2011年04月21日 18時10分

鹿児島交通の思い出(3)枕崎駅は「鹿児島交通」の駅だった?

上段写真は、“鹿児島交通”の「枕崎駅」前の風景です。
●ズバリ「枕崎駅」の写真は見つかりませんでした。
●「国鉄バス乗り場」がポイントかな?

あえて“鹿児島交通”と書いたのは、
『南薩鉄道』が枕崎に到達したのが昭和6年で、
国鉄「指宿線」が枕崎に到達して「指宿枕崎線」に改称したのが昭和38年。
実に30年以上に渡って「枕崎」は、『南薩鉄道』の駅で、
国鉄の乗り入れ後もここ「枕崎駅」は南薩鉄道~鹿児島交通が管理し、
そのため入場券は、鹿児島交通の発行したものでした。
(多分、間違いない!)

駅前にある“歓迎”の看板には
「ようこそいらっしゃいました 枕崎は日本一のカツオの港です」とあり、
当時、確か学校の地理の学習で
「鰹節(かつおぶし)」生産“日本一”と習った記憶があります。
もっとも「カツオ」の“日本一”は静岡県の焼津であったり、
確か高知県(土佐)も何かの“日本一”を自称していたと思います。
何れにしろ、枕崎が日本で有数の「カツオ」の水揚げ港であったことだけは
間違いありません。

さて昭和49年当時、写真の通り、普通入場券の料金は
「20円」となっており、
確か国鉄では既に「30円」の時代のはずで、
国鉄のホームにも入れる“一寸お得な”入場券だったんですね。
ただ、当時はそんな事は全く気にしていませんでしたし、
そもそも「枕崎駅」が国鉄ではなく
『鹿児島交通の管理駅だったんだ!』とは、
このブログを書く段になって知った位です。

●「私は知ったかぶりをしない謙虚な人間です。」と、“自画自賛”。
と、書くと、『普通、それ位は“入場券”を買った時にわかるだろう』と
言われそうですね。皆さんの仰るとおりです。

2011年04月21日 8時04分

鹿児島交通の思い出(2)『キハ102』枕崎駅到着。

写真は鹿児島交通『キハ102』で、枕崎駅到着時に撮影したものです。

この車両は昭和27年製で、国鉄の「キハ07形(キハ42000形)」と
同型ですが、国鉄の払い下げではなく、鹿児島交通の自社発注車両です。
車内は国鉄型とは異なる座席配置だったそうですが、
当時、そんなことを確認しながら乗ることはなく、
お恥ずかしい話しですが、私は鹿児島交通(南薩鉄道)の自社発注の車両とは、
今回のこのブログを書き始めるまで知りませんでした。
つまり、てっきり国鉄の払い下げと思い込んでいたのです。

私が鉄道に乗り始めた頃、キハ07形は国鉄では既に無く、
払い下げ先の関東鉄道鉾田線・同和鉱業片上鉄道に関しては、
私が乗った当時の写真がまだ発掘できておらず、
この形の気動車に私が乗っているかどうかは不明です。
そういう意味では、確実に私が乗車した唯一の「キハ07形」の
同型車と言えます。

デザインにとても特徴があり、私・個人的には「好み」のタイプです。
元の鹿児島交通加世田駅にある『南薩鉄道記念館』に
兄弟車のキハ103が展示されているそうですから
再整備して動くようになれば、鹿児島の地でなくとも
是非乗ってみたいものです。
多分、欧米の保存鉄道なら『100形』のようなユニークな車両は動態保存で、
乗客を乗せて走っているでしょう。
※例えば、指宿枕崎線で「いぶたま」に接続して
『指宿』~『西大山』の区間運転というのは如何でしょう。
鹿児島県に縁の車両として…。

以上、夢物語でした・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!