2011年04月29日 18時24分

昭和53年の路線図です。電車内に掲示してあった物のため、
ピントが甘く、少しぶれているのはお許しください。
青色の線が「1系統」、黄色の線が「2系統」、赤色の線が「3系統」です。
ここで昭和53年1月31日の足跡です。
1)1系統「谷山」発16:14~「鹿児島駅前」着16:54
●谷山線「谷山」~「武之橋」、第一期線「武之橋」~「鹿児島駅前」。
●鹿児島駅前から清水町まで歩いて移動。
2)2系統「清水町」発17:19~「郡元」着17:55
●上町線「清水町」~「市役所前」、
第二期線「高見馬場」~「西鹿児島駅前」(ここから唐湊線)~「郡元」。
●郡元発18:00の「1系統」に乗り継ぎ、高見馬場着18:16。
3)3系統「高見馬場」発18:24~「伊敷町」着18:47
●新規乗車区間は伊敷線「加治屋町」~「伊敷町」。
以上で、当時の鹿児島市電を完乗しました。たった4本の電車の旅でした。
その後、上町線(市役所前~清水町)・伊敷線(加治屋町~伊敷町)は
昭和60年に廃止になり、
「2系統」の起点(終点)は清水町から鹿児島駅前に移り、
「3系統」は無くなってしまいましたが、
その当時、市電の衰退は“当然”の様に考えられていた時代で、
今の鹿児島市電の『隆盛』は想像だにできませんでした。
というか、昭和60年当時、これ以上、短くならないでほしいと
切に願ったものです。
最近の鹿児島市交通局の「電車事業」収支は、ほぼ毎年黒字の堅調ぶりで、
電車のスピードも速く、自動車交通との分離もあって
定時性も確保されており、話しは飛躍しますが、
これが何故岐阜で出来なかったのかと思ってしまいます。