2011年04月27日 18時14分

鹿児島市電(8)「鹿児島駅前」停留所の今昔。

「鹿児島駅前」停留所の今昔です。
上段が現在のモノで、3線4面の堂々たるターミナルです。
下段が昭和53年の姿で、規模は現在より小さく、2線2面。
屋根のない吹きさらしですが、鹿児島のシンボル、
「桜島」を背景に写真を撮影でき、乗客サービスの面を除けば、
こちらの方が、『鹿児島』らしいとも言えます。

ところで現在の「鹿児島駅前」停留所ですが、
「1系統」(鹿児島駅前~交通局前~谷山)と
「2系統」(鹿児島駅前~鹿児島中央駅前~郡元)の
2系統が折り返すのですが、何せ両系統とも本数が多く、
構内は常時満線状態。そのため折り返し電車の出発を待つため、
停留所の手前で数分程度待たされることは日常茶飯事のようです。(運転士さんに聞きました)
実は私の乗っていた電車もそうでしたが、1台前の電車もしばし待たされ、
徐(おもむろ)にクロッシングを渡って行きました。
まあ、気の短い人は停留所を前に、イラつくかもしれませんが、
鹿児島の人はきっと大らかなのでしょう。
「私は…、」と言うと、停留所への入線前、
運転士さんが進行方向左側の線路際に設置された
「信号ボックス」の様なもののスイッチを、手を伸ばして操作しており、
それが気になって、「もう少し止まっててほしい」等と
不謹慎なことを思っていました。
多分、入線する線路の選択を手動で行っていたのではと推察しています。
●運転士兼信号操作係?と言った感じ・・・。
 どこのホームに電車を入れるかは特に決まっていない様でした。

ところで下段写真の「613号」は、昭和37年『帝国車両工業』製で、
今も鹿児島の街を走っています。もうすぐ50歳を迎えますが、
これだけの齢を重ねても現役でいられるのは“鉄道”ならではの強みですね。

2011年04月27日 9時00分

鹿児島市電(7)2つの操車塔。

昨年の11月13日に函館市電の「操車塔」の話しをUPしたのですが、
その時、「あそびにん」さんから「高見馬場」と、
もう一つ「郡元」にも“らしき”ものがあるとのコメントを頂いていました。

そこで今回、それを確かめに行ってきました
左側が「高見馬場」で、右側が「郡元」です。

「操車塔」と言えば、左側の「高見馬場」のタイプ、
つまり細い足の様な柱の上に操車作業を行う建屋が乗っかっている
イメージだったのですが、「郡元」のような形態のものを私は初めて見ました。
(「気付きました」が正しいかな?一度来ている訳ですし…)

正直言って、「郡元」のモノは、場所が場所なだけに「操車塔」で
間違いないと思っていますが、あまりにも“常識”と
かけ離れた形態をしており、絶対的な『自信は無い』と
ここに弁明しておきます。
理由は、何せ作業を行う場所の目線が、他の「操車塔」に比べ低いのです。
因みにネットで『「郡元」「操車塔」』で検索したのですが、
かんばしい結果は出ませんでした。
ただ、ここが今も昔も一大ジャンクションであることは間違いなく、
昭和の時代、この地に「操車塔」が無かったということは考えられません。
また、交差点にこのような建物があること自体、
それが「操車塔」である証しとも言えます。
(他の用途を思いつかない…)
よって、前言を撤回し、この2階建ての建物は「操車塔」であるというのが
私の結論です。(「回りくどい」とお叱りを受けそうですね)



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2011年4月
« 3月   5月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!