2011年03月21日 19時58分

昭和50年、夏の「尾小屋」(8)「新小松駅」。

昭和50年8月22日。
この日、「尾小屋」は雨では無かったものの、「新小松駅」に
戻ってくるころからいよいよ降り出してきました。

ここを訪れる前は、国鉄「小松駅」の“裏側”に『ひっそりと佇む駅』の
イメージでしたが、思ったよりは開けた感じで、
考えてみればこの「新小松駅」界隈は、当時、石川県の第2の
“大都市”小松市の中心駅「国鉄小松駅」に隣接しており、
周辺には商店もあったりで、さほどうらぶれた雰囲気では
無かったような記憶です。
また駅そのものの規模もそれなりにあり、この写真を撮った段階までは、
失礼な言い方とは思いますがもっと“軽便”という言葉が似合う「駅」と
思っていました。

ところでこの写真は、「尾小屋」に向かう時ではなく、
「尾小屋」から戻ってきてから撮影したものです。
行く時は乗り換え時間の関係でその時間が無かったからですが、
お昼も食べずに取りあえず撮影していたことが次々回UPする写真から
発覚しています。

2011年03月21日 8時05分

昭和50年、夏の「尾小屋」(7)乗車券。

上の硬券の乗車券が往路「新小松」⇒「尾小屋」、
下の車内乗車券が帰路「尾小屋」⇒「新小松」で使用したものです。

改めて車内乗車券を見ていて、思いのほか駅の数が多いのに気付きました。
16.9キロでその駅数が16ということは、ざっと1キロに1駅あった
計算になります。

地方の路線バス同様、民家があれば「駅」があるといった
状況だったのでしょうか?
何せ、沿線風景もあまり覚えていませんのでそれを確認の
しようがないのが残念です。
とにかくトコトコ一駅ずつに止まりながら、
ノンビリと走っていたことだけは間違いなさそうです。

乗車日の「月」のところがアラビア数字で、
「日」が「漢数字」という組み合わせは私の知る限り、
「尾小屋鉄道」だけで、横長というのも珍しい形状だった
のではないのでしょうか?
また、運賃が漢数字というのも少数派と思われます。

さて、この乗車券は「新小松」~「尾小屋」間で、390円分の
パンチが入っています。
「二00」+「一00」+「九0」で辻褄を合わせているのですが、
確かに、乗車券記載の料金を組み合わせれば全ての運賃の組み合わせが
可能でしょう。
上の『290円』乗車券で「運賃改正」の押印がありますが、
この年の8月7日に同区間では『390円』と値上げされています。

ところが…。交通公社の時刻表では、私の調べた限り、
廃線の時まで『290円』のままでした。三岐鉄道の時も書きましたが、
当時、如何に国鉄至上主義だったかということもあるとは思うものの、
きっと鉄道会社から交通公社に訂正を申し出ることも
あまり無かったのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!