2011年04月25日 18時52分

鹿児島市電(4)「郡元」停留所は一大ジャンクション。

「郡元」停留所にやってきました。
鹿児島市電2大ジャンクションの一つで、位置関係では、
画面手前が「鹿児島中央駅前」方面で、
左側が「交通局前」~「鹿児島駅前」方面。
写真では、右側に分岐する線路も見えていますが、
そちらへ向かうと今、私がやってきた「谷山」方面となっています。
※JR九州「指宿枕崎線」の「郡元駅」とは
 どれくらい離れているのでしょうか?
 かってこんな事は考えたことも無かったのですが…。

右側の電車は「2111号」で、左側の電車が「9515号」です。
何れも2系統「郡元」~「鹿児島駅前」間の電車です。
この「郡元」での2系統の折り返しは、
「交通局前」方面にある停留所が始終着となっているため、
このような写真がタイミング次第ですが撮れます。
以前は、「谷山」から「西鹿児島駅前(現・鹿児島中央駅前)」方面を
結ぶ電車があったため、右側の分岐線も日常的に使われていました。
と言ってもそれは私の知る“昔”の「鹿児島市電」の時代の更に
“昔”の話しです。

ついでの話し。
「2111号」の右側にある小さな2階建ての小屋のような建物の存在です。
一応、覚えておいてください。

2011年04月25日 9時08分

鹿児島市電(3)谷山線を行く!!!

写真は、上段・下段とも『谷山線』の専用区間です。
上段が今回撮影のモノで、下段が昭和53年の撮影。
行き違っているのは、今はなき「606号」です。

まずは、昨日書いた『9501号』のコントローラーに注目。
ハンドル部分にはお約束の“カバー”も掛かっており、
私にとって路面電車は『こうじゃなきゃ』の典型ですね。

話しは下段写真に移り、鹿児島市電のHPによれば、
先回の「605号」とこの「606号」は、空気バネ台車とのことで、
さぞかし乗り心地が良かったであろうと察しています。
昭和35年製造ですので、結構画期的なことだったのではないでしょうか?

ところで「谷山」停留所に掲出の『時刻表』では、
「谷山」を起点とする1系統「鹿児島駅前」行きの午後3時台は6分間隔で、
上段写真で私の乗っている電車は15:50頃に出発したのですが、
その時間に該当する電車はありませんでした。
(・・・15:48、15:52・・・)
実感としては6分間隔よりも短い間隔で走っている印象もありましたが、
本当の所は如何だったのでしょうか?

さて、この専用区間、電車は快適に飛ばしていきます。
気分は欧米のLRTでしょうか?
路面電車の併用軌道区間の最高時速40キロよりは感覚的には
もう少し出ているような気がしましたが、
多分、併用軌道区間では最高時速を出すことがあまりないため、
40キロの連続走行でもスピード感を感じたのでしょう・・・。
でも、他都市の路面電車の専用線区間よりは早いと感じています。
(軌道の状況も良いと思いましたが、如何でしょう?)

2011年04月24日 19時12分

鹿児島市電(2)9500形と600形。

上段写真は現在の「谷山」停留所。下段写真は30有余年前の「谷山」停留所です。

現在は、2線3面の構造ですが、昭和53年は写真で見る限り
1線1面で、右側の線路は側線のようです。

上段写真の左側の電車は『9514号(元の809号)』、
右側の電車は『9501号(元の803号)』で、
両車とも大阪市電から移籍されたものが、平成6年度~平成11年度にかけて
車体更新を行ったものです。
そのため見かけ上はともかく、コントローラーが旧式だったりで、
結構アンバランスな感じですが、私にとっては
この“コントローラー” こそ『市電』の“象徴”とも言えるもので、
個人的には「懐かしい」部類に入る電車です。(次回にその写真を掲載)

ところで車両のカラーリングから来る印象ですが、最近、鹿児島市電に
注目していなかっただけに、車体番号を確認せずに一目見た時、
この車両達は「別形式?」と思ったくらい雰囲気が違います。
新しいというか面白い発見でした。(私だけ?)

そんな話しはともかく、下段写真に写っている『605号』は、
今も現役の車両です。
この電車、鹿児島市電HPの「路面電車形式別一覧」で確認したところ
『ビール電車』として生まれ変わっており、塗装が全面的に変わっていました。
また、外から見える装備面でも細部に変更部分があり、
現役ではあるものの30有余年の月日を感じました。

2011年04月24日 9時00分

鹿児島市電(1)谷山停留所。

上段写真は、平成23年3月24日の「谷山」停留所、
下段写真は、昭和53年1月31日の「谷山」停留所です。

ところで、鹿児島市交通局のHPで「市電停留所」という表現を
使っていますので、私は今回、「停留所」という呼び方で統一しますが、
先回の「谷山電停」の交通標識の存在等を考えると、こうした場合、
どちらの表記を使うべきか迷ってしまいます。

例えば、まだ名古屋市に市電が走っていた時代、
私自身は「電停」という言葉を使うほうが「停留所」よりも
多かったと記憶しています。

ところで30有余年の歴史は、
まず“駅舎”の大『変化』といって良いのでしょう。
建物の雰囲気が大きく変わっており、
JTBキャンブックス「鹿児島市電が走る街 今昔」によれば、
やはり移設されており、屋根(ドーム?)が架かって今の形になったのは
平成8年とありました。

また、“駅舎”の広告にも時代を感じさせます。
右側の縦看板「12月26日 新規オープン 四国名物さぬきうどん」が
目を引きますが、最近、名古屋にも増えている
「讃岐系うどん店チェーン」の走りでもあったのでしょうか?

実はこの写真、ほぼ30年ぶりに発掘できたのですが、
電車ではなく、そんなことにも目が行く自分は、
「年を取ったものだ」とつくづく感じ入ってしまいました。

2011年04月23日 17時59分

鹿児島市電への道。

「九州新幹線」乗車・「指宿のたまて箱号」乗車・「西大山駅」下車という
3大イベントを無時に終え、西大山を14:17発の鹿児島中央行きに
乗車し、時間もあるので久しぶりに鹿児島市電に乗ることにしました。
で、「谷山」着が15:36でJRの駅舎をパチリ(上段写真)。
ここから鹿児島市電の「谷山」停留所を目指したのですがこれが結構遠い!

昭和53年1月31日に、鹿児島市電を全線乗った時も、
指宿枕崎線「谷山」着16:00の列車を降りた後、
市電の「谷山」停留所を目指したのですが、その時の少々“離れている”という
記憶はあったものの、「こんなだったっけ?」と考えながら歩いていました。

そうこうしているうちにやっと、「谷山電停」の標識が道路の真ん中に
見えてきました。
●中段写真は私が歩いてきた道路ですが、その真ん中に、
 下段写真の標識があります。

個人的には、英語表記の「Taniyama Train Stop」は、出来れば
「Taniyama Tram Stop」の方が似合うのに“残念”と思いながら
眺めていました。私は、根っからトラムが好きです。

ところで、JR「谷山」と市電「谷山」間の距離ですが、「Wikipedia 谷山駅」によれば600メートルと言う事で、
10分まではかかりませんでしたが5分では着かない距離です。

少し離れた同名駅として有名な東京メトロ「早稲田」~
東京都電「早稲田」間と感覚的には同じくらいの距離でしょうか?
でも「谷山」の方が少し近いかな?

2011年04月23日 8時00分

台湾の鉄道を楽しむ一冊。

去年の3月10日に、台湾在住の作家・片倉佳史さんの
「台湾鉄路と日本人」(交通新聞社新書)という本を紹介していますが、
その片倉さんが今年の2月に出した本の紹介です。

出版社は「情報センター出版局」で、書名は写真の通り「YUBISASHI ワンテーマ指さし会話 台湾×鉄道」。文庫サイズの一冊です。

所謂『旅行会話本』の範疇に入るものなのですが、
「鉄道」を楽しむために必要な“会話”だけではなく、
各線の紹介や切符・スタンプ・模型等の情報も手短に纏められており、
小さいながらもこれ一冊持って行けば、取り敢えず台湾の鉄道を
楽しむことができます。

最近、台湾は「鉄道ブーム」のようで、
「製糖鉄道」が観光鉄道として復活したり、目が離せない状況となっています。
また、名古屋起点で考えれば、『北海道』に「鉄」に行くのも
『台湾』に「鉄」に行くのも、日程的にも金銭的にも変わらないだけに、
“海外鉄”デビューにはうってつけと私は思っていますし、
リピーターも数多くいらっしゃいます。
因みに私も、過去2回「台湾鉄“旅”」をしており、
「製糖鉄道」等の観光鉄道を除けば、
多分、あと丸1日あれば完乗できる感じです。
●国内の鉄道を完乗したあと、
どこかの国の完乗をしてみたいものだと思い立った時、
“近さ”と“漢字”(読み方はともかく、「駅名」はわかる)を
使う国ということで『台湾』を選びました。
韓国も考えたのですが、路線数の多さとハングルを理解することの
困難さを天秤にかけた末の結果です。

ところでこの本の特徴は、「音」鉄の片倉さんらしく
「音鉄を楽しむ」というコーナーがあることで、
ページ数は少ないものの“異色”の台湾「鉄」本だと思っています。
(片倉さんの「音鉄」用の録音機材は“凄い”らしいです)

最後に会話集としてのこの本ですが、一般の会話集にはない
「鉄道が好きです」と言った「鉄」にとって実用的な会話や
「入場券」(一般の会話集には今も無い?だろうなあ)の訳が載っています。
因みに私は以前、高雄駅で「入場券」を“記念”ではなく、
“必要”に迫られて買ったのですが、恐ろしく苦労した経験があります。

2011年04月22日 17時50分

名古屋レール・アーカイブスで発掘された『国鉄ギフトカード』。

私が「名古屋レール・アーカイブス」(NRA)に所属していることは
何度もこのブログで書いていますが、
今年に入り“発掘”されたものに「国鉄ギフトカード」があります。
そもそもそういうモノがあること自体、私は知らなかった訳で、
兵(つわもの)揃いといっても言い「名古屋レール・アーカイブス」の
メンバーでも知らない人や、その存在自体は知ってはいたものの
“初見”という方もおられました。
●上段写真が「ギフトカード」。下段写真はその「袋」。

この写真では、『東海旅客鉄道』のゴム印が押してありますが、
そもそもそれも無く『日本国有鉄道』の印刷だけのギフトカードもありました。

因みに私の手元にある中央書院刊
「東日本旅客鉄道株式会社 旅客営業規則 旅客営業取扱基準規程
 平成18年1月1日発行」の中の「旅客営業取扱基準規程」第9章に
『ギフトカード及びオレンジカード』の項目があり、
その第1節に『ギフトカード』についての取扱が書いてありました。
※余談…『規程』を『規定』と間違えそうになった。

そしてそこには『ギフトカード』の様式が掲載されており、
写真との違いは1点だけ!
会社名が「東日本旅客鉄道」となっていることでした。

今現在、到底発売されているとは思えないこのギフトカード。
特に「東海旅客鉄道」の“印”が無いものも使えるのでしょうか?

実は、NRAの会員がJRの窓口で確認しました。
結論は…、使えます!
しかも『東海旅客鉄道』の印があるものはともかく、
無くても全く問題ないそうです。
まさか使えるとは思っていなかったので、
大袈裟ではなく本当に“驚き”でした。

2011年04月22日 8時00分

鹿児島交通の思い出(4)車内乗車券に見る「鹿児島交通」。

鹿児島交通の車内乗車券です。
毎度書いていますが、車内乗車券から、当時のネットワークが見て取れます。
国鉄「鹿児島本線」で言えば、熊本方面に向けて
「串木野」・「川内」・「出水」の駅名がありますし、
東には「西鹿児島」を通り越して
「山野線」の「さつま大口(薩摩大口)」や、
川内経由か肥薩線経由か見当もつかない
「宮之城線」の「宮之城」の名も見られます。
そもそも自社の駅が、下段に中途半端な感じで3ブロックに
あるのは不思議な印象です。
一方で、国鉄「指宿枕崎線」の駅名は見当たらないので、
まったく乗り継ぐ乗客がいなかったのか、想定していなかったのか、
無視したのかは、今や謎と言っても良いでしょう。

ところで当時、1日3往復の列車が西鹿児島に乗り入れていた。
●加世田発5:55、西鹿児島着7:24
●枕崎発10:24、西鹿児島着12:31
●枕崎発15:59、西鹿児島着18:12
●西鹿児島発8:04、枕崎着10:14
●西鹿児島発13:25、枕崎着15:31
●西鹿児島発19:13、加世田着20:58

これをみて分かるように、またこの乗車券の発行が
『加世田車掌区乗務員』とあることから「加世田駅」が、
この鹿児島交通の中心的な役割を果たす駅ということが伺い知れますが、
私の乗った列車の加世田駅の停車時間は短く、
この駅では一枚の写真を撮ることもなく、
ただその風景を見ただけで通り過ぎました。

車庫に並ぶ車両を確認することも無く、今思えば、
「ここで途中下車していれば…」などとなるのですが、
枕崎で乗り継ぎ予定の国鉄「指宿枕崎線」の列車は、
私の乗った3736D枕崎発7:54の次は
何と13:49発の746Dまでなく、
“乗り鉄”はひたすら次から次へと急ぐ旅でした。

2011年04月21日 18時10分

鹿児島交通の思い出(3)枕崎駅は「鹿児島交通」の駅だった?

上段写真は、“鹿児島交通”の「枕崎駅」前の風景です。
●ズバリ「枕崎駅」の写真は見つかりませんでした。
●「国鉄バス乗り場」がポイントかな?

あえて“鹿児島交通”と書いたのは、
『南薩鉄道』が枕崎に到達したのが昭和6年で、
国鉄「指宿線」が枕崎に到達して「指宿枕崎線」に改称したのが昭和38年。
実に30年以上に渡って「枕崎」は、『南薩鉄道』の駅で、
国鉄の乗り入れ後もここ「枕崎駅」は南薩鉄道~鹿児島交通が管理し、
そのため入場券は、鹿児島交通の発行したものでした。
(多分、間違いない!)

駅前にある“歓迎”の看板には
「ようこそいらっしゃいました 枕崎は日本一のカツオの港です」とあり、
当時、確か学校の地理の学習で
「鰹節(かつおぶし)」生産“日本一”と習った記憶があります。
もっとも「カツオ」の“日本一”は静岡県の焼津であったり、
確か高知県(土佐)も何かの“日本一”を自称していたと思います。
何れにしろ、枕崎が日本で有数の「カツオ」の水揚げ港であったことだけは
間違いありません。

さて昭和49年当時、写真の通り、普通入場券の料金は
「20円」となっており、
確か国鉄では既に「30円」の時代のはずで、
国鉄のホームにも入れる“一寸お得な”入場券だったんですね。
ただ、当時はそんな事は全く気にしていませんでしたし、
そもそも「枕崎駅」が国鉄ではなく
『鹿児島交通の管理駅だったんだ!』とは、
このブログを書く段になって知った位です。

●「私は知ったかぶりをしない謙虚な人間です。」と、“自画自賛”。
と、書くと、『普通、それ位は“入場券”を買った時にわかるだろう』と
言われそうですね。皆さんの仰るとおりです。

2011年04月21日 8時04分

鹿児島交通の思い出(2)『キハ102』枕崎駅到着。

写真は鹿児島交通『キハ102』で、枕崎駅到着時に撮影したものです。

この車両は昭和27年製で、国鉄の「キハ07形(キハ42000形)」と
同型ですが、国鉄の払い下げではなく、鹿児島交通の自社発注車両です。
車内は国鉄型とは異なる座席配置だったそうですが、
当時、そんなことを確認しながら乗ることはなく、
お恥ずかしい話しですが、私は鹿児島交通(南薩鉄道)の自社発注の車両とは、
今回のこのブログを書き始めるまで知りませんでした。
つまり、てっきり国鉄の払い下げと思い込んでいたのです。

私が鉄道に乗り始めた頃、キハ07形は国鉄では既に無く、
払い下げ先の関東鉄道鉾田線・同和鉱業片上鉄道に関しては、
私が乗った当時の写真がまだ発掘できておらず、
この形の気動車に私が乗っているかどうかは不明です。
そういう意味では、確実に私が乗車した唯一の「キハ07形」の
同型車と言えます。

デザインにとても特徴があり、私・個人的には「好み」のタイプです。
元の鹿児島交通加世田駅にある『南薩鉄道記念館』に
兄弟車のキハ103が展示されているそうですから
再整備して動くようになれば、鹿児島の地でなくとも
是非乗ってみたいものです。
多分、欧米の保存鉄道なら『100形』のようなユニークな車両は動態保存で、
乗客を乗せて走っているでしょう。
※例えば、指宿枕崎線で「いぶたま」に接続して
『指宿』~『西大山』の区間運転というのは如何でしょう。
鹿児島県に縁の車両として…。

以上、夢物語でした・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!