2011年05月15日 18時51分

熊本市電(3)「超低床電車」の揃い踏み。

こちらは現在の熊本市電の主役達です。
左が「9700型(9704号)」で、
右側が「0800型(0802号)」です。
●「通町筋」~「水道町」間で撮影。
●熊本市電の形式名ですが、熊本市交通局のHPにおける「車両」の紹介が
『型』を使っているのでこの『ブログ』でもそれに合わせています。

9700型は『言わずもがな』ではありますが、
平成9年に日本で最初に導入された“超低床”電車です。
また平成10年の「ローレル賞」にも輝いた日本の路面電車史上に
残る電車といっても過言ではないでしょう。

一方、「0800型」は平成21年に運行を開始した熊本市電の最新鋭車両で、実際に乗ってみましたが中々の乗り心地で、
何より2連接の大型車両がこうして行き交うほど乗客が多く、
昭和53年当時と比べ、市電が「熊本駅」~「都心部」~「郊外
(健軍町方面)」を結ぶ基幹交通として認知され、
そして市民の足として実際に活用されていると実感しました。

ところで現在の“A系統”(「田崎橋」~「健軍町」)、
“B系統”(「上熊本駅前」~「健軍町」)という系統名が
如何かという議論はさておき、今年3月までの系統は
「2系統」「3系統」で、そもそも「1系統」廃止後も、
そのままの系統番号を使ってきたことが今回の改称に繋がっているなら、
『分かりやすさ』という面では、「1系統」欠番の系統は流石に
“よろしくない”ということでしょう。
まあ慣れの問題でしょうが、市民(利用者)に混乱は見られず、
一方、観光客はそもそもの系統名などには影響を受けないので、
まずは順調に「系統名」の変更が行われたようです。
系統数が多いと、きっとこうはなっていないのでしょうね。

2011年05月15日 8時30分

熊本市電(2)昭和53年の熊本駅前。

昭和53年の「熊本駅」と熊本市電「1351号」です。
「1351号」は当時、ラッピング電車でしたが、今は?

(昭和53年1月29日の足跡)

1)「水道町」発10:44~「健軍町」着11:05
 ◆『2号系統』(今の『A系統』)に乗車。
 *水前寺線(「水道町」~「水前寺公園」)
 *健軍線(「水前寺公園」~「健軍町」)

2)「健軍町」発11:15~「上熊本駅前」着11:54
 ◆『3号系統』(今の『B系統』)に乗車。
 *幹線(の内、「水道町」~「辛島町」)
 *上熊本線(「辛島町」~「上熊本駅前」)

3)「水道町」発13:12~「田崎橋」着13:34
 ◆『2号系統』(今の『A系統』)に乗車。
 *幹線(の内、「辛島町」~「田崎橋」)

●「田崎橋」から熊本駅へは徒歩で戻り。

ということで、2路線を途中「熊本電鉄」の“菊池線”乗車を
挟んでいますが、単に「熊本市電」だけなら2時間もあれば
十分全線踏破できる規模でした。

記憶間違いでなければ、私が乗車した当時の「熊本市電」は“風前の灯”で、
『廃止』か『存続』かで、町が随分揺れていたのでは?
最終的に、どういう経緯で存続が決まったかまでは知り得ませんが、
当時、実際に乗った時のことを思い出そうとしているのですが、
何せうろ覚えで…。ただ「バス交通網」は充実していたような気が…。
市電は、市内交通の“主役”“基軸”どころか“崖っぷち”で
喘いでいました。

今回の写真は、そのように意識して撮影したわけではありませんが、
熊本県(熊本市)の中央駅の前を行く姿ながら、
『都市交通』の主役どころか『取って付けた』感すらあります。
でも、どうしてそんな感想を持ってしまったのかという
合理的な説明が出来ない私がいます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!