2011年03月01日 9時04分

三岐鉄道三岐線のこと(7)富田駅。

写真は、JR「富田駅」で暫しの休憩をする
「伊勢治田駅」で交換した「ED453」と「ED454」です。

電車は、「近鉄富田」を発着していますが、
貨物列車は、当然の事ながら「近鉄富田駅」には向かわず、
貨物の連絡運輸のためJR「富田駅」に入ります。

昔(昭和45年)までは、「近鉄富田駅」への連絡線がなく、
三岐線の電車もこの国鉄「富田駅」を起点にしてことは
先に書いたとおりですが、今回、再訪して驚いたのは、
昭和60年にこの国鉄「富田駅」を発着していた電車が
無くなったにも係わらず、駅名標が残っていたことです。

機関車の左端にあるのがそれで、
そこには、次の停車駅として「大矢知」の名前があり、
つまり、このホームが紛れも無く『三岐鉄道』の駅であることを
証明しています。
また、JR「富田駅」の跨線橋からこのホームに下りる階段の入り口は
板が打ち付けられ閉鎖されていましたが、写真の右端にある、
ホームから繋がる階段の先に少し、水平の通路部分があるのですが、
そこには「宇賀渓・藤原岳へ 三岐鉄道」の文字が
今もはっきりと読み取れます。

何も知らない関西本線の列車の乗客がこのホームを見たら、
多分、今は貨物列車が止まっているけど
電車も走っているのだろうと思ってしまうでしょう。

この風景は正しく“昭和”を髣髴させました。

    

    ADVERTISEMENT

    電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
    稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

    カレンダー

    2011年3月
    « 2月   4月 »
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  

    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!