2011年03月07日 9時01分

「尾小屋駅」に到着し、駅柱に取り付けられた『をごや』の
駅名ホーロー看板を見つけた時、私は、
何て“時代がかった”仮名表示か!とでも感じたのでしょう。
そうでなければこうして写真が残っているわけがありません…。
開通した大正9年から私が訪れたこの昭和50年、
そしてそれから廃線となった昭和52年3月19日まで、
「をごや」を見つめてきたひょっとしたら数少ない
生き証人だったのかもしれません。
(一枚の写真)
昭和50年当時の私の写真事情ですが、現代のデジカメ時代とは
明らかに違い、
目に付いたものは取りあえずシャッターを押すなどという
“蛮行”はあり得ませんでした。
特に学生にとっては、一眼レフは使ってはいたものの
フィルム代、撮影後の現像代、さらにネガの場合にはプリント代など、
その出費の負担は各段に重く、
それゆえ現像まではしてもプリントしていない写真も多く、
1枚の写真の重みは桁違いです。
一方で、それゆえに未整理写真も多く、
撮影した記憶のある写真がなかなか探し出せない?現実があります。
前にも書いたと思いますが、私は「乗り鉄」の乗車券代はある種、
惜しみなく使っていましたが、写真をあまり撮っていない理由が
ここにあります。
それだけに、この写真は、私にとって撮影時に何がしかの“思い”が
あったのは間違いないのでしょう・・・。