2011年04月17日 18時09分

「指宿のたまて箱号」(9)指宿駅到着、謎の白煙。

上段の写真は、「指宿駅」で僅か9分の折り返し待ちの「いぶたま」です。
「いぶたま」こと「指宿のたまて箱号」の名前の由来は
地元に伝わる「浦島太郎」伝説にあるということで、
駅に到着すると、玉手箱を開けた時の“白煙”のイメージで、
『ミスト(霧)』が出る仕掛けになっています。
下段の写真で何となく雰囲気が伝わりますでしょうか?
ただ、このミストが出る時間はそんなに長くないため、
狙っていないと撮影は困難かと思われます。
まあ、このアイデアに努力賞は差し上げても良いでしょう。
(上から目線で恐縮です)

ところで、「浦島太郎」伝説は、全国にあると聞いたことがあります。
私にとっては殆ど地元と言っても良い長野県の木曽路にもそれはあります。
ということでJR東海も中央線に「木曽のたまて箱号」でも走らせていたら、
さぞかし楽しいだろうに思った次第です。
●木曽の上松には、竜宮城から戻り、その後旅に出た浦島太郎が、
上松の地で『玉手箱』を開け、“白髪の翁”になったという伝説があり、
その場所は「寝覚めの床」という名が付けられ、
浦島太郎を祭る「浦島堂」もあります。
中央線で名古屋から長野方面に向うと、倉本を出て上松駅の手前、
進行方向左側の木曽川に「寝覚めの床」はあります。
以前、急行とか特急に乗ると、車内アナウンスがありましたが
今はどうなっているのでしょう?

今回は、「いぶたま」よりも「寝覚めの床」の話しの方が
長くなってしまいました。
それも“白煙”というか“霧に包まれた”話しでした。
私は写真を撮りながら“白煙”に包まれ、妄想から現実に戻りました。

2011年04月17日 8時06分

「指宿のたまて箱号」(8)ここまで拘っている!

鉄道趣味誌に書いてあったことと書いてなかったことを一つずつ。
左側の写真は、日除けのブラインドですが、「和」のテイストで、
“御簾(みす)”です。

右側の写真は、見た通りの『ゴミ箱』。
でも、ポリ袋がかかっているから『ゴミ箱』に見えますが、
それが無ければ、ちょっとおしゃれな「洗濯かご」です。
まあ、置いてある場所が場所だけにそんなことは誰も思わないでしょうが、
これを「いぶたま」の業務用BOXと説明しても
結構信じてもらえるのでは?

話しを“御簾”に戻し、何せ3月なので窓は開けませんでしたが、
夏の冷房が入る前の、爽やかな季節にこの御簾越しの風に吹かれてみたいと思いました。
ただ、現実論としては御簾の強度の問題も含め、
また他の乗客の方への影響も考え、
実際には窓は開けられないとは思いますので、あくまでも願望です。
でも、皆さんのご賛同は得られるのではないでしょうか?

私は、自分自身を「鉄」の中でも「“乗り鉄”で“旅鉄”」と思っています。
ローカル線をのんびりと走る列車に乗り、
緩やかな風の中でまどろんでいたい。
という気持ちは今も昔も変わりません。
でも、最近はそのハードルがどんどん高くなっています。

そんな人に、JR東海の「そよ風トレイン117」の付け入る隙が
あるのでしょう。
まあ、この御簾は「風情を楽しむ」ための小道具ということでOKでしょう。
車両の内装(備品も)の全てにおいて中途半端さを感じさせない
センスの良さは、とても素晴らしいと感じました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!