2011年04月10日 18時07分

樽見鉄道「運転体験講習会」(15)一枚の名札。

今回に全員に配布された、一人一人の名前入りオリジナル名札です。
初回はご覧の“銀縁”ですが2回目は“金縁”に昇格するそうです。
「運転体験講習会」の会費に含まれていると分かってはいるものの
何とも「鉄」心をくすぐるアイデアですね。これを付けて運転していると、
まるで“本物”の運転士気分です。

ところで中京テレビの「幸せの黄色い仔犬」という番組では、
この「運転体験講習会」を事前に取材しており、
“石塚英彦”さん、“misono”さんの2人が実際に「モレラ号」を
運転しています。
※3月26日の放送「石塚幸せ観光社~ in 岐阜・大垣」のコーナーで紹介。
その取材の際、2人とも初めての運転体験に大興奮だったそうですが、
形に残る“記念”ということでは、この『名札』に大受けだったそうです。

2人とも「鉄」ではないのですが、“ツボ”は同じなんですね。

(単一乾電池のこと)
「鉄」話しではないですが、量販店でやっと「単一乾電池」を
見かけるようになりました。(水もですが…)

実は、我が家では毎日必ず「単一乾電池」を使っている場所があります。
それはキッチンのコンロです。点火用なのですが、
いくら電気があり、ガスが来ていても「点火用電池」がなければ
ただの“大きな置物”でしかありません。
備えとしての「単一乾電池」2本は常に家にあるのですが、
もしもこの2本が無ければ何とも不安な日々でしょう。
まあ、被災地の状況に比べれば何とも贅沢な不安ですが…。
やはり、日頃の備えが大切と改めて感じています。

2011年04月10日 11時06分

樽見鉄道「運転体験講習会」(14)今年一番の出来事。

同じく、「運転体験講習会」の楽しみです。

丁度、「運転体験講習会」が終わった頃、新車『ハイモ330-701』が
車庫に戻ってきました。
少々気が早すぎますが。この気動車の導入は、
樽見鉄道にとって今年一番の出来事なのでは?
※大雪や今回の「運転体験講習会」のスタートなど、考えてみれば、
樽見鉄道では既にいろいろな出来事がありましたが
これを“一番”にすることは、皆さんにもご納得いただけると信じています。

「で、」などといい加減な繋ぎ方で恐縮ですが、
折角と言うことで撮影会が始まりました。
そうこうしている内に“どうせなら”と言うことで、樽見鉄道の方が、
『運行開始記念』のヘッドマークを取り出してきて、取り付けてくれました。
●こういったこともやはり「運転体験」ならではでしょう。

ところでこの『ハイモ330-701』ですが、
これまでの樽見鉄道の車両とは異なる点が幾つかあります。
1)窓が固定式となった。
2)エンジンがパワーアップ。
3)ブレーキ方式が変わった。
4)そのため緊急時を除き、他の車両と連結して営業運転ができない。
等などですが、樽見鉄道のHPを見ていたら上記のことは全て書いてあり、
すっかり二番煎じになってしまいました。

まあ今回は、樽見鉄道の基礎情報と言うことでご容赦を。

ところで車内は「新車」独特の香りがあります。それに酔いしれたい方は
お早めにご乗車下さい。

2011年04月09日 18時00分

樽見鉄道「運転体験講習会」(13)今年が一番忙しかったロータリー車。

車庫内の見学も「運転体験講習会」の楽しみです。
この日(3月13日)は、初回(プレ?)と言うことで樽見鉄道の方が
総動員で対応されていたので実現したのかも知れませんが、
なかなか楽しいです。

この軌道モーターカーも、いつもなら通り過ぎるところですが、
今冬の大雪の際は、連日連夜、不眠不休で除雪にあたっていたと聞き、
写真を撮りました。
●職員の方も当然の事ながら、不眠不休だったそうです。
地方の足はこうして守られているのですね。

このモーターカー、年によっては稼動しないこともあるとのことでしたが、
やはり樽見鉄道には必要な存在なんですね。
因みにこのロータリーの反対側はラッセルになっています。

ところでこの車両『DB1』は、「新潟鉄工所」製で、
製造銘板には「ニイガタ 軌道モーターカー(ロータリー装置付き)」
とあり、形式は「MCR-4A」で、製造年は昭和59年。
製造番号は「4157」となっていました。

と、ここまで書いて、どうせこのブログにUPするなら
もっとちゃんと話しを聞いておけば良かったと反省しています。
仕事での取材の時は、「そんなに話しを聞いてどうするの?」と言う位、
メモをしていましたが、『趣味』は『趣味』と言うことで、
このモーターカーに興味のある方は、樽見鉄道を訪問された際に
お聞き下さい。(申し訳ない)

2011年04月09日 9時01分

樽見鉄道「運転体験講習会」(12)制輪子。

「運転体験講習会」では、鉄道の現場の方から様々な鉄道に関する
お話しを聞く機会があります。

この『制輪子』の話しもそうで、指導運転士さんと、
たまたまこの「モレラ号」のブレーキの効きの雑談をしていた時に、
いろいろ教えてもらいました。

上段写真は、「モレラ号」のブレーキ部分です。

ここ樽見鉄道の『制輪子』は“鋳鉄製”で、
昔からあるタイプなのだそうですが、ブレーキの効きもよく、
天候の変化にも対応し易いといった取り扱いのメリットと、
何よりも他の「レジン制輪子」等に比べ“安い”のが一番とのことでした。
ただデメリットとしては、磨耗が早く、短期間での交換が
必要なことだそうです。
(確か、一か月ももたないと聞いた)

そのため、車庫には下段写真のように、『鋳鉄制輪子』の在庫が
いつも多数用意してあります。
※この横には、交換した『鋳鉄制輪子』の残骸も一杯ありました。
いくら収集「鉄」でも、持ち帰りには困難な重さで
いくら家族に理解があっても、これだけは持ち帰りを
考えないほうが無難です。

今回は、もっと専門的な話しも出たのですが、
私にはチンプンカンプンなところもあって、この程度でご容赦下さい。

2011年04月08日 18時31分

樽見鉄道「運転体験講習会」(11)運転終了!

昨日の地震の影響で、東北地方の鉄道はまだ昨日以前の状況に
戻りきれていません。
“余震”と呼ぶにはあまりにも大きすぎる地震です。

さて「運転体験講習会」での運転を終えると、
写真の『運転体験証明書』が、参加者の皆さんの前で、
指導運転士さんから手渡されます。

『運転体験証明書』の裏面には今回の場合、
(1)運転速度…時速15km
(2)期日…3月13日
(3)合・否…合(でないと困りますよね)
以上が記載され、2回目以降もこの“体験証明書”を
持参することになっており、これがあれば『時速20km』運転ができます。

一人一人、拍手の中でもらうのは何とも“照れ恥ずかしい” ものが
ありますが、この年になっても嬉しいものでした。
私の表情まではこの写真で読み取れないと思いますが
一応のイベント終了と言うことで、安堵感が漂っていました。
もっともそれは私だけではなく、参加者共通の表情でした。

ところで参加された方の中で、以前にも他の鉄道で「運転体験」を
されている方がいらっしゃいましたが、
皆さんが異口同音で仰っていたのが、「モレラ号」の扱いやすさです。
そして、「運転ビギナーでも楽しいのでは」とも仰っていました。
とはいうものの、それは「何度か経験があるからでしょう」と
言われるかもしれませんが、私も実は同じ「初心者でもOK」という感想を
持ちました。

ただ、運転はやはり“プロ”で世界であることは間違いありません。
私も、これからその『奥深い』世界に入っていきたいと
心に誓いながら、この「証明書」を受け取っていました。

2011年04月08日 8時56分

樽見鉄道「運転体験講習会」(10)枕木の話し。

昨夜、宮城県で震度6強の地震があり、名古屋でも少し揺れを感じました。
今朝は、東北地方の鉄道がほぼ止まっています。
宮城県では、電気・水道等の生きていくための基本的なインフラが
まだまだ復旧していません。その工事に遅れが出ないことを
ただ祈るばかりです。
そんな状況の中、このブログはいつもの内容で更新します。

上の写真は、昨年の5月18日に車内から撮影した本巣駅構内です。
下り本線の右側の側線に、まだ14系客車が残っています。
当時、「ハイモ230-301」は、この14系の先に留置されていました。
今回の「運転体験講習会」で使用している側線は、
その右側(3本ある側線の真ん中)で、写真ではブルーシートを
かぶせられた“何か”が、留置されている線です。

ただこの側線、当然の事ながら殆ど放置されていた状況だったこともあり
線路状況は最悪で、これで国土交通省の許可が出るとは考えられず、
社長以下、樽見鉄道の社員が総出で改修したそうです。
●そう言えば、雑草もキレイさっぱり無くなっていました。

下の写真は、一見何の変哲もない枕木ですが、
これも必要に応じて交換をしています。
一番手前の枕木と、その奥の2本の枕木の色が全く違うことは
この写真でも見て取れます。
奥の新しい枕木は、“使用に耐えない”枕木を替えたもので、
その総数は160本に上るそうです。
一方、手前の枕木はまだまだ使えると言うことで交換せず!
つまり交換した枕木は必要なものだけ!
安全上、使えるものは使う工夫もしている訳で、
線路の所々で確認できる「新しい枕木」には
そんなエピソードが隠れていました。是非、「運転体験」時にご確認下さい。

通常、こうした作業は専門の会社にお願いすることが多いようですが、
経営が厳しい樽見鉄道では、“自前”でそれを行うことで、
経費削減と自分達のこのイベント実施への覚悟を決めたそうです。
『仕事』とはいえ、なかなか出来ることではないと思います。

2011年04月07日 18時30分

JR東海・東海道新幹線のサービス向上。

写真は、私が昨年の12月5日に「はやて」に乗車した際、
指定席券をクレジットカードで購入した際の利用票です。
乗車日付、列車名、区間の記載があることに注目してください。

本題です。3月29日のJR東海の社長会見で、
東海道新幹線のサービス向上の話しが出ていました。
要は、乗車券・指定席券紛失時の取り扱いの変更なのですが、
これまでとは以下が異なります。(要点のみ)

(これまで)
1)切符を紛失した時は、駅係員か車掌に申告。
2)同じ区間の切符を再購入。
3)その旨記載の「再購入券」を発行。
4)1年以内に切符が見つかれば、その切符と「再購入券」を
  持参すれば手数料を差し引いて払い戻し。

(東海道新幹線の今後)
1)切符を紛失した時は、駅係員か車掌に申告。
2)同じ区間の切符を再購入。「再購入券」を発行。
3)「申告用紙」に必要事項を書いて、JR東海へ送付。
  ※送料はJR東海負担。
4)JR東海が切符の使用状況を調査。
5)使用状況が確認できれば手数料を差し引いて払い戻し。

なおこれはクレジットカードで東海道新幹線区間の
「指定席・グリーン席」を購入した場合で、
手元にクレジットカードの利用票があり、
かつ新幹線の改札内・列車内で発覚した時だけの“例外規定”で、
現金での購入時は従来どおりです。
※改札を通った段階であれば、“使った”と看做せるのでしょうね。
改札前は、やはり自己責任でしょう。

クレジットカードの利用票には、写真のように乗車した列車等の情報が、
指定席番号を除いて全て記載されており、
購入及び乗車の証拠品としては成立しているとも言えます。
逆に、自由席では乗車列車が特定されないので除外されるのは
致し方ないでしょう。

切符を無くすと言うのは本人にとって最悪の事態なので、
本音としては利用票で改札を出してもらえれば有難いのですが、
切符を拾った人が万一にでも悪用する可能性
(使用前・使用後の払い戻し規定による)があるのならば、
これでも一歩進んだサービスと言えるのでしょうし、
今後是非、在来線にも適用されると有難いですね。

くどいですが、写真は『JR東日本』の列車の利用票ですので、
この措置は適用されません。
私は、東海道新幹線ではエクスプレスカードを使うので、
今回の『参考用』になる利用票がありません。ご了承下さい。

2011年04月07日 8時38分

桜通線のダイヤ改正異聞。

名古屋市営地下鉄桜通線のダイヤが改正され、
利用者の方はその時刻に慣れてきた頃でしょうか?

運転間隔は変わっていないのですが、
伏見・久屋大通・今池・新瑞橋の乗り換え時に、
今までダッシュで行かないと乗り換えられなかった電車に
少しゆとりが生まれたり、逆に乗り換えのために、
少し早目の電車に乗らないと間に合わなくなったりで、
私にとって、チャレンジングな日々が続いています。
流石に朝の桜通線⇒名城線は、乗る電車が決まっているので
タイミングが分かってきましたが、帰りの名城線⇒桜通線は、
乗る電車が一定しないので新瑞橋駅の発車時刻表とにらめっこしながら
乗り換えています。

実は、それほど“大問題”にはならないのかも知れませんが、
駅間の所要時間が少し長くなっていることにお気付きでしょうか?
例えば写真の新瑞橋駅掲出の所要時間の目安で言えば、
名古屋駅までは22分となっていますが、以前は20分でした。
また、名古屋~今池間は以前は10分だったのが11分になっていたりで、
距離にもよりますが、私の調べた限りでは最大2分伸びています。

察するに、可動式ホーム柵(ホームゲート)の設置対応で
若干所要時間が延びていると思われるのですが、
名古屋市交通局では1~2分のことだからなのか、
それともマイナス情報と考えて出さないようにしているのかは
分かりませんが、心理的にあまりよろしくありません

その分と言うと変ですが、これまでラッシュ時にあった1分程度の遅れは
全くと言っていいほど無くなりました。

2011年04月06日 18時09分

三陸鉄道社長からのメッセージ。

写真は、昭和59年9月2日、三陸鉄道南リアス線に乗車した時、
釜石駅で撮影したものです。

三陸鉄道は東日本大震災で大きな被害が出ており、
この南リアス線では、未だ復旧した区間はありません。
その三陸鉄道のHPで4月4日、
『三陸鉄道社長からのメッセージ「三陸鉄道の復旧に向けて」』が
出されました。

要約しますと、
『これまで不眠不休で「久慈~陸中野田」及び「宮古~小本」間までは
開通させたものの、自力復旧できるのは“ここまで”で、
残りは国などの支援がないとできない』という悲痛なものでした。
また、『全面復旧には莫大な経費と長い時間が必要』とありました。

三陸鉄道の被災状況の写真は「いすみ鉄道」
社長ブログ(3月28日更新分)にも出ているのですが、
筆舌に尽くし難いものがあり、三陸鉄道の社長のメッセージは、
その通りであろうという以外の言葉が見つかりません。
(被災状況は、Googleマップの航空写真でも確認できます)

それでも最後に
『三陸鉄道の復旧が三陸沿岸地域の明日への希望であることを信じています』
という力強いメッセージもありました。

ただでさえ厳しい地方交通の経営に更に追い討ちをかけた
今回の地震と津波です。
多少視点はずれるのかも知れませんが、
これまで「地方交通」は『地元主体で…』と、
国はその在り方から一歩引いたところで傍観してきたような感があり、
そんな中、以前、三陸鉄道は岩手県の強い意思で運営されていると
聞いたことがあります。

これは「地元の事」は「地元」でということで一見正しいように見えますが、
補助金等々も含め、国が“公共交通の在り方”について指針(方向性)を出し、
それに県(地方自治体)が呼応し進めるべきだと私は思っていました。
今回の大地震の交通機関の復旧はJR東日本に目が行きがちですが、
自力復旧に限界がある「三陸」・「ひたちなか海浜」等々の鉄道会社は、
最終的には『国が主体』となって再生する手段を考えるべきと思いますが、
皆さんは如何お考えになられるでしょうか?

まずは、生活を運ぶ鉄道としての復旧、
次のステップとして
『三陸の絶景をこの気動車から眺めることが出来る』日が、
一日も早く訪れてくれることを切に願っています。

2011年04月06日 9時00分

樽見鉄道「運転体験講習会」(9)「いつまでも走れ、未来へと…」。

写真の「ハイモ230-301」は2年前、
平成21年「ハイモ295-617」(三木鉄道からの譲渡車)の
デビューに合わせて置き換えで廃車されました。

(上段の写真)
車体にはNPO法人「樽見鉄道を守る会」の呼びかけで
沿線の子供達が描いた絵があり、全国のラッピング車両の中でも
その『ほのぼの』感は群を抜いていると思うのは私だけでしょうか?

真ん中には「いつまでも走れ、未来へと…」との文字が書かれていますが、
その想いとは別に、残念ながら樽見鉄道の『未来へと』は
なかなか繋がっていかないようです。

その分、ミャンマーで「いつまでも走れ、未来へと…」と
なってほしいのですが、この絵はミャンマーに付いた段階で
「ミャンマー国鉄色」に塗り直されるそうで、
どうせなら、日本の子供達の絵(言葉も含め)をつけたまま走らせた方が、
『国際交流の意味あいでも』良いのになあと思うのは私だけでしょうか?
もっとも輸出先がミャンマーと言うのが微妙ですが。

(下段の写真)
若干見にくいですが、名残の「大垣」~「神海」間の方向幕です。
現在、「神海」行きは存在しないので、今回は特別に出してもらいました。
こんなところも「運転体験講習会」ならではと言えます。

さてさて、「ハイモ230-312」&「ハイモ230-301」の
ミャンマーでの活躍を祈るばかりです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!