2011年05月15日 8時30分
昭和53年の「熊本駅」と熊本市電「1351号」です。
「1351号」は当時、ラッピング電車でしたが、今は?
(昭和53年1月29日の足跡)
1)「水道町」発10:44~「健軍町」着11:05
◆『2号系統』(今の『A系統』)に乗車。
*水前寺線(「水道町」~「水前寺公園」)
*健軍線(「水前寺公園」~「健軍町」)
2)「健軍町」発11:15~「上熊本駅前」着11:54
◆『3号系統』(今の『B系統』)に乗車。
*幹線(の内、「水道町」~「辛島町」)
*上熊本線(「辛島町」~「上熊本駅前」)
3)「水道町」発13:12~「田崎橋」着13:34
◆『2号系統』(今の『A系統』)に乗車。
*幹線(の内、「辛島町」~「田崎橋」)
●「田崎橋」から熊本駅へは徒歩で戻り。
ということで、2路線を途中「熊本電鉄」の“菊池線”乗車を
挟んでいますが、単に「熊本市電」だけなら2時間もあれば
十分全線踏破できる規模でした。
記憶間違いでなければ、私が乗車した当時の「熊本市電」は“風前の灯”で、
『廃止』か『存続』かで、町が随分揺れていたのでは?
最終的に、どういう経緯で存続が決まったかまでは知り得ませんが、
当時、実際に乗った時のことを思い出そうとしているのですが、
何せうろ覚えで…。ただ「バス交通網」は充実していたような気が…。
市電は、市内交通の“主役”“基軸”どころか“崖っぷち”で
喘いでいました。
今回の写真は、そのように意識して撮影したわけではありませんが、
熊本県(熊本市)の中央駅の前を行く姿ながら、
『都市交通』の主役どころか『取って付けた』感すらあります。
でも、どうしてそんな感想を持ってしまったのかという
合理的な説明が出来ない私がいます。