2011年03月10日 0時00分

JR東海「リニア・鉄道館」(5)超伝導リニアシアター。

こちらは『超伝導リニアシアター』です。
(今回は「アーカイブ」の話しはしません)

上の写真が外観で、下がその内部です。
正直言って、侮っていました。
JR東海「リニア・鉄道館」の皆様には失礼な話しで恐縮ですが、
実は、単に“映像”を見せる『ブース』だと思いこんでいたのです。
ところがどっこい!

車内は、本物のリニアと同じ造りになっていて、
椅子をリクライニングさせてゆったり座っているだけでもリニアに
乗った気分になれ、山梨リニア実験線の試乗会の抽選に
落ち続けていた私にとっては、これだけでも達成感があり、
気分は上々でした。

で、いざ走り始めると・・・。
テーマパークのライド系で、椅子が動くアトラクションを
想像してください。
車輪走行から浮上走行、そして再度の車輪走行まで、
その微妙な振動や揺れが、椅子を通じて体に伝わってくるのです。
勿論、正面スクリーンや横にある窓外を流れるCGの風景の
迫力もあるとは思いますが、リニアがどんな“乗り物”であるかを
知るには十分でした。

正直、『超伝導リニアシアター』の情報があまり出てこないのが
意外な位で、多分、「山梨実験線での試乗」との違いは、
車体や風景などが本物かどうかだけであり、
それを問わなければ限りなく実車に近いのでは想像しています。
「リニア・鉄道館」で唯一、「リニア」を実感できる施設ですので、
私の隠れ一押しと言っても過言ではありません。

2011年03月09日 17時44分

「リニア・鉄道館」(4)クモハ52 004。

今回からは『名古屋レール・アーカイブス』からは離れますが
私の仕事の専門である“アーカイブ”の視点も時に入れながら続けます。

皆様に「リニア・鉄道館」にかけるJR東海の本気度を
知っていただける分かり易い事例を一つ。

右側が「リニア・鉄道館」に展示してある「クモハ52 004」。
左側が「佐久間レールパーク」で展示されていた時代の
「クモハ52 004」です。

一見、変わったようには見えませんが、実は今回の展示に当たって、
『乗務員ドア』が無くなりました。
●製造時(登場時)に『乗務員ドア』は無く、その後改造されて
『乗務員ドア』が付いた。
飯田線で走っていた頃は『乗務員ドア』があった。

つまり、この車両も製造当初の形に戻されたのです。
しかも凄いのが、見た限り、最初から『乗務員ドア』が無かったかのように
見えることです。

この「クモハ52」に限らず、館の展示車両は、どれもが登場時であったり、
一番輝いていた時代の姿に出来る限り近づける修復を施されていますが、
「クモハ52」の修復は、単なる化粧直しではないだけに
結構大変だったのではと推察してます。
因みに「リニア・鉄道館」の公式ガイドブックには
昭和12年当時の状態を復元しているとありました。
たかが『乗務員ドア』1枚かもしれませんが、
佐久間レールパークでは再現しきれなかったことが
ここで実現したと言っても良いでしょう。

等と私は偉そうに書いていますが、実は「『乗務員ドアに注目』とかは
知り合いの方から教えられたもの。
私は「乗り鉄」が故に、車両や鉄道史は詳しくなく、まして、
「撮り鉄」さん達のような『一発勝負』の緊張感に耐えられず、
普段は一番“お楽”な鉄道趣味を楽しんでいます。

それでも、何人もの方から、各車両のそれぞれの歴史について
色々と教えられながら「館」を回るのはとても楽しいひと時でした。

2011年03月09日 8時55分

「リニア・鉄道館」と「名古屋レール・アーカイブス」(3)C57 139。

名古屋市営地下鉄「今池駅」にほど近いJR東海社員研修センター
(国鉄時代は「中部鉄道学園」…私にはこの方が馴染みがある)に
保存されていたので、ご覧になった方も多いのでは?
「C57 139号機」です。

“お召し仕様”(「お召し列車」牽引時の特別な仕様)の優美さを
往時そのままに、実に美しい姿を見ることができます。
この「C57 139」をご覧になる際は、
是非とも他の「C57」を知った上でご覧いただくことをおすすめします。
そうするとその外形の違いを比較することによって
「お召し列車」を牽引することがどういう意味を持つかが
実感できるはずです。
※例えば、ボイラーの横の柵状に見えるものなどなど。
 

ここからは『名古屋レール・アーカイブス』を軸にした話しの続きで恐縮です。
この「C57 139」につきましては、
このブログでも昨年の3月31日、8月30日の2回UPしていますが、
その時の写真が、この展示車両の解説ボードに当会の提供として
使われています。
(「EF58」同様、撮影者の個人名はありません)

私の写真を含め、「C57 139」では3枚の写真が使われていますが、
当会が管理している「C57」の現役時代の写真は数百枚にも及び、
やはり提供者が、このエリア在住の方が多かったこともあり、
ズバリこの機関車の写真も数多く、
今回はそうした経緯で『日の目』を見ています。

このC57に限らず、昭和40年代頃までに鉄道写真を撮影していた方は、
一番若い世代でも50代後半であり、そして、その写真の殆どは
趣味の世界の話しだけに“誰にも知られずに消えて行く”運命にあります。
当会はそうした「歴史の記憶」の保存・活用をしており、
趣旨にご賛同していただいた多数の方から寄贈を頂き、
この「リニア・鉄道館」での写真展示に繋がっています。
※写真については、著作権の譲渡をして頂いているモノも多数あります。

最後に私が言いたいのは、誰かが過去の「写真・書籍・資料」を
埋もれさせない作業を継続しなければ、ここにいる車両たちが
歴史の生き証人ではなく、単なる展示物になってしまうという事です。
「リニア・鉄道館」の見学の際は、是非とも解説もご覧頂き、
各車両の歴史とそれに繋がる「リニアまでの道」を知ってください。
またそれをきっかけに、なぜこうした写真が発掘されたかに思いを馳せていただき、合わせて当会の地道な活動の一端に触れて頂ければ幸いです。
●「交通新聞社」を始め、当会以外の方による貴重な写真も
多数展示されており、歴史の発掘に役立っていることも報告しておきます。

2011年03月08日 18時28分

「リニア・鉄道館」と「名古屋レール・アーカイブス」(2)EF58 157

国鉄の電気機関車を代表する名機と言っても過言ではないと思っています
「EF58」です。
展示車両の「EF58 157」は、当初、この“ぶどう色”で登場し、
その後、皆さんが一番親しんできたであろう青色とクリーム色の
「国鉄標準色」に塗装され、現役の晩年はその色だったと記憶しています。

そして今回、「二リア・鉄道館」に展示されるに当たり、
元の“ぶどう色”に塗り直され、登場当時の姿に戻りました。

この「EF58」のみならず「リニア・鉄道館」の展示車両の
特に古い車両たちは、様々な復元がなされ、
美しい往時の姿を取り戻していますが、
この「EF58」はその代表格と言えます。

ところで、この解説ボードにも『名古屋レール・アーカイブス』の
写真を使用していただいています。
モノクロ写真ですので分かりにくいかもしれませんが、
実は“ぶどう色”時代の現役当時のものです。
その写真は「リニア・鉄道館」で是非、ご確認ください。
解説ボードには『名古屋レール・アーカイブス』の名前が記載されており、
簡単に特定できます。

過去を知り、それを現在(今)に伝え、そして未来に繋いでいくことを
当会の存在意義だと思っていますが、ここ「リニア・鉄道館」そのものが
正に、そうした“『温故知新』の場”であると改めて感じ入りました。

古いモノをただ並べるだけなら、こうした展示館を作ることの意義は
いまひとつだったのでしょうが、
そこに留まらず“リニアモーターカー”まで連綿と続く歴史を
一つ一つ紐解いていったことの意義は大きいと言えるでしょう。
何せこうした作業はとても手間が掛かります。
そしてそれが出来るタイムリミットが正に“今”だったのではなかろうかと
思っています。

2011年03月08日 9時00分

JR東海「リニア・鉄道館」と「名古屋レール・アーカイブス」(1)。

来週月曜日(3月14日)、名古屋市港区の金城ふ頭にJR東海
「リニア・鉄道館」がオープンします。
昨日(3月7日)その内覧会が開かれ、私も一足早く見学してまいりました。

ところで以前にも私が『NPO法人 名古屋レール・アーカイブス』の
会員であることはこのブログで書いていますが、
その「『NPO法人 名古屋レール・アーカイブス』では今回、
「リニア・鉄道館」の展示車両解説用ボード等への写真提供の
協力をしています。
詳しくは次回以降にしますが、私が数えた限り、
6車両に9枚が使用されていました。

『名古屋レールアーカイブス』は、以前にも簡単に紹介させて頂きましたが、
「鉄道」の写真、書籍、資料等を収集・保存・公開をしている会です。
ともするとただ“集めて”会員だけがそれを“楽しんでいる”会なのではと
とられがちですが、そんなことはなく、
最も重要な目的といっても過言でないのは、様々な機会を通じて、
収集物を『公開』することであり、鉄道の歴史遺産・文化遺産としての
役割を伝えていくことも大切であるとして考え活動しています。

昨年秋、「リニア・鉄道館」の展示物の解説を作成する会社から
当会に協力依頼があり、当会としても出来る限りの協力をする約束をし、
今日に至ったわけですが、自前の展示会ではなく、
この「リニア・鉄道館」のような場所で活用していただけたことは、
「会」としての“あるべき”姿を一つ具現化できたと感じています。

※今回、私の所属します会を『当会』と表現していますが、皆様お許しください。

2011年03月07日 21時30分

昭和50年、夏の「尾小屋」(4)「尾小屋」な風景。

私がこの訪問時に撮影した写真の中で、一番「尾小屋」らしい風景と
思っているのがこの一枚です。

11:30に「尾小屋駅」に到着した写真左側のホームに停車中の『キハ1』は
折り返し「尾小屋駅」発11:55となります。
※「新小松駅」着12:47。

この折り返しの25分間は、私にとって至福の時間であったことだけは
間違いなさそうです。

こんな小さな車両が1日8往復の“私鉄”尾小屋鉄道。
「新小松」の発時間は
6:50、8:05、10:40、13:30、16:10、17:20、
18:50、20:30.
「尾小屋」発は、5:57、6:49、8:07、9:25、 11:55、
16:12、17:22、18:52、

この発時間と、片道50分の道程を重ね合わせると、
何と途中で交換をしていたことが見て取れます。
ただ、どの駅で交換しているかが時刻表では読み取れませんでした。
何故なら時刻表には“途中駅名”はなく、起終点のみの記載でした。
※当時は、大手私鉄でも関東を除けば全駅掲載でない鉄道会社が
あった位ですから当たり前と言えば当たり前でした。

(お詫び)
3月4日にUPした、「サプリメント」の自動販売機ですが、
『あそびにん』さんから「無くなっていました」との
コメントを頂きました。
早速本日、名古屋駅に出向き確認したところ
設置されていた場所に、自動販売機が置かれていた痕跡は
確かに残っていましたが、本体は影も形もありませんでした。
撮影したのは昨年の11月6日で、それ以降、この自動販売機が
現時点でもあるかどうかの確認を怠っていました。

どうやら期間限定、マーケティングのための設置だったようです。

ここに、お詫びするとともに訂正いたします。

今後、このようなことが起きないよう留意します。
申し訳ありませんでした。

2011年03月07日 9時01分

昭和50年、夏の「尾小屋」(3)「尾小屋駅」の駅名看板。

「尾小屋駅」に到着し、駅柱に取り付けられた『をごや』の
駅名ホーロー看板を見つけた時、私は、
何て“時代がかった”仮名表示か!とでも感じたのでしょう。
そうでなければこうして写真が残っているわけがありません…。

開通した大正9年から私が訪れたこの昭和50年、
そしてそれから廃線となった昭和52年3月19日まで、
「をごや」を見つめてきたひょっとしたら数少ない
生き証人だったのかもしれません。

(一枚の写真)
昭和50年当時の私の写真事情ですが、現代のデジカメ時代とは
明らかに違い、
目に付いたものは取りあえずシャッターを押すなどという
“蛮行”はあり得ませんでした。
特に学生にとっては、一眼レフは使ってはいたものの
フィルム代、撮影後の現像代、さらにネガの場合にはプリント代など、
その出費の負担は各段に重く、
それゆえ現像まではしてもプリントしていない写真も多く、
1枚の写真の重みは桁違いです。

一方で、それゆえに未整理写真も多く、
撮影した記憶のある写真がなかなか探し出せない?現実があります。
前にも書いたと思いますが、私は「乗り鉄」の乗車券代はある種、
惜しみなく使っていましたが、写真をあまり撮っていない理由が
ここにあります。
それだけに、この写真は、私にとって撮影時に何がしかの“思い”が
あったのは間違いないのでしょう・・・。

2011年03月06日 18時02分

昭和50年、夏の「尾小屋」(2)「尾小屋駅」。

もともとは「尾小屋鉱山」の貨物も運んでいた「尾小屋鉄道」。
鉱山の閉山に伴い貨物を運ぶことが無くなり、乗客も減っていく中、
何故この鉄道が営業を続けてこられたのかは
『謎』といっても良いほどの輸送実績で、
かつ沿線の風景も“需要”があるとは思えない、
呆れるほどの長閑(のどか)さでした。

それでもここ「尾小屋駅」には、規模は小さいもののかっての
隆盛を忍ばせるには十分の風格を感じました。
さて、駅前のさほど広いとは言えない場所で
「縄跳び」をする子供達が印象的でしたが、
今はこうした風景を町で見かけることはすっかり無くなりました。
この時の子供達は今も「尾小屋」に住んでいるのでしょうか?

最近、『乗りつぶし』時に「駅写真」等を撮る際、
出来る限り“人”が写りこまないように留意しています。
“肖像権”という言葉が独り歩きし、その対応のためだったりしていますが、
私が『乗りつぶし』をしていた最盛期の昭和40年代~50年代
では
そのようなことに気を遣うことは殆ど無く、
この写真も、“自然”に撮影した一枚でした。
でもこうして人の写った写真にこそ、当時の時代背景を感じることも多く、
私達は今、少し『残念な時代に生きている』と思わざるを得ません。

最後に、駅舎の話しを少し。
この駅舎は、当時、『川の上にある駅』として知られていました。
駅舎の右側に、橋の欄干が見えているのが分かりますでしょうか?
それが、『川の上にある駅』を物語っています。

2011年03月06日 9時33分

昭和50年、夏の「尾小屋」(1)8月22日。

夏の緑が目にも鮮やかな山懐、架線の無いナローの線路上に
タンク式の蒸気機関車(C15 5)と
特徴ある形態の客車(ホハフ3)がひっそりと佇む風景。
それは当時、時刻表に載っている鉄道では、
全国ただ一か所、ここ石川県の「尾小屋鉄道」でしか見られないものでした。

昭和50年8月22日。
この日は、朝一番で福井鉄道の福武線に乗り、
武生駅から4005M特急「北越2号」大阪発新潟行きに乗車。
国鉄「小松駅」に到着したのが10:28。
直ぐに尾小屋鉄道の「新小松駅」に向かい、
10:40発の尾小屋行きにギリギリ間に合い、
ここ尾小屋鉄道「尾小屋駅」に到着したのは11:30でした。

なお、交通公社の時刻表では「尾小屋駅」着11:29と
掲載されていましたが、
何故か「尾小屋駅」に掲出の(到着)時刻表では“11:30”とあり、
他の列車が全て同一であっただけに不思議でした。

ところで、当時、私は鉄道に乗ることだけで精一杯で、
なおかつ今のように「鉄道」の情報が溢れているわけでもなく、
『時刻表に載っている鉄道』の一つとして、
そしてそれが井笠鉄道廃線後、日本で“最後”の非電化ナローぐらいの
情報しか持ち合わせないままこの場に立っていました。

(私がこのタイミングで「尾小屋」を訪れた理由)
昭和50年8月23日~24日にかけ、「夕焼け祭り」という
オールナイトの音楽祭が石川県の山中温泉で開かれ、
そこに行くべく私は名古屋をちょっと早めに出発し、
北陸のローカル私鉄を乗り歩いていました。

(今回の主な参考資料)
1)ネコ・パブリッシング「尾小屋鉄道」著者/寺田裕一
2)「尾小屋鉄道ホームページ」
3)日本交通公社「時刻表」
4)その他、「鉄」仲間の助言など

2011年03月05日 22時40分

「TOICA」相互利用記念カード本日発売!

「TOICA」相互利用記念カード本日発売!と
タイトルを付けましたが、上段の写真は「manaca」(マナカ)
デビューカードです。

そして下の写真が、今回のお題のJR東海が今日、限定発売した
「TOICA」「SUGOCA」「ICOCA]相互利用記念カードです。

両方を見ていて思ったのは、キャラクターについてです。
マナカもトイカもキャラクターがたったデザインが特徴的で、
まあ、「カード」そのものの“利用”記念カードであるだけに、
当然と言えば当然かもしれませんが、
以前の紙製主流の記念乗車券時代には無かった傾向ではないでしょうか?

ところで、今回の“相互利用記念カード”は、JR九州・JR西日本でも
似たような雰囲気のデザインの記念カードが発売されていますが
何が違うかと言えば、左側の椅子に腰かけているキャラクターが
1)JR東海…「ひよこ」
2)JR九州…「「カエルくん」「時計くん」
3)JR西日本…「カモノハシ」
と、各社のキャラクターになっていることと、
窓から見える風景がそれぞれの鉄道会社を
象徴する景観となっていることです。

何れにしろ、ICカードの記念乗車券(とも言えないですね…)が
初めて登場した時は何か不思議な感じがしましたが、
今時は、流石に違和感だけは無くなりました。
また、ICカードの記念カードにメリットが一つ。
「鉄」の方たちとの会話で出る話しなのですが、
デポジットを除き、普通に乗車券として使えることです。

未使用の記念乗車券をそこそこ持っている身としては
実質『500円』で記念カードが買える訳ですから
“お得?”とも考えられるのでは?

●ところで「マナカ」のキャラクターの名前は何ていうのでしょうか?



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稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!