2011年04月19日 18時27分

「JR最南端の駅・西大山」(3)JR最南端の駅到着証明書。

西大山駅を降りた正面に、
「おつけもの工場直売 中園久太郎商店」というお店があり、
そこが西大山駅の『観光案内所』になっていて、
“JR最南端の駅到着証明書”を売っていました。
写真がそれで、『指宿市観光協会 たまらんプロジェクト』が
発行しています。(1枚100円)

「本日あなたは北緯31度11分JR最南端の駅、西大山に到着し、
その足跡を印したことを証明します。」と書いてあり、
いい記念にはなりましたが、
たまたま折り返しの時間つぶしに入ったお店での発見であり、
その“存在(証明書)”をそこで初めて知りました。

鹿児島県指宿市の「広報いぶすき3月号」によると、
どうやら「いぶたま」の運転開始に合わせて始まったようです。
この「広報いぶすき3月号」は、
「いぶたま」特集と言っても過言ではない内容となっており、
PDFで見られますで、興味のある方は検索して探してみてください。

ところで私にとって「山川」~「枕崎」間で言えば今回で2回目です。
最初の時、この「西大山」は通過しただけで、文字通り「日本最南端」の駅は、
『なるほど、ここか!』と思っただけの多分30秒停車でした。
●昭和49年8月1日、3736D
 枕崎発7:54⇒指宿着9:12

当時、このような『証明書』は無かったはずで、
これも時代の流れと感じ入っています。

2011年04月19日 8時03分

「JR最南端の駅・西大山」(2)「開聞岳」と「日本最南端」と「私」。

5333Dは、定刻の13:36に「西大山」到着。
10人ほどの乗客が下車しました。といっても地元の人は一人もおらず
全員がここ「西大山」目当ての観光客でした。

で、下車して直ぐ、記念写真をパチリ。
私以外の方たちも順番にここで写真を撮影しました。
たまたまなのかどうかは分かりませんが、地元の方と思しき方が一人、
この駅で「解説(観光案内」と観光客の写真撮影を引き受けていました。
私は「写真を撮りましょうか?」と声をかけられたので、
「よろしくお願いします」とカメラを渡しました。

ところで『日本最南端の駅』の碑ですが、
一番上の「JR」の文字が取って付けた感じで、
平成15年にこの碑を作り直したのではなく、
“JR”を書き足したのでしょう。(多分)

それにしても驚いたのは、「車」や「自転車」(東京の大学の
自転車競技部の学生。例外かな?)でここを訪れる方が結構いたこと。
列車が来るかたよりはるかに多いのは間違いないです。

確かに、指宿周辺を紹介したガイドブックや地元で配布している
観光マップにもちゃんと記載されており、因みに、写真はUPしませんが、
指宿市が作った「JR日本最南端の駅 西大山」なるパンフレットもあり、
その中には「西大山駅周辺の観光スポット」なるページもあり、
如何にこの駅が指宿観光の目玉商品なのかが伺われます。

また、列車の場合、ここを通過することはともかく、
下車して“堪能”することには、時間的に相当な困難が伴い、
車を利用した観光客が多いのは頷けます。
もう一つ言えば、この景色も『勝因』なのでしょうか?
なお、鉄道でここを訪れる方は、決して「鉄」が多数派ではありません。
この事実は、果たして意外なのか意外でないのか?私には判断が付きません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!