2011年05月10日 18時55分

昭和53年1月29日の「藤崎宮前駅」です。
奥に停留中の電車は、形状から元東急の201形と思われますが、
定かではありません。
手前に少しだけ写りこんでいるのは101形と思われますが、
車体番号はやはり不明です。
この写真を見てまず目についたのは『腕木式信号機』。
昭和53年頃、国鉄でも地方線区ではよく見かけましたし、
地方の中小私鉄ではまだまだこれが主役だった記憶があります。
また、今や「町の片隅にひっそり」という形容詞がピッタリの
「藤崎宮前駅」の構内が、当時、結構ゆったりしていたのは発見でした。
こうして今と昔を比べながら「鉄」旅をするのも、
趣味生活が半世紀近くなった者の醍醐味かもしれませんね。
(東日本大震災における対応)
今回のブログ(昭和の熊本電鉄)から話しは変わりますが
昨日、国土交通省から配信された『メールマガジン』に、
『鉄道路線の復旧にあたりまちづくりとの連携等の検討が必要となる区間が
含まれる路線』という項目があり、そこには
『壊滅的な被害を受けた沿岸部の鉄道路線については、
もともと路線があった場所に線路や駅舎を復旧しても、
まちの復旧とマッチングしなければ意味が無く、
利用者の利便性等に配慮する必要があります。
そのような事情で、まちづくりとの連携を図りながら検討を
進める必要があり、
相当の期間が要すると考えられます。』とありました。
上記の文章は、国土交通省のメール本文をそのまま引用していますが
その区間として、
●JR八戸線(階上~久慈)
●JR山田線(宮古~釜石)
●JR大船渡線(盛~気仙沼)
●JR気仙沼線(気仙沼~柳津)
●JR石巻線(女川~石巻)
●JR仙石線(石巻~高城町)
●JR常磐線(亘理~久ノ浜)
が挙げられていました。
これはこの5月2日付けでJR東日本が国土交通省に提出した
「東日本大震災による津波被害を受けた沿岸線区の復旧について(要望)」
への対応とも取れましたが、何れにしろ、鉄道の完全復旧への
見通しが立たない状況が、改めて浮き彫りにされた感があります。
今回の発表について、私はコメントする言葉を持ちません。ご了承下さい。