2011年03月20日 20時31分

昭和50年、夏の「尾小屋」(6)留置線の車両たち。

今回は「尾小屋駅」側線に留置されていた車両たちです。

手前から「ト2」、続いて「ワフ3」「ホハフ2」「ホハフ5」と
4両が並んでいました。

個々の車両については、寺田裕一氏の「尾小屋鉄道」に
詳しい記述があるのでそちらをご参照いただきたいのですが、
何れにしろここに写っている4両は全て現存しないはずです。
(多分、言い切れる)

ところでこの車両たちですが、見た感じ、使われなくなって既に
結構長い時間が過ぎていた雰囲気で、
全車両とも線路上で自立していること自体にある種の“不思議さ”を
覚えた程です。
また、それゆえ、ちょっとでも動かそうものなら
間違いなく『そのまま崩れ落ちてしまいそうだった』と
私が言ったとしても、皆さんから多分「そんな大袈裟な・・・」とは
言われないと思います。

古い車両が、側線等にほぼ“放置状態”となっていることは
地方の経営の苦しい鉄道では(今も…)ありそうな風景ですが、
ここ「尾小屋」はあまりにも堂々としていて遠目には「現役」そのもの。
今、改めてこの写真を見ての感想ですが、
こうした“怪しげな”昭和を残している場所があれば、そ
れはそれで一瞬の悲しさはあるかも知れませんが、
そのまま朽ち果てさせてあげたいと思う自分がいます。

2011年03月20日 8時52分

昭和50年、夏の「尾小屋」(5)『C15 5』。

3月7日以来の尾小屋鉄道です。

「尾小屋駅」の側線にいた『C15 5』。
製造銘板には、「富山 立山重工業株式会社 昭和22年11月製造」と
ありましたから戦後間もなく作られたのでしょう。
1両それぞれが個性的だった「尾小屋」の蒸気機関車・
ディーゼル機関車・気動車・客車・貨車たちと活躍した小さいけど
存在感のあるこの『C15 5』。

今は、小松市立「ポッポ汽車展示館」で保存されていますが、
そこのHPを見ると“煙”をはいているものもあって、
何がしか現役時代の雰囲気を醸し出そうと努力されているみたいです。

ところで不思議なことが1点。
私の写真では『C15 5』であることは間違いないのですが、
「ポッポ汽車展示館」HPの写真を見ると『No.5』とあり、
また今回の参考資料で確認したのですが、
要は元々が『5』として現役時代を走り続け、その後『C15 5』となり、
再度『No.5』に戻ったようです。
それにしても、何故『No.5』は『C15 5』になり
『No.5』に戻ったのでしょう?

また、三重県桑名市の「長島スパーランド SLランド」に
貸し出されていた時期もあるようですが、
そもそも「SLランド」の記憶が殆どありません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!