2011年05月01日 18時53分

鹿児島市電(12)夕刻の上町線・清水町。

鹿児島市電の最後は、国道10号線を走っていた「上町線」の終点、
昭和53年1月31日の「清水町」界隈です。
●線路の続いていった先、『山』の手前にポツンと電車がいるのが
分かりますでしょうか?そこが「清水町」です。

いくら日本でも西の方にあるとはいっても、さすがに1月。
午後5時過ぎにここ「清水町」で撮影した写真がこの日の最後となり、
「伊敷町」では、写真を撮影できませんでした。

当時、この写真からは見てとれませんが「清水町」も、
国道3号線にあった「伊敷町」も渋滞が酷くて廃止せざるを
得なかったとのことです。
※「伊敷町」周辺は確かに混んでいた気もする・・・。

それにしても廃止路線の沿線に今も住んでいる方たちは、
鹿児島市電の現在をどう思っているのでしょうか?
少々気になっています。

一趣味者の意見で恐縮ですが、公共交通の整備は、
正解のない永遠の課題なのでしょう。

2011年05月01日 8時07分

鹿児島市電(11)昭和53年の「電車のりかえ乗車券」。

昭和53年当時の「電車のりかえ乗車券
(以下、「のりかえ券」と書きます)です。
当時のことを思い出しながら書いていますので、
もしもこれから書いてあることにミス等があればご指摘ください。

まず「のりかえ券」は現金で乗車し、かつ目的の停留所が、
乗車した“系統”では通らない場合に、
2重で運賃を支払わなくてもよいシステムです。
名古屋市電では無かったはずですが、
全国的にはよくあるシステムですね。

右端の数字は、「乗換日付」で、『31日』に乗車したことを示しています。
ささやかかも知れませんが“不正防止”の手段でしょう。
上から、「1系統」からの「のりかえ券」、
「2系統」からの「のりかえ券」、
「3系統」からの「のりかえ券」となっています。

「1系統」では、当たり前ですが『郡元』『高見馬場』『市役所前』が
“乗り換え”のための指定停留所であることが
券面の『降車有効区間』から見てとれます。
以下、各系統別の「のりかえ券」も同じと思ってください。

今もこの「のりかえ券」のシステムは残っており、
鹿児島市交通局のHPにその詳細が出ています。それを見る限り、
運用方法は変わっていません。

さて現在のデザインですが・・・、
今回は「のりかえ券」はもらいませんでした。
多分、あまり変わっていないでしょう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!