2011年03月22日 9時00分

昭和50年、夏の「尾小屋」(9)『キハ1』。

当時の事を思い出そうと必死になっていますが、さほど記憶が蘇りません。
乏しいというかあまりにも細すぎる記憶の糸を辿りつつ、
紡ぎつつこのブログを書いています。

写真は私が「新小松」~「尾小屋」間を往復乗車した
『キハ1』の「新小松」停車中です。
延長16.9キロを50分程で走っていましたから表定速度は約20キロ。
この速度は、電化ナローの三岐鉄道北勢線の20.4キロにおける
現在の所要時間の1時間程度と比較しても、
決して見劣りすることはなく、
今考えてみれば、驚くべきスピードと言えるのかも?

ところでこの『キハ1』を最初に見た印象は、あまりに小さな車両に
愕然としたということに尽きます。
「尾小屋駅」と「新小松駅」はそれなりに“立派”に見えたものの、
(もっとも途中駅は「軽便」でしたが…)
車両はやはり「軽便」そのものでした。

当時の私はあまりに能天気な学生で、“採算性”などという言葉は
別世界の出来事で、まずは鉄道に「乗れれば良し」ということ以外は
殆ど何の意識も持っていなかったのですが、
それでもこの鉄道だけは流石に“前途”がない!と思いました。
というより、この後昭和52年まで、『地元住民』の足として
生き長らえたこと事態が奇跡であり、驚きでした。

(尾小屋鉄道の話しからはそれますが・・・)
このブログで昨年の9月21日にUPした、名鉄「旧布袋駅」の話題で、
旧布袋駅のHPを製作中のmonさんから12月22日にコメントを頂きました。
その時、HPが出来たら「連絡を下さい」とコメントで返信したところ
一昨日の3月20日、アップロードしたとの連絡をもらました。
360度パノラマの布袋駅が、現役当時の魅力満開で、
monさんの布袋駅への愛情が伝わってくる、心が温かくなるHPです。
よろしければアクセスしてみて下さい。

2011年03月21日 19時58分

昭和50年、夏の「尾小屋」(8)「新小松駅」。

昭和50年8月22日。
この日、「尾小屋」は雨では無かったものの、「新小松駅」に
戻ってくるころからいよいよ降り出してきました。

ここを訪れる前は、国鉄「小松駅」の“裏側”に『ひっそりと佇む駅』の
イメージでしたが、思ったよりは開けた感じで、
考えてみればこの「新小松駅」界隈は、当時、石川県の第2の
“大都市”小松市の中心駅「国鉄小松駅」に隣接しており、
周辺には商店もあったりで、さほどうらぶれた雰囲気では
無かったような記憶です。
また駅そのものの規模もそれなりにあり、この写真を撮った段階までは、
失礼な言い方とは思いますがもっと“軽便”という言葉が似合う「駅」と
思っていました。

ところでこの写真は、「尾小屋」に向かう時ではなく、
「尾小屋」から戻ってきてから撮影したものです。
行く時は乗り換え時間の関係でその時間が無かったからですが、
お昼も食べずに取りあえず撮影していたことが次々回UPする写真から
発覚しています。

2011年03月21日 8時05分

昭和50年、夏の「尾小屋」(7)乗車券。

上の硬券の乗車券が往路「新小松」⇒「尾小屋」、
下の車内乗車券が帰路「尾小屋」⇒「新小松」で使用したものです。

改めて車内乗車券を見ていて、思いのほか駅の数が多いのに気付きました。
16.9キロでその駅数が16ということは、ざっと1キロに1駅あった
計算になります。

地方の路線バス同様、民家があれば「駅」があるといった
状況だったのでしょうか?
何せ、沿線風景もあまり覚えていませんのでそれを確認の
しようがないのが残念です。
とにかくトコトコ一駅ずつに止まりながら、
ノンビリと走っていたことだけは間違いなさそうです。

乗車日の「月」のところがアラビア数字で、
「日」が「漢数字」という組み合わせは私の知る限り、
「尾小屋鉄道」だけで、横長というのも珍しい形状だった
のではないのでしょうか?
また、運賃が漢数字というのも少数派と思われます。

さて、この乗車券は「新小松」~「尾小屋」間で、390円分の
パンチが入っています。
「二00」+「一00」+「九0」で辻褄を合わせているのですが、
確かに、乗車券記載の料金を組み合わせれば全ての運賃の組み合わせが
可能でしょう。
上の『290円』乗車券で「運賃改正」の押印がありますが、
この年の8月7日に同区間では『390円』と値上げされています。

ところが…。交通公社の時刻表では、私の調べた限り、
廃線の時まで『290円』のままでした。三岐鉄道の時も書きましたが、
当時、如何に国鉄至上主義だったかということもあるとは思うものの、
きっと鉄道会社から交通公社に訂正を申し出ることも
あまり無かったのでしょうか?

2011年03月20日 20時31分

昭和50年、夏の「尾小屋」(6)留置線の車両たち。

今回は「尾小屋駅」側線に留置されていた車両たちです。

手前から「ト2」、続いて「ワフ3」「ホハフ2」「ホハフ5」と
4両が並んでいました。

個々の車両については、寺田裕一氏の「尾小屋鉄道」に
詳しい記述があるのでそちらをご参照いただきたいのですが、
何れにしろここに写っている4両は全て現存しないはずです。
(多分、言い切れる)

ところでこの車両たちですが、見た感じ、使われなくなって既に
結構長い時間が過ぎていた雰囲気で、
全車両とも線路上で自立していること自体にある種の“不思議さ”を
覚えた程です。
また、それゆえ、ちょっとでも動かそうものなら
間違いなく『そのまま崩れ落ちてしまいそうだった』と
私が言ったとしても、皆さんから多分「そんな大袈裟な・・・」とは
言われないと思います。

古い車両が、側線等にほぼ“放置状態”となっていることは
地方の経営の苦しい鉄道では(今も…)ありそうな風景ですが、
ここ「尾小屋」はあまりにも堂々としていて遠目には「現役」そのもの。
今、改めてこの写真を見ての感想ですが、
こうした“怪しげな”昭和を残している場所があれば、そ
れはそれで一瞬の悲しさはあるかも知れませんが、
そのまま朽ち果てさせてあげたいと思う自分がいます。

2011年03月20日 8時52分

昭和50年、夏の「尾小屋」(5)『C15 5』。

3月7日以来の尾小屋鉄道です。

「尾小屋駅」の側線にいた『C15 5』。
製造銘板には、「富山 立山重工業株式会社 昭和22年11月製造」と
ありましたから戦後間もなく作られたのでしょう。
1両それぞれが個性的だった「尾小屋」の蒸気機関車・
ディーゼル機関車・気動車・客車・貨車たちと活躍した小さいけど
存在感のあるこの『C15 5』。

今は、小松市立「ポッポ汽車展示館」で保存されていますが、
そこのHPを見ると“煙”をはいているものもあって、
何がしか現役時代の雰囲気を醸し出そうと努力されているみたいです。

ところで不思議なことが1点。
私の写真では『C15 5』であることは間違いないのですが、
「ポッポ汽車展示館」HPの写真を見ると『No.5』とあり、
また今回の参考資料で確認したのですが、
要は元々が『5』として現役時代を走り続け、その後『C15 5』となり、
再度『No.5』に戻ったようです。
それにしても、何故『No.5』は『C15 5』になり
『No.5』に戻ったのでしょう?

また、三重県桑名市の「長島スパーランド SLランド」に
貸し出されていた時期もあるようですが、
そもそも「SLランド」の記憶が殆どありません。

2011年03月19日 21時07分

JR貨物の駅名が8駅で変わりました。

写真は、JR北海道/根室本線・新富士駅で入れ替え中の
貨物列車です。(平成22年2月21日撮影)

で、今日は3月12日にJR貨物がダイヤ改正に合わせて行った、
6線区8か所の駅名の改称のお話しです。
※ご存知の方は今回の話しは飛ばしてください。
※地震災害の真っ只中の出来事で、全く注目されていません。

(改称した駅。表記はJR貨物のHP参照)
1)根室線…釧路貨物駅←新富士駅(北海道釧路市)
2)根室線…帯広貨物駅←帯広駅( 北海道帯広市)
3)室蘭線…苫小牧貨物駅←苫小牧駅(北海道苫小牧市)
4)函館線…函館貨物駅←五稜郭駅(北海道函館市)
5)東北線…仙台貨物ターミナル駅←宮城野駅(宮城県仙台市)
6)東北線…田端信号場駅←田端操駅(東京都北区)
7)総武線…新小岩信号場駅←新小岩操駅(東京都葛飾区)
8)東海道線…京都貨物駅←梅小路駅(京都府京都市)

JR貨物では、地理的な位置がイメージしづらい駅や
旅客駅と貨物駅が分離された後も旅客駅と同一名の駅、
また『操』のついている駅のように国鉄時代のヤード方式を連想させる等、
利用者に分かり難い駅名を改称したとしています。
確かに「新富士」「五稜郭」「宮城野」「梅小路」は、
私たちには馴染みがありますが、「鉄」に縁のない人にとっては
どこにあるかが全く分からないでしょう。これは私も認めます。

と言うことで、写真の「新富士」は旅客駅名としては残りますが
日本最東端の“貨物駅”の名称では無くなりました。

ただ、今回改称された駅名を見ていると実に“味わいのある”
名称が並んでおり、ちょっと残念な気分です。
名古屋もそうですが『・・・ターミナル』は個人的には好きになれません。

2011年03月19日 9時00分

桜通線のダイヤ改正。

桜通線の徳重延長は3月27日(日)ですが、
それより一足早く、来週の月曜日(3月21日)に
桜通線のダイヤ改正が行われることを
どれだけの市民が知っているのでしょうか?

因みに私の家族は、誰もそのことを知らず、
昨日、駅でもらった時刻表を見せたら相当に驚かされました。

そこで名古屋市交通局のHPで詳細を確認しようと思ったのですが
トップページには、何も書いてありませんでした。
で、トップページ⇒地下鉄⇒時刻表と辿ってやっと見つけました。

確かに基本的なパターンの、平日朝ラッシュ時4分間隔、
平日昼間7~8分間隔、平日夕方ラッシュ時6分間隔、
土・日・休日10分間隔というのは変わらないのですが…。
だから多分、名古屋市も積極的に広報しなくても大丈夫と
踏んでいるのでしょうが、ハッキリ言って“駄目!!!”です。

平日朝のラッシュ時、1分刻みで行動している人も少なくないはず。
まして、ダイヤ改正の日が休日ダイヤですと、
「野並駅」⇒「中村区役所駅」方面は、昼間の10分間隔時のダイヤが、
2分早くなっています。
これはハッキリ言って“ヤバい”!
と言うのも、私なんぞは土・日・休日の昼間の時刻を覚えていて
それに合わせて行動しており、
例えば、「名古屋駅」⇒「野並駅」方面は4・14・24発とか。

また、「新瑞橋駅」での「名城線」との乗り換えも
これからと同じタイミングではなくなるので
電車を降りてダッシュで乗換に向かったら「あれっ?」ということが
起きそうです。
まずは明後日の月曜日、そして平日の火曜日の多少の混乱が
心配です。

でも、なぜ『3月27日』がダイヤ改正じゃないのだろう?
ハッキリ言って、東山線の小幅なダイヤ改正に比べ
「桜通線」の全面ダイヤ改正の扱いが大きい!のに・・・、
と、桜通線の沿線に住む私は思っている。

2011年03月18日 18時00分

JR東海「リニア・鉄道館」(10)何を今更、最後にジオラマ。

「リニア・鉄道館」の紹介をテレビ等でする際、圧倒的に時間をかけて
放送されているのが超巨大『ジオラマ』です。
「このブログで紹介してくれなくてもいいよ」という声が
聞こえてきそうですが、そんなことを言わずに暫しお付き合いのほどを。
なお、今回の2枚の写真、上段写真の東京付近の情景並びに
下段写真(矢印のカメラマンの人形に注目)を選択した理由は、
後で種明かしします。

この『ジオラマ』の制作風景は、中京テレビのニュースでも放送されたので、
ご覧になった方もいるかとは思いますが、大阪府豊中市にある
「株式会社ヤマネ」が制作したものです。

スタッフ数が19名と小さい会社ですが、昭和29年から
既に60年近い歴史があり、博物館等の展示造型物の分野では
その表現力は高く評価されており、敢えて“トップランナー”の一社と
言わせていただきます。
●決して『鉄道ジオラマ』の専門メーカーではありません。

それゆえ、制作過程で思わぬ事態もあったやと聞いていますが、
一方で、造形物の専門メーカーならではという部分も見受けられます。
●大規模ジオラマならではのJR東海の拘り。(上段の写真)
*東京・有楽町付近で、「ヤマネ」が作ったジオラマでは「新幹線」と
「在来線」の位置関係が実際とは逆だった(新幹線が西側)ので、
その部分は制作途中で一から写真の状況に作り直しています。
(JR東海からの指摘を受け・・・だそうです)
※在来線を「313系」が走るのはご愛嬌として・・・。

●「ヤマネ」ならではのお話しの例。
*全部かどうかまでは確認していませんが、建物の中など、
ジオラマ見学者の見えない所までも造型がなされています。
⇒見学者は、どうやってもそれを楽しめない。

*約2万5千体の人形には、モデルが存在するモノも!
⇒下段写真のカメラマンは、「ジオラマ」制作を取材した際の某局スタッフ。
(私は、彼の人形を捜すのに苦労した。なお本人からの申し出で、
局名及び名前は公開できず。こんな情報が入る私は一体何者?)
⇒JR東海の実在の社員の人形がどこかにあるらしい。

●とにかく各所に「ヤマネ」スタッフの“遊び心”が満載で、
海の中を『焼き魚』が泳いでいたりするのを探すのも
このジオラマの楽しみです。

昨年の12月25日にUPした「素麺鉄道」の作者、Hさんは以前私に
「お金をかければ出来ることと、お金とは別次元のことが鉄道模型にはある。
それが“遊び心”」と話してくれましたが、
この『ジオラマ』が単に“大きい”だけであったら、
これほど多くのマスコミの取材対象にはなっていないのでは・・・。
プロとアマの違いはあるものの、「ヤマネ」のスタッフの方達はきっと、
入館者を楽しませる前に自分達が“本気”で遊んでいたのではないでしょうか?
それが私たちにも伝わり、多分、多くの入館者を楽しませると思います。
また、こんな自由度の高い発注をしたJR東海も“なかなか”です。

※『焼き魚』の件は、鉄道アーティストの「小倉沙耶」さんから
教えてもらいました。探してください。
※このジオラマは“隠れキャラが一杯”と言われていますが
何せ数が多すぎて、“隠れキャラ”の域を超えています。

皆さん、「リニア・鉄道館」を様々な視点から楽しんでください。

2011年03月18日 14時58分

今日(3月18日)のJR東日本の運行状況。

今朝から田沢湖線が全線開通し、
在来線と秋田新幹線が盛岡~秋田間で運転を始めました。
※秋田新幹線は4往復。盛岡駅の乗り場は在来線ホーム。
※写真は、平成9年(1997年)5月15日、秋田駅にて撮影。

この情報は、JR東日本のHPで確認しているものですが
JR東日本のHPでの一般向けの情報公開が
やっと本格的に進み始めました。

今日の最新情報では、東北地区の運転再開状況や
東京から仙台(新潟・鶴岡からバス連絡)・盛岡・青森までの
迂回ルートの案内がされており、バス連絡の仙台を除く
盛岡・青森までの列車の接続時刻表も発表されています。

2011年03月18日 10時40分

JR東海「リニア・鉄道館」(9)展示の意義について一考察。

今朝から「青い森鉄道」「IGRいわて銀河鉄道」が全線で
運転を再開しました。

また、昨日の国土交通省の発表資料で
山形新幹線(福島~新庄)が復旧作業に入ったことがわかりました。
東北本線でも一ノ関~北上が20日には開通の見込みです。
これで一関~盛岡~目時~青森が繋がることになります。
また、JR貨物では、東京エリアでの貨物の引き受けを始めました。

ここで地震災害への備えを「地震被災地取材の経験者」として少し。
地震に限らず、停電・断水時にとても困ることに「トイレ」があります。
水や食料の備蓄をしている家でも、そこまで準備している人は
少数派でしょう。
私の家では一定期間分の「非常用トイレ」をトイレに置いています。
いまは常備していませんが、自家用車には「携帯トイレ」も
一時置いていました。
考えるまでも無いことですが、「水」が無ければ「水洗」は使えません。
また、「トイレ」に数回分溜めておくということもありますが、
「大」を溜めるといざ流そうとして“詰まる”危険性があります。
風呂の水を抜かずに常に非常事態に備えるということも
よく言われているのですが、それも限界があります。
「非常用トイレ」はホームセンター等で手に入りますので、
是非、準備をされておくことをお勧めします。
但し、これは一義的には“自宅が使える”ことが条件ではあります。
避難所では、個人が用意した数回分の「非常用トイレ」は焼け石に水で
あまり意味がないと思ってください。

また避難所の仮設トイレは、汲み取り式が多いと思われます。
便を溜めておく場所が足元に見えるタイプの場合、
不慣れからトイレに恐怖感を抱く人もいます。
また、便器が和式の場合、神戸では、和式で用をたせない子供達への
対応に苦慮していました。

何れにしろ「トイレットペーパー」の備蓄は必要です。
ただ、現状で必要以上に買いだめすることは、
東北地方への供給に支障を来たしかねないので
あくまでも、平常時の備えとしての話しです。
また、家に備蓄があったとしても、それは“個人”レベルではなく
被災者で共有できるものは“共有”という心も必要です。

(JR東海「リニア・鉄道館」(9)展示の意義について一考察。)
シンボル展示コーナーでは、狭軌のSLでのスピードの世界記録を持つ
「C62 17」、
電車方式での当時の世界記録を持つ「300X 955-6」、
鉄道としての世界記録を持つ超伝導リニア「MLX01-1」が
美しい並びを見せています。
このラインナップは、J東海ならではでないでしょうか?

ところで『アーカイブズ』というと、どうしても“過去”の文書・資料・
写真等々というイメージがあります。
でもこの“過去”が曲者で、実際には、今、私たちが生きている
一瞬一瞬から“過去”は始まっています。
その意味で、「リニア」の展示は、『アーカイブズ』としての意義があります。

中京テレビの『アーカイブズ』(映像ライブラリー)では、
撮影した映像を同日もしくは出来る限り撮影日から近い時点で
『アーカイブ』化しています。
その『アーカイブ』化で何をしているかと言うと、撮影日・
撮影した番組名・ディレクター(ニュースなら記者)・カメラマン・
『アーカイブ』化する映像の保管場所・『アーカイブ』化する映像に
写されている被写体の詳細等々、とりあえず考えられる限りの情報を
データベース化しています。
このデータベースが無ければ、『アーカイブ』化した映像は
“絵に描いた餅”です。何故なら、中京テレビが今現在、どんな映像を
持っているかの調べようが無ければ、そもそも使うことが出来ないからです。
もしも撮影した本人でしかその“ありか”が分からなかったら・・・、
如何に活用(再利用)することが困難かと言うことは皆様にも
ご理解いただけると思います。

さて、3月14日の「リニア・鉄道館」開館を控え、
私が内覧会で感じた纏めですが、“開館”は『アーカイブズ』の
到達点ではなく、単なる一里塚、いやスタート地点にやっと立ったと
言っても良いでしょう。
JR東海が『これから始まる“過去”』を如何に集積し、データベース化し、
活用(ここでの展示を含め)するかはまだ端緒にも付いていないので
ここで軽々に語ることは許されませんが、私はこの「リニア・鉄道館」が
『アーカイブズ』として将来に繋がる場所となることを切に願って止みません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!