2011年03月01日 17時57分

三岐鉄道三岐線のこと(8)「富田駅」があった頃の乗車券。

『三岐鉄道三岐線』の最後に、昭和53年当時の乗車券を…。
私の『三岐線』乗車録は、平成53年12月1日の
●「西藤原」発11:10⇒「近鉄富田」着11:56
●国鉄「富田」発14:40⇒「大谷知」着14:45
『近鉄連絡線』と『三岐線』の間の時間を利用して
「近鉄湯の山線」に乗っています。

左の車内乗車券で言えば、赤い矢印を入れておきましたが、
「国鉄富田」や「三岐朝明」が現役なのは特筆すべきことでしょうし、
それ以外にも、「大長」「大井田」は後に、
それぞれ「北勢中央公園口」「大安」に改称され、
一方、「宇賀渓口」のように「三里」に
駅名が戻っている場合もあります。
私が小学生の頃、夏休みに「宇賀渓」に遊びに行ったことがあり、
確かその時は「三里」から“バス”を使った記憶が残っています。

また、記憶が怪しいのですが、確か「三里」駅は住居兼用で、
ご主人が運転士さんで奥様が駅長をされており、
それで取材をさせて頂いたような覚えがあります。
※違っていたら御免なさい。

右側の乗車券ですが、改めて見て面白いと思った事が1つ。
赤い矢印の先ですが、『(関)富田』とあり、
これは「国鉄関西本線」の“関”であろうと察するのですが一方、
車内乗車券は『国鉄富田』です。
駅の正式名称は『富田』なので、
利用者に分かりやすくする工夫だったのかなぁと今は思っています。

2011年03月01日 9時04分

三岐鉄道三岐線のこと(7)富田駅。

写真は、JR「富田駅」で暫しの休憩をする
「伊勢治田駅」で交換した「ED453」と「ED454」です。

電車は、「近鉄富田」を発着していますが、
貨物列車は、当然の事ながら「近鉄富田駅」には向かわず、
貨物の連絡運輸のためJR「富田駅」に入ります。

昔(昭和45年)までは、「近鉄富田駅」への連絡線がなく、
三岐線の電車もこの国鉄「富田駅」を起点にしてことは
先に書いたとおりですが、今回、再訪して驚いたのは、
昭和60年にこの国鉄「富田駅」を発着していた電車が
無くなったにも係わらず、駅名標が残っていたことです。

機関車の左端にあるのがそれで、
そこには、次の停車駅として「大矢知」の名前があり、
つまり、このホームが紛れも無く『三岐鉄道』の駅であることを
証明しています。
また、JR「富田駅」の跨線橋からこのホームに下りる階段の入り口は
板が打ち付けられ閉鎖されていましたが、写真の右端にある、
ホームから繋がる階段の先に少し、水平の通路部分があるのですが、
そこには「宇賀渓・藤原岳へ 三岐鉄道」の文字が
今もはっきりと読み取れます。

何も知らない関西本線の列車の乗客がこのホームを見たら、
多分、今は貨物列車が止まっているけど
電車も走っているのだろうと思ってしまうでしょう。

この風景は正しく“昭和”を髣髴させました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!