉄道の「電鉄富山駅」発12:51に乗車。
「立山駅」着13:53.
立山開発鉄道「立山駅」発14:00に乗車。
写真の「美女平駅」には14:07に到着しました。
わずか7分間の出来事でしたが、風景の良さはじっくり楽しめました。

『立山黒部貫光』のHPによれば、
この立山ケーブルの開業は昭和29年(私の生まれた年。
それだけでも親近感が湧くと言うものです)ですが、
今の「立山駅」は開通当時「千寿ヶ原」という駅名で、
昭和45年に「立山駅」と改称されています。
※富山地方鉄道立山線の現「立山駅」も同じタイミングで
「千寿ヶ原駅」から改称されています。

そうっ、「千寿ヶ原」と言えば昨年8月21日にUPした
『立山砂防軌道』の「千寿ヶ原連絡所」を思い出します。
ケーブルの開業時は、同じ名前だったんですね。

(余談)
写真に写っている男性ですが、ちゃんとブログ掲載の「承諾」を取っています。
私が連絡しなかったら、多分、本人が見ても自分とは気付かなかったかも。何せ16年の年月が流れています。

2011年02月04日 8時02分

仕事「鉄」で『立山黒部アルペンルート』へ。(1)

立山黒部アルペンルートを仕事「鉄」で踏破したのは、
平成6年の7月5日~6日です。

その年、富山側からですと「室堂」の少し手前、
広大な湿原が広がる弥陀ヶ原高原にある「弥陀ヶ原ホテル」が改築され、
これに伴い旅行代理店やマスコミ関係者の招待宿泊があり、
私も番組の下見を兼ねてそれに参加しました。

写真は、立山ケーブルの富山側の起点「立山駅」で、
今は、この先、黒部湖までの交通機関全てが
『立山黒部貫光』になっていますが、
当時、立山ケーブルは『立山開発鉄道』の路線でした。
(平成17年に『立山黒部貫光』と合併。現在に至る)
また、車両が現在のモノではなく、初代のものである点が
たかだか十数年前であっても時代を感じさせ、また懐かしいですね。

1.3キロの距離、駅間標高差502メートル、
平均勾配24度を7分で結ぶこのケーブル、
写真でも分かるように麓側に“貨車”が連結されていることが
多いのが特徴で、山男達のリュック等を運んでいました。
(「今も、」ですので「運んでいます」が正解ですね)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!