2011年05月10日 8時57分

昭和53年の「藤崎宮前駅」です。上段がその写真です。
まず目に入るのが『清酒 菊の城』の文字で、
次に『菊池温泉行電車のりば』で、一体、駅名の「藤崎宮前」は
どこにあるのでしょうか?
答えは、正面の白地の大看板の下、駅の中に入る軒の下に小さな文字で
「藤崎宮前駅」とあります。
(この写真のサイズでは殆ど読めません)
なお、“駅”の文字は、旧字体で、おそろしく時代がかっており、
多分、現在の駅舎になるまでそのまま使われていたのではないでしょうか?
下段写真は101形電車のサイドに付けられていた行き先看板
(方向幕ではないので、やはり看板かな?)で、
「熊本⇔菊池温泉」とあります。
数少ない当時の写真を見てみると、少なくとも102・103・121では
この行き先看板が確認できましたが、71にはついていませんでした。
ところでこの「菊池温泉」ですが、この電車の終点、
「菊池駅」からはどれほどの距離だったのでしょうか?
そもそも、熊本電鉄に乗った当時は会社に入って間もない頃で
そんなに“温泉”に興味はなく、そのため電車のどてっ腹に大きく書かれた
「菊池温泉」の文字に、逆に興味を持ってこの写真が撮影したのでしょう。
「菊池温泉」の公式HPによれば、昭和29年に湧出とありますから、
当時としてはそれほど歴史のある温泉ではなかったようです。
それでも『わかさず・ぬるめず・循環させず』のキャッチコピーがHPに出ていたので、温泉の“質”は期待できそうです。
そもそも“温泉電車”がスタートではない熊本電鉄だけに、駅の「菊池温泉」の大看板や、電車の「菊池温泉」の巨大行き先表示は、
既に当時、乗客減少に苦しんでいた熊本電鉄の
『起死回生』の切り札だったのかも知れません。
今、熊本電鉄に行っても「菊池温泉」の文字は見当たりません。
「御代志」から先が廃止されたのが理由でしょうが、それだけに
この写真に哀愁を感じています。