2011年04月20日 18時21分

鹿児島交通の思い出(1)いざ目指すは枕崎。

「西大山」に初めて降り立った話しのついでです。

昭和49年8月1日、この日私は鹿児島県の薩摩半島を鹿児島交通
枕崎線~国鉄指宿枕崎線の順路で一周しました。

7月30日、名古屋を16:30発403M急行「比叡2号」で出発。
京都発19:56の203レ急行「天草」(京都発熊本行)に乗り継ぎ
小倉着6:54(7月30日)で九州入り。
筑肥線、豊肥本線等に乗って7月31日、
門司港発21:40の101レ急行「かいもん5号」
(門司港発西鹿児島行)で伊集院着5:29。

ここで写真の鹿児島交通の乗車券を購入し、
始発の伊集院発5:40に乗車し、枕崎を目指しました。

当時、日本交通公社の時刻表では「鹿児島交通」とはあったものの
線名の『枕崎線』の表記はありませんでした。
この「枕崎線」の線名は、昭和57年度運輸省鉄道監督局監修
「民鉄要覧」にも記載のあるとおり、正式には「枕崎線」なのですが、
地元も含め一般的には「南薩線」で通っていたと記憶しております。
●今回、参考にさせていただいた『ネコパブリッシング』の
RM LIBRARY108・109も「鹿児島交通南薩線」となっています。
●実は、私もてっきり「南薩線」が正式な線名と思っていたのですが、
昭和57年度の「民鉄要覧」を見てビックリしました。

まあ部分開業した大正3年から、全通後の昭和39年まで
「南薩鉄道」だったことからの流れでしょうし、
敢えて「枕崎線」と言っても、地元でも知らない人が多いでしょうから
私の心の“線名”はやはり『南薩線』です。
※鹿児島交通南薩線は、昭和59年3月17日に廃線となった。

2011年04月20日 8時00分

「JR最南端の駅・西大山」(4)「開聞岳」と「日本最南端」と「キハ」。

「西大山」の春の典型的な写真がこれ!
開聞岳と菜の花とキハの組み合わせです。
前々回の写真との違いは、主役が「人」か「キハ」かの違いです。

まあ、前回の「JR日本最南端の駅到着証明書」とも殆ど同じ構図なのは
ご愛嬌ということで・・・。

ところで開聞岳は、標高924メートルとそんなに高い山ではありませんが、
山容が美しく『薩摩富士』と称されています。日本全国に『○○富士』と
呼ばれる山は数々ありますが、その中でも開聞岳の美しさは、
一つ突き抜けている感じです。

で、写真は私が折り返しで乗車した
5330D「西大山」発14:17の「鹿児島中央」行きです。
※5330D…「山川」から1346D。
5333Dから下車した乗客の殆どの方がこの列車に乗られました。
実は、5333D~5330Dの組み合わせは、
早朝・夜間を除いた時間帯に、JRで鹿児島方面から
「西大山」へ行こうとした場合に、一番効率の良いパターンなのです。
(唯一の選択肢かも…)
「西大山」での滞在時間“41分”も適度な長さですね。

ところで、この写真を撮影するために、私は列車の到着の5分前から
待ち構えていたのですが、この写真を撮り終えて後ろを振り返ってビックリ!
「鉄」ではない一般の観光客の方も含め、ホームにいたほぼ全員が
カメラを構えていました。
知らなかったこととは言え、少し申し訳なく思いました。
何故なら誰も撮影する雰囲気が無かったので、
自分の撮りたい場所に立っていたものの、
多分、同じ場所で撮影したかった人もいたのでは…。

2011年04月19日 18時27分

「JR最南端の駅・西大山」(3)JR最南端の駅到着証明書。

西大山駅を降りた正面に、
「おつけもの工場直売 中園久太郎商店」というお店があり、
そこが西大山駅の『観光案内所』になっていて、
“JR最南端の駅到着証明書”を売っていました。
写真がそれで、『指宿市観光協会 たまらんプロジェクト』が
発行しています。(1枚100円)

「本日あなたは北緯31度11分JR最南端の駅、西大山に到着し、
その足跡を印したことを証明します。」と書いてあり、
いい記念にはなりましたが、
たまたま折り返しの時間つぶしに入ったお店での発見であり、
その“存在(証明書)”をそこで初めて知りました。

鹿児島県指宿市の「広報いぶすき3月号」によると、
どうやら「いぶたま」の運転開始に合わせて始まったようです。
この「広報いぶすき3月号」は、
「いぶたま」特集と言っても過言ではない内容となっており、
PDFで見られますで、興味のある方は検索して探してみてください。

ところで私にとって「山川」~「枕崎」間で言えば今回で2回目です。
最初の時、この「西大山」は通過しただけで、文字通り「日本最南端」の駅は、
『なるほど、ここか!』と思っただけの多分30秒停車でした。
●昭和49年8月1日、3736D
 枕崎発7:54⇒指宿着9:12

当時、このような『証明書』は無かったはずで、
これも時代の流れと感じ入っています。

2011年04月19日 8時03分

「JR最南端の駅・西大山」(2)「開聞岳」と「日本最南端」と「私」。

5333Dは、定刻の13:36に「西大山」到着。
10人ほどの乗客が下車しました。といっても地元の人は一人もおらず
全員がここ「西大山」目当ての観光客でした。

で、下車して直ぐ、記念写真をパチリ。
私以外の方たちも順番にここで写真を撮影しました。
たまたまなのかどうかは分かりませんが、地元の方と思しき方が一人、
この駅で「解説(観光案内」と観光客の写真撮影を引き受けていました。
私は「写真を撮りましょうか?」と声をかけられたので、
「よろしくお願いします」とカメラを渡しました。

ところで『日本最南端の駅』の碑ですが、
一番上の「JR」の文字が取って付けた感じで、
平成15年にこの碑を作り直したのではなく、
“JR”を書き足したのでしょう。(多分)

それにしても驚いたのは、「車」や「自転車」(東京の大学の
自転車競技部の学生。例外かな?)でここを訪れる方が結構いたこと。
列車が来るかたよりはるかに多いのは間違いないです。

確かに、指宿周辺を紹介したガイドブックや地元で配布している
観光マップにもちゃんと記載されており、因みに、写真はUPしませんが、
指宿市が作った「JR日本最南端の駅 西大山」なるパンフレットもあり、
その中には「西大山駅周辺の観光スポット」なるページもあり、
如何にこの駅が指宿観光の目玉商品なのかが伺われます。

また、列車の場合、ここを通過することはともかく、
下車して“堪能”することには、時間的に相当な困難が伴い、
車を利用した観光客が多いのは頷けます。
もう一つ言えば、この景色も『勝因』なのでしょうか?
なお、鉄道でここを訪れる方は、決して「鉄」が多数派ではありません。
この事実は、果たして意外なのか意外でないのか?私には判断が付きません。

2011年04月18日 18時19分

「JR最南端の駅・西大山」(1)西大山の入場券。

「いぶたま」に乗ったついでに、思いつき(予定通り?)で、
JR日本最南端の駅「西大山」に行くことにしました。
「いぶたま」からの乗り継ぎは、5分待ちの12:48発で
5331D「山川」行きがあるのですが、
それでは「西大山」には行けません。
で、右側写真の1337D指宿発13:17枕崎行きに乗車しました。
※1337D…「山川」から5333D。

ご存知の通り、平成15年の『ゆいレール(沖縄都市モノレール)』が
開業するまでは日本最南端だった駅です。

ただ、鉄道法の駅では相変わらず「西大山」が最南端なのですが、
今は「JR日本最南端」の駅と称しています。
※「ゆいレール」は軌道法の鉄道。

因みに左側の写真の「西大山駅」入場券は、「指宿駅」で購入したもので、
「西大山駅」では販売していません。
そもそも「西大山」は無人駅であり、ホームに入るのに入場券は不要です。
よってこの入場券はあくまでも“記念”入場券です。

たまたま「指宿駅」で時間があったのでこれを見つけたのですが、
大々的に宣伝している風も無く取り敢えず“置いてます”と
いった感じでした。
それでもこれを買ったことで、私は「西大山に行くぞ!」という気分には
なれました。

2011年04月18日 8時04分

「指宿のたまて箱号」(10)車内で記念写真。

写真は、「いぶたま」車内に置いてある、乗車記念の撮影用のミニ看板です。
「指宿のたまて箱号」の名前の由来が分かるようなっています。

ところでこの「いぶたま」の乗り心地は…、
当然ですが、「キハ47形」から一歩も出ていません。
はっきり言って『快適』とは程遠く、揺れも相当にあります。
※車内で撮影した写真は、ノーフラッシュの場合、
手振れとの戦いと言っても過言ではありません。

また所要時間は、一番時間の掛かる「指宿のたまて箱5号」が
指宿~鹿児島中央間57分で、
一番早い快速列車3330Dの指宿~鹿児島中央間56分と比べても
“遜色”があります。
(これまでの「なのはなDX」と同程度の所要時間)

と言うことで、特急料金の1100円は、
凝ったデザインで統一された車両及び座席を含めた素晴らしい車内設備、
少ない乗車定員等々の“施設利用料”とでも考え、
1時間弱を快適に過ごすための経費と考えるのが良いでしょう。
また、それだけの価値は十分にある「いぶたま」です。

乗客は、中高年のグループと家族連れが多く、
正に「JR九州」のターゲット通りの結果が出ていると感じましたが、
多分、若い方は「鉄」を除けば、投資に見合う価値を見出すのは
難しいでしょう。
まあ、一人旅なら私のような年代から上の方向けでしょう。

ところで…。この「いぶたま」が魅力的な列車であることは
私だけではなく、乗車した方のご納得もいただけると思います。
ただ、個人的にはキハ40系の「いさぶろう・しんぺい号」の方が好きです。
(観光)特急と普通の違いはありますが、
「いぶたま」は“作り物”に乗らされている感があり、
「いさぶろう・・」は昔からそうやって走ってきた列車のイメージが…。
「いぶたま」もこれから長い間走り、「いさぶろう…」のように
馴染んでいくのかも知れませんが、これからの活躍に期待したいです。

さて、写真の乗車記念用ミニ看板、私以外に誰か使ったのでしょうか?
少なくとも私は使われているところを見かけていない・・・。

2011年04月17日 18時09分

「指宿のたまて箱号」(9)指宿駅到着、謎の白煙。

上段の写真は、「指宿駅」で僅か9分の折り返し待ちの「いぶたま」です。
「いぶたま」こと「指宿のたまて箱号」の名前の由来は
地元に伝わる「浦島太郎」伝説にあるということで、
駅に到着すると、玉手箱を開けた時の“白煙”のイメージで、
『ミスト(霧)』が出る仕掛けになっています。
下段の写真で何となく雰囲気が伝わりますでしょうか?
ただ、このミストが出る時間はそんなに長くないため、
狙っていないと撮影は困難かと思われます。
まあ、このアイデアに努力賞は差し上げても良いでしょう。
(上から目線で恐縮です)

ところで、「浦島太郎」伝説は、全国にあると聞いたことがあります。
私にとっては殆ど地元と言っても良い長野県の木曽路にもそれはあります。
ということでJR東海も中央線に「木曽のたまて箱号」でも走らせていたら、
さぞかし楽しいだろうに思った次第です。
●木曽の上松には、竜宮城から戻り、その後旅に出た浦島太郎が、
上松の地で『玉手箱』を開け、“白髪の翁”になったという伝説があり、
その場所は「寝覚めの床」という名が付けられ、
浦島太郎を祭る「浦島堂」もあります。
中央線で名古屋から長野方面に向うと、倉本を出て上松駅の手前、
進行方向左側の木曽川に「寝覚めの床」はあります。
以前、急行とか特急に乗ると、車内アナウンスがありましたが
今はどうなっているのでしょう?

今回は、「いぶたま」よりも「寝覚めの床」の話しの方が
長くなってしまいました。
それも“白煙”というか“霧に包まれた”話しでした。
私は写真を撮りながら“白煙”に包まれ、妄想から現実に戻りました。

2011年04月17日 8時06分

「指宿のたまて箱号」(8)ここまで拘っている!

鉄道趣味誌に書いてあったことと書いてなかったことを一つずつ。
左側の写真は、日除けのブラインドですが、「和」のテイストで、
“御簾(みす)”です。

右側の写真は、見た通りの『ゴミ箱』。
でも、ポリ袋がかかっているから『ゴミ箱』に見えますが、
それが無ければ、ちょっとおしゃれな「洗濯かご」です。
まあ、置いてある場所が場所だけにそんなことは誰も思わないでしょうが、
これを「いぶたま」の業務用BOXと説明しても
結構信じてもらえるのでは?

話しを“御簾”に戻し、何せ3月なので窓は開けませんでしたが、
夏の冷房が入る前の、爽やかな季節にこの御簾越しの風に吹かれてみたいと思いました。
ただ、現実論としては御簾の強度の問題も含め、
また他の乗客の方への影響も考え、
実際には窓は開けられないとは思いますので、あくまでも願望です。
でも、皆さんのご賛同は得られるのではないでしょうか?

私は、自分自身を「鉄」の中でも「“乗り鉄”で“旅鉄”」と思っています。
ローカル線をのんびりと走る列車に乗り、
緩やかな風の中でまどろんでいたい。
という気持ちは今も昔も変わりません。
でも、最近はそのハードルがどんどん高くなっています。

そんな人に、JR東海の「そよ風トレイン117」の付け入る隙が
あるのでしょう。
まあ、この御簾は「風情を楽しむ」ための小道具ということでOKでしょう。
車両の内装(備品も)の全てにおいて中途半端さを感じさせない
センスの良さは、とても素晴らしいと感じました。

2011年04月16日 18時09分

「指宿のたまて箱号」(7)子供専用スペース。

「いぶたま」の鹿児島中央寄りの車両『キハ47/9079』の、
一番後方(指宿発の場合は、先頭になる)にある3席と
手前の不思議な丸い“籠”にご注目。

海側を向き、ロイヤルシートと言っても過言ではないこの席ですが、
指定席ではなく、誰でも座れます。
が、私には座れません。
何故ならシートが小さすぎるのと、シートの座面と床面の間が
数10センチしかなく、大人はとても座っていられません。
既に、鉄道趣味誌等でも紹介されている『子供専用』のスペースです。
因みに手前の雰囲気のある“籠”はベビーサークルです。

ただこの3席、小さなお子さん連れの乗客の方もいたのですが、
インフォメーション不足なのかどうなのかは定かではありませんが、
鹿児島中央駅から指宿駅到着まで、ベビーサークルも含め
使われた形跡がありませんでした。

一応、この写真でいえば(写っていない)左側に
「保護者」が傍で付き添えるようなソファーもあるのですが、
そこを使っていたのは“普通”の乗客の方達でした。

私の感想としては、このシートの直ぐ上辺りに吊革を設置し、
親子が近い距離で外の風景が楽しめたら利用されるのかも…、
と言ったところです。

この「いぶたま」はワンマン運転なのですが、客室乗務員がおり、
その方が小さなお子さん連れの方にもっと「アピールしたら」とも
思いました。もっともされていたにも係わらずの結果かもしれません…。

2011年04月16日 9時00分

「指宿のたまて箱号」(6)錦江湾の風景。

車内放送では「特急 指宿のたまて箱3号」ではなく、
「“観光”特急 指宿のたまて箱3号」とアナウンスしていました。
そうなんです。この列車は単なる「特急」ではなく「観光特急」なんです。
ここまで堂々と言われると、
『そうですね。乗っているだけで楽しいですね。窓外の風景も素敵ですね。』
と、素直に反応してしまう私です。

で、錦江湾を見ていたら、我が系列とはライバルの「フジテレビ製作」の
映画『LIMIT OF LOVE 海猿』を思い出してしまいました。
この映画はご存じの方も多いと思いますが、ここ錦江湾が舞台となっており、
やはりこの風景があったからこその映画だったのだと、
改めて感じ入った次第です。
確か6年ほど前の公開でしたが、あの時、鹿児島(錦江湾)フィーバーが
起きて観光客が殺到という現象はあったのでしょうか?
※“フィーバー”何て言葉は、今時使いませんね。

同行者がいると、多分、会話をしていてあまり風景を
堪能できないこともあるのでしょうが、一人だとズーっとのんびり
窓外を楽しめますし、色々と思い出すこともあります。
ま、若干侘しいというか“強がり”の感はありますが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!