2011年05月05日 18時02分

話しが2回飛んで恐縮です。
熊本電鉄の「北熊本駅」の外に出たのは、昭和を含めて今回が初めてです。
何せ昼間は、30分に1回しか電車がやってきません。
「電車を一本遅らせよう」と、腹を決めればその運命に従うだけです。
隣と言うか、駅舎の中と言うか八百屋の「やさい村」でも
結構時間が潰せました。(熊本っぽいモノも売っていました)
駅の中にいてはこういう発見は絶対に出来ません。
これをきっと『旅の醍醐味』と言うのでしょう。
やはり、1回乗っている路線は“乗りつぶし”のために「次」を
急ぐこともなく、心の余裕が生まれます。
昭和53年1月29日の動きをここで纏めておきます。
実は、前日の28日は「阿蘇」に泊まっており、
「阿蘇」発8:09の豊肥本線728Dで、「肥後大津」着8:57、
ここから当時の熊本電鉄の終点、「菊池」に移動し、
「菊池」発9:30~「藤崎宮」着10:30。
その後、熊本市電で「健軍」に向い、
直ぐに折り返して再び熊本電鉄「上熊本」発12:12に乗り、
「北熊本」着12:20。更に「北熊本」発12:23に乗り継ぎ
「藤崎宮」着12:30。そこからまた熊本市電の残りの部分に
乗りに行きました。
●「肥後大津」~「菊池」の移動ですが、私のメモに何も記載がありません。
ということは、多分99%、ヒッチハイクをしたと思われます。
バスもあったはずですが、その手段ではこの時間の乗り継ぎは無理でしょう。
ということで今回が初「北熊本」駅となった訳です。
“乗りつぶし”をやっていると、写真を撮るより、風景を眺めるより、
旅の“風情”を楽しむより、ただひたすらに『修行』のように列車に
揺られる日々でした。
※風景を眺める時間があれば、今乗っている列車(線区)の
『次』の一手を考えるために、いつも「時刻表」と“にらめっこ”でした。
今思えば、愚かしいことですが当時はそれが私の『人生』でした…何てね。
大袈裟ですね。書いていて気恥ずかしい。