2011年03月02日 9時00分

三岐鉄道三岐線のこと(9)「富田駅」があった頃。

写真は、昭和53年12月1日、私が「西藤原」から乗ってきた電車です。
(撮影は、「近鉄富田駅」)

ところで今、交通公社の時刻表「昭和53年10月号」を
見ながら書いています。
私が「富田」~「大矢知」間を乗った昭和53年12月頃、
その区間を走る電車は、「富田」発が2本で、
「富田」着は僅かというのも憚られるたった1本。
「富田」発は6:00、14:40。
「西藤原」発は17:30。

驚いたのは、正式駅名は間違いなく「富田」だったにも関わらず、
時刻表の駅名表記は何と「国鉄富田」。
「近鉄富田」との差別化と言うか、
利用者の利便を考えればその考え方はあながち間違いとは言えず、
“サービス”の観点からすれば当然の事なのでしょうが、
今一つ、釈然としません。

車内乗車券の「国鉄富田」は、先に書いた通り、
許される範囲と思うのですが、時刻表が正式名称を使用しないのは
やはり、引っかかるものがあります。
ところが“本当”に驚くのはまだまだこれからでした。

昭和53年当時の「富田」乗り入れ列車のあまりの本数の少なさに、
それではそれより以前はどれ位の本数があったのかを
調べることにしました。
すると、昭和49年7月号では「国鉄富田」と「近鉄富田」が
ちゃんと別駅として、それぞれの時刻が掲載されていたのですが、
何と、それ以前の時刻表の時刻は「富田」で一括り。
一体、「近鉄」「国鉄」のどっちに行って、どっちから出るのか
さっぱり分かりません。

それより、索引地図で「国鉄」と「近鉄」が分離されたのは
「近鉄連絡線」が開通してからどんだけ経ってるんだよ!と、
突っ込みたくなるほどの時期だったことが分かりました。

古い時刻表をお持ちの方、私の話しが本当とどうか
一度お確かめいただきたいと思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!